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根本宗子『もっと超越した所へ。』インタビュー 小説、戯曲、映画脚本を書き分けて見えてきたもの

2022年09月29日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 劇作家・演出家の根本宗子が2作目となる小説『もっと超越した所へ。』(徳間文庫)を上梓した。本作は、初小説『今、出来る、精一杯。』と同じく、主宰劇団の月刊「根本宗子」で過去に上演した作品を小説化したものだ。デザイナーの真知子、ギャルの美和、シングルマザーの風俗嬢・七瀬、子役上がりの俳優・鈴と、一見するとバラバラな4人の共通点は、クズ男を引き寄せてしまうこと。パートナーへの不満はありながらも、それなりに幸せな日々を過ごしていた彼女たちだったが、ある日、本音をこぼしたクズ男たちを前に修羅場を繰り広げ、別れの危機が訪れる。果たして今度の恋愛も失敗なのか――。 
 
 来月には、自身が脚本を担当した同タイトルの映画公開も控える(2022年10月14日公開)。一つの物語を、戯曲、映画脚本、小説と、時を経て異なる形でアウトプットして気づいたこととは? 本人に話をうかがった。(イワモトエミ) 


全員が主役の群像劇を

  


――本作は2015年に上演された戯曲がベースになっています。今、小説化に至った経緯を教えてください。 
 
根本:まず、映画化のお話があったんです。それが2019年ごろだったと思います。そんな時を経て、ましてやこの作品の映画化の話が来るとは思っていなかったので、「この作品で本当に合っていますか」と確認しました。ラストシーンに向かっていく部分は映像化するには工夫が必要なので、どう映画にするんだろうなというのもあって。それで「私が脚本を担当して、山岸(聖太)監督にお願いできるのであれば」とお返事したら、OKが出て、映画の脚本を書き終えた頃に「小説版も出しませんか」と、話が進んでいきました。 
 
――本作の原点でもある戯曲は、どんな思いで書かれた作品なんでしょう? 
 
根本:実はテーマや内容が先にあったというよりも、演出家としての技術をもっと磨きたいと思って作った作品なんです。舞台版では上下に4部屋のセットを作って、4組のカップルの話がほぼ同時進行していく形にすることで、演出しなければならない部分を増やし、自分自身に負荷をかけた芝居にしました。 
 
 ずっと一緒に舞台を作ってきた女優陣、当時は私も役者を務めていたので、私を含めた4人全員が主役のような芝居を書けないかなと思いついたのが、この群像劇だったんです。 
 

――公演当時、ものすごい反響でしたよね。ラストに向けてのクライマックスで熱狂したという人が多かった記憶があります。それこそ、今回、映画化、小説化と話題にもなるタイミングでの再演というのは考えてなかったんでしょうか。 
 
根本:やってみたいなとは思うんですけど、当時ほどの熱狂を今の私が生むことができるのか、年齢を重ねたことによってこの作品を熱を持って演出できるのかというのが自分の中でも分からないんですよね。それと、舞台版は当時の女優陣に当てて書いているので、キャストを変えてというのもなかなか……。だったら、別の作品を書いたほうがいいのではないか、という思いもあります。これは2度と舞台ではやらないんじゃないかな。 
 
――同じ作品をベースに、映画の脚本、小説と、それぞれどのように執筆されたんでしょうか。 
 
根本:映画は、山岸監督をはじめとする映画のプロの方たちと一緒に作ることができたのが大きかったです。私としては、何年も前に書いた作品なので、今読み返すと荒削りだなと思ったり、勢いだけで書いているなという部分もあったりするんですよね。でも、私以上に山岸監督と(近藤)多聞プロデューサーのこの作品への信頼度がブレずに高いままだったので、私もおふたりを信じて書き進めることができました。映画の脚本は、役者たちも含めて、一緒に作る人たちがいたから書けたものだなと思います。 
 
 小説は、映画の初号試写を見た後に執筆するスケジュールにしてもらったんですよね。映画版がすばらしい出来上がりになっていたので、小説を読んだ人が「映画も見たい!」と思ってくれるものにしなければというプレッシャーがありました。でも、映画を見てから書くことで助けられた部分も多いです。セリフの段階ではどうなるか分からなかったことが目に見える形になっているので、映像からヒントも得ています。とはいえ、後半のクライマックスに向かって、どういう仕掛けで書けばいいのか、基本的に1人で考えなければならないのは大変でした。映画みたいに、最後にaikoさん(映画版の主題歌を担当)も歌ってくれないし。歌ってほしいですよ、小説の最後にも(笑)。でも、小説版も面白いところに落とし込めたので、本当に思いついてよかったなと思います。 
 

――最後の部分は、読んでいてびっくりしました。ここは読んでからのお楽しみなので詳しくは言えませんが、とある仕掛けがあります。 
 
根本:ちょっとした演出というか、小説家専業の方だったらやらないだろうなということをやってみました。私はあくまで劇作家で、小説のフィールドにお邪魔して書いているという認識なんですよね。自分が小説を書く意味は、こういう面白い仕掛けをやってみることにあるんじゃないかなとも思っていて。


好きな人と一緒にいる楽しさを文字で残す

 

――本作には男女8人のキャラクターが登場します。小説版では、序章のエピソードを含め、それぞれのバックグラウンドが細かく描かれていますね。どのように肉付けしていったんでしょうか。 
 
根本:前作の小説(『今、出来る、精一杯。』)もそうだったんですが、基本的に演出家として自分が言ったことを書いています。舞台稽古中って、シーンにはない、キャラクターのエピソードも話しているんですよね。舞台版からかなり時間が経っているので、当時言ったことを全ておぼえているわけではないんですけど、こういう人だと思って書いていたなと思い出しながら書きました。ただ、映画脚本と同じように、戯曲も稽古場で役者が演じる動きなどにヒントをもらってセリフを足して作っていったので、そういう意味では役者の力も借りて、キャラクターを本当にそこにいる人たちのように見せることができていたんだと思います。なので、小説は1人で8人のキャラクターを書き分けなくてはならないのがタフな作業でした。 
 
――物語のほとんどは4人の女性の視点から描かれていますが、女性陣だけでもキャラが全然違いますもんね。デザイナーの真知子、ギャルの美和、シングルマザーの風俗嬢・七瀬、子役上がりの俳優・鈴と、決して交わることがなさそうな4人です。 
 
根本:そうなんです。それぞれのキャラを書いている時は、自分とは別の人格で書いているような感じでした。私自身からすると「何言ってんだ、この人」と思うことでも、書いている最中だけは、それぞれが言うことを信じて書いていたんですよね。だから、小説執筆中は4人が自分の中にいるのでけっこう気が狂いそうでした(笑)。 
 
――前作の小説も本作も、モノローグで物語が進んでいく形で、セリフも多く、演劇的だなと感じました。それには何かこだわりが? 
 
根本:やっぱり、ずっとセリフを書いてきたので、しゃべり言葉で届けるほうが今の自分の技量としてもいちばん届くだろうなと思うんです。自分が書いていて楽しいというのもあるんですけどね。 
 
 今回の小説版は映画のノベライズ扱いでもあって、映画を見た人が読んでシーンを思い出す材料にもしてほしくて、映画のセリフはほとんど残すようにしました。すべて一人の作家が担当しているからできることですよね。なので、セリフが多くなることを気にせずに書いています。映画の脚本は、戯曲の中でも自分が好きなセリフたちを残すようにして書いたので、厳選されたセリフなんです。中には本当は削りたくなかったものもあったので、小説版では復活させているものもあります。 
 
 それに、セリフの掛け合いだから面白くなるシーンってあるんですよね。例えば、美和と彼氏の怜人(ヒモ男のYouTube配信者)がケンカをするシーン。高校時代のダンス部の集まりに行くという美和と、何人ぐらいがまだダンスをやっているのかと突っかかってくる怜人のやりとりは、ただの描写よりもセリフだからにじみ出てくるウザさがあると思います。「そういう言い方をしてくれるなよ」といった、生々しさもこの作品の魅力の一つだと思うので、そういった部分は積極的に残しました。 
 
――映画や小説では、コロナ禍という背景が物語に付け加えられています。何か狙いがあったのでしょうか。 
 
根本:映画化の話をいただいたのはコロナ禍より前でした。だけど、制作途中でコロナ禍になり、日常を生きていたはずなのに、突然ウイルスがやってきて、いろんなことがガラリと変わってしまって……。マスクや手洗いも人によってしたり、しなかったりと、それぞれの人間性や価値観、生活の違いがまた一つ分かりやすくなったタイミングだったので、異なる4組の群像劇を書くうえで要素として入れたほうがいいなと思ったんです。 
 
 特に、物語のほとんどが家の中での出来事と、表現できることにも制限があるので、家に帰ってきた時の描写はそれぞれの違いを描くうえで大事になってくるなと感じました。結果として、うまく時代に寄り添った作品にできたかなと思います。 
 

――戯曲、映画脚本、小説と書き分けてみて、何か発見はありましたか。 
 
根本:やっぱりどれも別物だなと思いましたね。物語の筋としては同じでも、ラストのクライマックスに向けて全く同じ手法は使えないので、物語を考えるうえではとても勉強になりました。3パターンやってみて、映画も小説も、演劇をやっていたからこそ思いついたアイデアだったので、やっぱり自分には演劇がいちばん向いているんだろうなと思います。 
 
――クズ男だけでなく、クズ男に沼ってしまう自分たちをも愛していこうとする女たちの力強さに、本作は恋愛讃歌の物語だなと感じました。根本さんは、恋愛の幸せって、どんなところにあるとお考えですか。 
 
根本:自分のためだけだとできないことが、他人のためならできるのが恋愛の醍醐味なんじゃないかなと思っています。例えば、私は家の片付けが嫌いなんですけど、好きな人と住んでいたら、その人が快適に過ごしてほしいから片付けられる。で、結果的には自分もきれいに片付いているほうがいいんですよね。本当に私は自分のために生きられないということを年を重ねるたび痛感しています。 



――自分1人だと、とたんに腰が重くなって怠け者になっちゃうんですよね。 
 
根本:1人だと、自分の中での「別にこれでいいから」という意地のようなものが凝り固まっていってしまう気がするんですよね。それこそ、物語に出てくるフリーターの泰造みたいに、自分を納得させるために「汚い部屋のほうが免疫がついていい」みたいな謎の理論を唱え出すじゃないですか。 
 
 全てを相手に合わせるということではなくて、人といることで自分自身が変わって楽しいこともあると思うんです。年を重ねるごとに、そんな風に、人と関わり合うことを楽しめるようになってきました。 
 
 以前は基本的に「なんで私のこと分かってくれないの!」と怒っていることが多くて、舞台版はそういう怒りの熱量を“おもしろ”の方向に振ってエンタメ作品として書いたものなんですよね。映画もその要素を残して作ってくださったので、スカッと笑える最後になっていると思います。だけど、小説では、好きな人と一緒にいることの楽しさや大事さを文字で残しておきたいという気持ちもあって、そういう言葉で締めくくりました。恋人だけじゃなくて、大事な友人や家族に対して、もっと言えば人と共存していくことに対して、今の、32歳の私が思っていることを残したいという思いが小説を書くうえではあったんだと思います。 


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