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菊地成孔が語る、リュック・ベッソン自伝への驚愕 「豪快かつ赤裸々に色々なことが書かれている」

2022年10月02日 12:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『グラン・ブルー』『レオン』『フィフス・エレメント』などのヒット作を持つ映画監督、リュック・ベッソンの自伝『恐るべき子ども リュック・ベッソン『グラン・ブルー』までの物語』(辰巳出版)が出版された。


参考:SHIHO×RIKACOが語る、自分らしく生きるための瞑想 「無意識なものに気づくと、日々の中に奇跡を発見し始める」


 『恐るべき子ども』は、子ども時代の思い出から、代表作『グラン・ブルー』を撮るまでの半生を本人が綴った作品。幼少期の複雑な家庭環境、10代の頃に経験したダイビング中の事故、映画の世界に飛び込んだ経緯からはじまり、出世作『サブウェイ』、世界的ヒットとなった『グラン・ブルー』の制作プロセスなどを生々しく、大仰な筆致で記している。リュック・ベッソンに関わった映画人、セレブリティの実名も数多く登場し、80年代のフランス映画界の裏側が詳細に描かれているのもノンフィクションとしての本作のポイントだろう。


 “え、そんなことがあったの?”という驚きに満ちた冒険譚としても魅力的な本作。この本の読みどころ、映画作家としてのリュック・ベッソンについて、音楽家、そして映画批評家としても知られる菊地成孔氏に聞いた。辛辣にしてシャープな“リュック・ベッソン論”を楽しんでほしい。(森朋之)


■ここまで豪快に書いてるというのはすごい


——まずは、菊地さんがリュック・ベッソンをどう評価しているか聞かせていただけますか?


菊地:リュック・ベッソンは大変な巨匠であり、ビジネス的な成功も収めていますが、僕が好きなのは『サブウェイ』だけで、あとの映画は正直、あまり好きではない。映画を観れば、監督の人となりはなんとなく想像つくじゃないですか。映画が好きで好きでたまらない監督と、自己表現の手段に過ぎない監督がいるとしたら、リュック・ベッソンは完全に後者だと思います。作品を観ても「この人、本当に映画が好きなんだな」とは感じない。その印象は、本を読んでも変わりませんでした。


 ただ、『恐るべき子ども』は内幕物の読み物として非常に興味深い本だとは思います。この本はリュック・ベッソンの前史というか、生まれてから『グラン・ブルー』を撮るまでが書かれているんだけど、自分がどんなにやばい少年だったかにかなりの文字数が割かれている。控えめに言っても、かなりの自己愛、ナルシシズムですよね。本のラストもすごい。『グラン・ブルー』について『マスコミの酷評にもかかわらず、来る日も来る日も観客が劇場を埋めていく。大衆がこの作品を認め、支持してくれるようになった。作品は六十週のロングランを達成し、一千万近い動員数を記録した。』というのは事実ですが、『やがて、八〇年代を代表する映画と見なされるようになる』というくだりは“それ、自分で言うこと?”という感じじゃないですか(笑)。巻末の『妻に、子どもたちに、両親にこの本を捧げる』ともありますが、この人、4回結婚しているんですよ。


——リュック・ベッソンの生い立ちについてはどうですか?


菊地:両親がフリーダイバーで、彼自身も気が付いていたら海に潜っていた。あるときに事故を起こし、2度とダイビングできない体になってしまった……というのは、フランス映画に興味があれば誰でも知ってることですが、この本に書かれた事故の描写はかなり生々しいし、フロイト的に言えば、そのときに味わった挫折が、あとにつながるエネルギーの備蓄になったことがよくわかりました。ただ、最初に言ったように映画が好きだったという話がほとんどないんです。小さい頃からフィルムセンターに通い詰めて、現実と映画の境目がわからなくなるような経験をして、カメラを手に取った、といった経験もまったくない。インターテクスチュアリティというか、本のなかに出てくる作品も有名なものばかりなんですよ。『スターウォーズ』とか。音楽はマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』で、写真はヘルムート・ニュイートン。マニアックが偉いとは言いませんが、フランスの映画監督だったら、もうちょっと何かあるんじゃないの?と思いますけどね(笑)。嘘でもいいから、ヌーベルバーグの最初期とか、アメリカの映画監督だったらジョン・フォードとか書いておけば、恰好が付くのに。それでも“映画って何だか派手だし、自己表現にちょうどいい”という感じで映画に関わるようになり、持ち前の行動力と冒険心でどんどん進んでいく。その過程も赤裸々に書かれています。


——『最後の戦い』『サブウェイ』の制作のプロセスもかなり詳細に記されていますね。企画を横取りされそうになったとか、俳優が途中で降りて困ったとか。


菊地:恨み言も多いですね(笑)。映画のバックヤードなんて、そんな話の山なんですよ。『戦場のメリークリスマス』のヨノイ大尉役が坂本龍一に決まるまでに、5人の俳優が候補に挙がっていたとか。そういうエピソードを自伝に書くかどうかは非常に繊細な問題と思いますが、この本ではーー時効だと思っているのか、暴露するつもりなのかーーあけすけに綴られています。(『サブウェイ』の主演候補だった)スティングはいい人として書かれていますが、“『サブウェイ』に出る予定だったんだぜ”と自慢げにチラつかせている(笑)。出演が叶わなかった女優のなかにはボロクソに書かれている人もいるんですよ。フランス人の映画監督で、女優をここまで糾弾する人、ほかにいないでしょうね。コンプラや倫理に縛られている今の世の中で、ここまで豪快に書いてるというのはすごいし、昭和の暴露本を読んでいるような懐かしい気分になりました(笑)。失われつつある文化を感じられるという意味ではかなり貴重でしょうね。


■エリック・セラの音楽の力が大きい


——菊地さんが評価しているという『サブウェイ』については?


菊地:『サブウェイ』は企画自体が斬新だし、脚本もリュック・ベッソンだけではなく、仲間と数人で書いていることで良くできているんですよ。当時のことも詳細に書かれていて、興味深かったです。最初期のヌーベルヴァーグと同じで、80年代の初めのフランスには才能のある若者が集まっていて。わかりやすく当たりのいい企画で撮影許可を得て、違う脚本で撮り始めるというエピソードなども面白かったです。あとは当時のシーンですよね。ジャン=ジャック・ベネックスの『ディーバ』、レオス・カラックスの『汚れた血』、リュック・ベッソンの『サブウェイ』はヌーベル・ヌーベルヴァーグを代表する作品として、世界中の映画作家に影響を与えたので。これはあまり指摘されませんが、『サブウェイ』は(劇伴を担当した)エリック・セラの初仕事しても重要だと思います。


——エリック・セラとリュック・ベッソンはもともとバンド仲間だったとか。


菊地:この本のなかでは音楽家というより、“ダチ公”として書かれてますね(笑)。エリック・セラはすごい才人。オーケストレーションよりもバンドサウンドを作るのが上手くて、リュック・ベッソンの映画が“新しいセンスを持った表現”に見えるとしたら、それはエリック・セラの音楽の力が大きいと思います。二人の関係は、コダールとミシェル・ルグラン、トリュフォーとジョルジュ・ドリリューと同じようなマリアージュがあったと言っていいでしょう。きっかけは『サブウェイ』に“地下で活動しているバンドが存在する”という設定だったわけですが、バンドのメンバーとしてエリック・セラが出演してくれて本当によかった(笑)。


——そして、この本のクライマックスはやはり、『グラン・ブルー』の制作エピソードです。


菊地:フランスの“海洋と映像”に関して言えば、偉人が二人いて。一人はジャック=イヴ・クストー。そしてもう一人は、『グラン・ブルー』の主人公のモデルになったジャック・マイヨールです。クストーが監督し、ルイ・マルが助監督をつとめた『沈黙の世界』(1956年)は、海の底に閉じ込められた感覚が美的に表現された作品で、その後の映画作家に大きな影響を与えた。ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』(1958年)は、(エレベーターという)小さい箱に閉じ込められる窒息感を描いていて、『沈黙の世界』とつながっています。そのほかにも、たとえばウエス・アンダーソンが『ライフ・アクアティック』(2004年)をはっきりと“ジャック=イヴ・クストーに捧げる”としたように、クストーは今もなお先鋭的な映画作家に尊敬されている。アクアラングの発明、水中を撮影するカメラの開発など、クストーの仕事は映画文化と密接に結びついていますからね。一方のジャック=マイヨールは伝説的なダイバーですが、あくまでも冒険家。もちろん、それが良くないというわけではありませんが、こと映画に関しては、明らかにクストーのほう偉人なんですよ。ところがリュック・ベッソンは、少年期から一貫してマイヨールにハマっていた。クストーのことは、この本では一行たりとも言及されていません。


——クストーには興味がなく、マイヨールを崇拝している。


菊地:そうですね。マイヨールは2001年に自殺していますが、遺体のそばには『グラン・ブルー』のDVDが置かれていた。この本を渡されたとき、当然、そのことが書かれているはずだと思いましたが、一切触れられていない。これは本当にびっくりしました。マイヨールとの出会いや信仰、『グラン・ブルー』を作るまでの話は詳しく書かれているにも関わらず。僕自身の倫理観では、マイヨールの死について真摯なコメントを残すべきだと思いますけどね。明らかに彼を描いた作品を彼がおそらく最後に見て、その後自殺したわけです。DVDはダイイングメッセージです。自殺した人のことを書くべきではないと思っているのか、彼のなかでマイヨールは死んでいないのか、彼の自殺があまりにも辛くて忘却しているのか、全くわかりませんが、自伝に何も書かれていないのは驚きました。あれだけ生前のことが詳細に描かれているというのに。まあ、「そこがベッソン」という感じもあるんですけど、フランスのベッソン研究家は、「どうして自伝にマイヨールの死について書かなかったのか」と聞くべきでしょうね。


——『グラン・ブルー』の後のリュック・ベッソンについてはどう捉えていますか?


菊地:『ニキータ』『レオン』もそうですが、きれいな女の子と殺し屋の組み合わせを撮っておけばそりゃ面白いでしょうし、この時期からベッソンはフランス映画の監督ではなく、ハリウッド映画の監督の顔つきになってますよね。ベッソンが製作した『TAXi』シリーズもそうですが、大予算で派手な作りも完全にアメリカ。彼自身もそう言われた方が喜ぶんじゃないかな。個人的に広末涼子が好きなので『WASABI』は見ましたが、何をやりたいのかまったくわからなかった(笑)。映画批評家のはしくれとして、リュック・ベッソンをそこまで高く評価することはできないですが、この本は豪快かつ赤裸々に色々なことが書かれているので、読み物として面白いと思いますよ。