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ゲームクリエイター小島秀夫が『メタルギア』『デススト』で世界中の子どもたちに伝えようとしたこと

2022年09月28日 16:00  CINRA.NET

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Text by 岩見旦
Text by Jini

世界でもっとも有名なビデオゲームは何だろう。マリオにゼルダ、最近だとマインクラフトにフォートナイト。とても一本に絞ることは難しい。しかし世界でもっとも有名なゲームクリエイターであれば、選択肢は大きく絞れる。その筆頭が、小島秀夫だ。世界的なヒット作品を次々に世に送り出し、その独自の作風と人間性に迫るテーマからカリスマ的な人気を集め、Twitter、Instagramでもっともフォロワー数が多いゲームクリエイターとしてギネス世界記録も持っている。

小島秀夫はいかにしてゲームクリエイターとして世界的なカリスマとして認められたのか。小島独自の作風とは一体何か。小島作品の魅力とは何か。ビデオゲームの常識を変革し続けるその哲学に迫る。

小島秀夫は1963年、東京都の世田谷区に生まれる。幼少期は父の影響から本や映画に日常的に触れることが多く、転勤の多い生活であっという間に読書家の映画少年になった。そして小島はさまざまな空想に没頭するうちに、「誰も行ったことのない世界」に行くこと、つまり宇宙飛行士になることを願うが、宇宙産業に対する関心の薄い日本でその夢はあまりに遠かった。

そんな小島が次に注目したのがゲームクリエイターへの道だった。ファミコンが出て間もない当時、空想の世界をプレイヤーが自らコントローラーを介して没入していくインタラクティブな性質に「月面に行くような未来」を見出す。月面に自分が行けなくても、「誰かを連れて行く」ことができたなら……。そう考えた小島はコナミに入社。そこで彼が開発したのが、後に自身を象徴するゲームシリーズとなる『メタルギア』だ。

『メタルギア』は特殊部隊に所属する兵士「ソリッド・スネーク」として、敵地に潜入するというコンセプトだ。潜入という任務から、主人公は敵と戦うのでなく、隠れながら進まなければいけない。この「かくれんぼゲーム」は当時として非常に新鮮なもので、さらに映画『ニューヨーク1997』(1981年日本公開 / ジョン・カーペンター監督)をモチーフとした「敵地の潜入」というフィクションによって没入感を高め、後に『メタルギア』シリーズのコアとなる体験「タクティカル・エスピオナージ・アクション」はすでにこの処女作から完成されていた。

小島は『メタルギア』以降も、文学的・映像的な想像力を一層拡張した作品に挑戦する。映画『ブレードランナー』(1982年日本公開 / リドリー・スコット監督)に代表されるサイバーパンク的な世界観を舞台にしたアドベンチャーゲーム『スナッチャー』(1988年発売開始)や、スペースコロニーというSF的なモチーフを使いながらもより大きなスケールで物語を展開した『ポリスノーツ』(1994年発売開始)など、小島は自身の教養をいかんなく発揮しつつ、同時にゲームならではの表現や魅力を追求し続けた。

ここまでの小島作品は、比較的マイナーなゲームハードで展開されていたために、コアなファンを獲得するにとどまっていた。そんな彼の認知を大きく引き上げたのが、1998年に発売された『メタルギアソリッド』だ。初代『メタルギア』はMSXでのさまざまな制約のうえで開発されたのに対し、ソニーがゲーム業界に参加するきっかけとなったPlayStation上で開発された『メタルギアソリッド』は、当時として最高水準の3D表現によって戦場の緊張感、人間同士の演技を見事に表現し、日本のみならず世界的に大きく評価された。

続けて小島は2001年にPS2向けに『メタルギアソリッド2』を発売すると、前作を上回るゲームプレイや演出の進化を見せた。しかも、後半にはゲーム上で描かれた「紛争」の正体は高度に演出された「演習」に過ぎず、プレイヤーに課された「任務」は言葉やルールによってプレイヤーの行動を支配できるかという「実験」に過ぎなかったということを明らかにする、ビデオゲームの構造に自己言及した衝撃の展開を用意していた。

小島が『2』を通じて、ゲーマーたちに「ゲームをプレイする理由」を問いかけたのみならず、特に情報化された現代社会において「真実」が抽象化され、都合よく解釈されていく「ポスト・トゥルース」の到来を予言したかのようなテーマを、2001年にビデオゲームで実現していたことには2022年現在でも驚きを隠せない。2000年以降はこうした小島の才能がゲーム業界内外から評価され、2001年には米『ニューズウィーク』誌の「未来を切り拓く10人」に日本人として唯一選ばれている。

2004年に発売した『メタルギアソリッド3』ではこれまで主に現在より未来をテーマにした作風から一転、冷戦を舞台に2人のスパイがぶつかりあうドラマチックな内容に仕上げた。こちらでは『007』シリーズなど往年のスパイ映画へのオマージュをふんだんに盛り込みながらも、当時忘れられつつあった冷戦に刻まれた「核」への恐怖をリフレインさせ、シリーズで一貫して描いてきた「反戦」「反核」のテーマの集大成となった。

ここまで論じてきたように、小島秀夫は一貫して作品を通じてプレイヤーに大切なことを伝えようとしてきた。小島はプレイヤーとの交流を通じて感じたことをこう語る。

なぜいまのこの世界はこうなっているのか、戦争や核兵器が恐ろしいものだというのならば、なぜそれはなくならないのか。若い世代には、そのことがわからない、ということに気づかされたのだ。 - 文春オンライン「『メタルギア』の小島秀夫が考える“エンタメが戦争から逃げられない”理由」より(https://bunshun.jp/articles/-/3899)面白いゲームをつくるのは当たり前、しかし、そのうえでビデオゲームを通じて戦争について考えてほしい。幼き小島が文学や映画に夢中になったように、いまの子どもたちにもゲームを通じて楽しませ、そして、大切なことについて考える機会を与えたい。そんな小島の態度があらゆる歴代作品を貫徹している。

そして小島作品の素晴らしい点は、そうした作家性を惜しみなくゲームを遊ぶ「子どもたち」にも向けていることだ。特に『メタルギア』シリーズには現実の歴史や政治を扱ううえで大人にも難解なテーマも含まれるが、こうしたテーマをドラマチックな脚本や声優陣の演技によって盛り上げ、時にダンボールを被って潜入するようなコメディーリリーフやゲーム世界のなかに無数に隠されたイースターエッグなど、世代を問わず楽しめるような工夫が散見される。

特に『メタルギア』シリーズの多くは主人公と敵の関係が(擬似的なものを含める)「親子」であり、その因縁を超越していくテーマが盛り込まれているのも、子どもたちへの真摯な態度の一つだ。

また2003年、ゲームボーイアドバンス向けに発売した『ボクらの太陽』では、カートリッジに太陽光を検知するセンサーが内蔵されており、効率的に攻略するには太陽のしたでゲームを遊ばなければいけない、というユニークなゲームデザインが組み込まれた。これは「子どもたちがゲームばかりして家に引きこもってしまう」という世間的な懸念に対し、いっそビデオゲームを通じて外で太陽を浴びる喜びを思い出してほしいという願いから設計されている。

その後も小島は『メタルギア』シリーズから『メタルギアソリッド4』(2008年)、『メタルギアソリッド ピースウォーカー』(2010年)、『メタルギアソリッドV』(2014~2015年)など時代の最先端を切り拓くような作品を発売し、日本はおろか世界を代表するゲームクリエイターとしての立場を確立する。しかし2015年12月15日、約30年勤め続けたコナミを退社することが発表。突然のスクープに新聞各社も取り上げた。

2015年、コナミを突然退社することになった小島だが、復活は驚くほど早かった。退社発表から翌日16日には新会社「コジマプロダクション」を設立、さらに2016年6月には新作として『DEATH STRANDING』を発表。同時に公開されたトレイラーでは、一糸まとわぬ姿のノーマン・リーダスが赤子を抱え、さまざまな遺体が「座礁」した砂浜で空に浮かぶ亡霊と対峙するシュルレアリスムな映像が流れ、全世界の小島ファンは熱狂した。

発表から3年後、無事に2019年に発売された『DEATH STRANDING』のコンセプトは、「棒」から「なわ」へというものだった。小島は安部公房の短編小説『なわ』から「『なわ』は、『棒』とならんで、もっとも古い人間の『道具』の一つだった」という一節を引用しつつ、従来のビデオゲームの多くは「棒」、つまり銃や剣によって敵対する存在を退けようとするものだったが、一方で「なわ」、何かを結びつけたり、引き寄せるための道具を使ったゲームが少なかったことを指摘する。

そして『DEATH STRANDING』とはまさに「なわ」のゲームだった。原因不明の厄災によって崩壊したアメリカ合衆国を舞台に、辛うじて生き延びた人々が各々のシェルターに引きこもるなか、そうしたシェルターの間で物資を運ぶ「配達人(ポーター)」となる。よって本作の目的は一部を除いて敵を倒すことではなく、人間同士を配達によって結ぶ(ストランド)ことなのだ。

また本作はビデオゲームとしての「面白さ」の構築にも余念がない。プレイヤーに求められる仕事はほぼすべて、荷物をある地点から別の地点まで運ぶだけだが、険しい地形を歩きつつ荷物を落とさずバランスを保つスリルや、次々に解放されていくユニークなガジェットを使う喜び、そして物語上でも重要な「BB」という赤子と共存する新しい体験と、まさに「棒」でなく「なわ」を使ったユニークな「遊び」を一切妥協なく盛り込んだ。

なかでも特徴的なのが、オンライン上でプレイヤー同士が緩やかにつながる「ソーシャル・ストランド・システム」だ。本作はオンライン上でプレイが可能だが、他の多くのゲームのように、リアルタイムでプレイヤー同士が競争したり協力することはない。

その代わり、自分が配達のために設置した梯子や橋がランダムに共有されたり、その共有に対して「いいね!」という評価を送るなどして、非同期的に他人とつながることができる。現代のソーシャルメディアをゲームとして取り込みつつ、そこにポジティブかつ「つながりすぎない」コミュニケーションを実現することで情報社会のオルタナティブまで提示している。

『DEATH STRANDING』は2021年に全世界で500万本を売り上げるヒットを記録。独立したばかりで大企業のようなネットワークもなく、スタッフも100人程度でこの記録は異例だった。また本作の実績により、2020年には英国映画テレビ芸術アカデミーから『フェローシップ賞』、2022年には文化庁から『文部科学大臣賞』をそれぞれ授与されている。

2022年6月、小島は次回作に向けて開発を進めていることを発表した。タイトルや発売時期については未定だが、これまでの小島の軌跡を鑑みれば、誰もがその新作を期待せざるを得ないだろう。

そして9月8日から、小島はSpotify独占でポッドキャスト番組『Hideo Kojima presents Brain Structure』の配信をスタートさせた。日本語版と英語版の2言語にて制作され、今後は各界を代表するリーダーやクリエイターをゲストに招いて対談も行なう予定だ。

最後に小島の創作を支え続けた、彼の創作への祈りを紹介して記事を閉じたい。

物語やフィクションは現実逃避だと、しばしば批判される。しかし、フィクションには真実がある。それを先取りして、現実を是正するために戦う手段にもなる。 - 『創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち』小島秀夫