Text by 生田綾
Text by 韓光勲
大阪市北区の映画館、「テアトル梅田」が9月30日をもって閉館する。『トレインスポッティング』や『アメリ』、『ムトゥ 踊るマハラジャ』など、32年にわたり、関西にミニシアターの灯をともし続けたテアトル梅田。なぜ、このタイミングで閉館するのか。今後のミニシアター事情は。支配人の木幡明夫さんに話を聞いた。
テアトル梅田は1990年4月19日にオープン。芸術映画からインディペンデント映画、ドキュメンタリー映画や『アカデミー賞』作品まで、2000本以上の映画を上映し続けてきた。
7月に閉館が発表されると、映画ファンから惜しむ声が相次いだ。
木幡さんは閉館の背景について、「梅田にはほかに系列のシネ・リーブル梅田(4スクリーン)があり、今後はそちらに集中するという会社としての経営判断です。コロナ禍はあまり関係ありません」と語る。2020年からのコロナ禍で観客動員数は低迷した時期もあったが、最近は回復基調だった。
近年は映画を見る方法が変わってきた。Netflixなどの配信サービスの台頭により、映画館へ足を運ぶ人も少なくなっているのでは。そう聞くと、木幡さんは「むしろ映画への入り口が多くなっているともいえる。昔はビデオが登場して『映画館の危機』だと言われた。それでもミニシアターブームが起こった」と話す。
<テアトル梅田支配人の木幡明夫さん>
1980年代から1990年代にかけて、都市圏を中心にミニシアターが続々とつくられる「ミニシアーブーム」があった。テアトル梅田も開館当時はミニシアターブームの真っ只中だった。
「当時は文化的なニオイに惹かれて、多くの若者がミニシアターに足を運びました。1978年生まれのぼく、ぎりぎりその雰囲気を覚えています。少し背伸びして、一人でミニシアターに行って映画を見ていました。『トレインスポッティング』は原作も読んで、CDも買ったり。ミニシアターと書店、レコードショップがワンセットになっていた時代ですね」
テアトル梅田でも、『トレインスポッティング』(1997)や『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995)はさまざまな催し物と一緒に大展開したという。ビデオの登場は映画文化への入り口となり、過去作をビデオで見たうえで映画館へ足を運ぶという好循環があった。
テアトル梅田の歴代ランキング1位は『アメリ』(2001)。約7万人を動員し、興行収入は1億円を超えた。テアトル梅田のみで1億円を超えた作品は後にも先にも『アメリ』のみだという。
同系列のシネ・リーブル梅田とは棲み分け、文芸作品や芸術映画を多く上映してきた。近年はユダヤ人の女性監督でバイセクシュアルでもあったシャンタル・アケルマンの特集上映に若い女性の姿が目立ったという。
「過去作上映に年輩のお客さんが多いのは事実ですが、若い人が着実に増えてきていました。フェミニズムに関心のある方々がシャンタル・アケルマン監督の作品を新たに発見してくれたのだと思います」
32年間、梅田で上映を続けたテアトル梅田の閉館を惜しむ声は大きい。今後の関西のミニシアター事情はどうなるのだろうか。
「今回の閉館を『映画文化の衰退の象徴』としてとらえてほしくない」と、木幡さん。たしかに、大阪には他にもシネマート心斎橋やシネ・ヌーヴォ、第七藝術劇場など、たくさんの特色あるミニシアターが存在する。
さらに、テアトル梅田の上映機能はシネ・リーブル梅田に引き継がれ、巨匠監督の過去作上映なども続けていく。
「大変残念で申し訳ないのですが、惜しんでくれる声を受けながら閉館するというのは幸せなことです。シネ・リーブル梅田もありますし、関西には魅力的な映画館がたくさんある。映画を観る動機はなんでもいい。ぜひこれからも映画館へ足を運んでほしいです」
テアトル梅田では、9月16日から30日まで、「テアトル梅田を彩った映画たち」を開催。『アメリ』や『トレインスポッティング』、『この世界の片隅に』など計23作品を上映した。