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戦争を知らない世代が記憶を紡ぐためにーー額賀澪×庭田杏珠『モノクロの夏に帰る』対談

2022年09月28日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

 額賀澪の新作小説『モノクロの夏に帰る』(中央公論新社)は、戦時中のモノクロ写真をカラー化した写真集『時をかける色彩』をきっかけに、現代を生きる若者たちが遠い記憶となりつつある戦争について考える青春小説だ。作中に出てくる写真集は、2020年に刊行された庭田杏珠×渡邉英徳の『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)がモデルになっているという。戦争を知る世代が次第に去っていく中で、我々はどのようにしてその記憶を紡いでいくべきなのかーーそんな問いについて考えるべく、額賀澪と庭田杏珠の対談を行った。(編集部)


参考:現代史家・大木毅に訊く、戦争の記憶を辿る意義 「今日にあって明日を考えるためには、昨日を知っておく必要がある」


■現代から過去の戦争を見るような小説


――額賀さんが書かれた小説『モノクロの夏に帰る』(中央公論新社)の中で重要なモチーフとして各話に登場する架空の写真集『時をかける色彩』は、庭田杏珠さんの『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)をモデルとしているとのことですが、そもそもこのような小説を書くに至った経緯から、まずは教えていただけますか?


額賀澪(以下、額賀):経緯としては本当に、「次は何を書こうかな?」って考えているとき、ちょうどタイミングよく『AIとカラー化した写真~』が書店に平積みされていて。その何年か前から、AIでカラー化した戦時中のモノクロ写真がSNSで紹介されているのは知っていて、この本が出たことも知っていたんですけど、実際手に取って読んでみたらすごく面白くて、「小説にしてみたい」と思ったんです。ただ正直、戦争を題材にすることに最初は後ろめたさがありました。


――というと?


額賀:私は1990年生まれで、世代的には「祖父母が戦争を体験しました」という子がギリギリいる世代なんです。ただ、私の祖父は戦争中は4歳とか5歳だったので、戦争のことをあんまり覚えてないし、出てくる話もすごくほのぼのしていて。だから、「私が戦争について言えることは、何もないんだよなあ……」ってずっと思っていたところがあって、小説家になってからも戦争に関する小説を書こうとは、正直あんまり思っていなかった。戦争を書くべき宿命や当事者性みたいなものが自分にはないし、そんな人間が書いた「戦争もの」なんて、誰にも読んでもらえないんじゃないかっていう思いもあって。だけど、この『AIとカラー化した写真~』を読んだときに、「このアプローチならあり得るし、それはまだ誰も書いてないんだ」と思ったんです。題材は戦争だけど、現代を舞台にして……現代から過去の戦争を見るような小説ならあり得ると思ったし、私が書く理由にもなる。それが最初に、この小説を書こうと思ったきっかけです。


――それで「記憶の解凍」プロジェクトの渡邉英徳教授と庭田さんに連絡を取った感じですか?


額賀:そうですね。東大の渡邉先生と庭田さんにご連絡して、東大に私がお邪魔して、いろいろお話を聞かせていただいて……。


――庭田さんは、驚かれたんじゃないですか?


庭田杏珠(以下、庭田):はい、驚きました(笑)。ただそのあと、私たちがこの本に込めた戦争体験者の方々の「想い」とか「記憶」というものを、額賀さんに小説という形でまた新しく伝えていただけるのは、とても嬉しいことだなと思うようになりました。「戦争の新しい伝え方」という意味で、私がこれまでやってきたことと、どこか繋がっているんじゃないかと思って。


――実際、その打ち合わせでは、どんな話をされたのですか?


額賀:最初にお会いしたときは、モノクロ写真をAIでカラー化する具体的な工程についてとかを結構お聞きして……実を言うと、最初はこの、モノクロ写真をカラー化していくプロジェクトそのものを書けないかなって思っていたんです。それで、技術的なところも結構うかがっていたんですけど、いろいろ話を聞いているうちに、カラー化されたモノクロ写真を見た側、受け取った側の話のほうが面白いかもなと思い始めました。私自身、この本に掲載されているカラー化した写真を見て、ものすごく印象が変わったものがいっぱいあったから。この本には、教科書とかで何度も見たような写真も、いっぱい載っていて……。


――それこそ、昭和天皇とマッカーサーの2ショット写真とか。


額賀:まさに、それですよね。私は、あれがいちばん印象的だったんですけど、あの写真って日本史の教科書で、散々見てきた写真じゃないですか。「日本は戦争に負けて、アメリカの統治下になりました」という項目には必ずあの写真が載っていて。で、歴史の先生が、「この写真を見て、日本人は敗戦を実感しました」みたいなことを説明するっていう。


――はい。


額賀:確かに、モノクロのときって、私もそんな印象だったんですよね。マッカーサーがめちゃくちゃ偉そうで、昭和天皇がちょっと緊張しているみたいな。ただ、それがカラーになると、ちょっと印象が変わるんですよね。むしろ、マッカーサーのほうが緊張しているように見えたりとか。そうやって、受け取った側の人間も、単に「カラーだな」って思うだけじゃなくて、そこからいろんなことを感じたり、考えたりする。そういうところで、いろいろなドラマが書けるんじゃないかっていうふうに思い直して、そこから今のような形になっていったんですよね。


■ずっと地続きで戦争を感じている


庭田:額賀さんとお会いして、いろいろお話をさせていただいたあと、小説のプロットを送っていただいて、少し提案させてもらいました。そして、出版前に小説の最終版を読んだときに 「ああ、素晴らしいな」って思って。というのは、広島で生まれ育った私自身の体験はもちろん、戦争体験者ひとりひとりから直接受け取ったメッセージが、登場人物のセリフとして散りばめられていたから。私ではなく、登場人物が語るんです。その部分が「新しい伝え方だな」と感動しました。あと、ロシアのウクライナ侵攻のことも盛り込まれているじゃないですか。そこがすごいなと思って……。 


額賀:そこはホント、どうしようかと思ったんですよね。この小説を一回書き上げたあと、ロシアがウクライナに侵攻して……当時は、そんなことが本当に起こるなんて思ってなかったんです。だけど、今年の2月に侵攻が始まって……もちろん、その頃はいつ終わるのかもわからなかったし、実際まだ戦争は続いている状況ですけど、小説の内容が内容だけに、ウクライナ侵攻のことは書いておきたかったんです。この一年ぐらいで、いろんなことがひっくり返っちゃいましたよね。


庭田:本当にそうですよね。ウクライナのニュース映像や写真を見ながら、戦争によって日常が一瞬にして失われていく現実を目の当たりにしてしまったというか。それは、私がこれまで、戦争体験者の方々から聞いてきた話とまったく同じであって……そのことを改めて実感してしまいました。


額賀:戦争って、これまでずっと「起こさないように頑張りましょう」という感覚でいたというか、「自分たちは、戦争を起こさないことができる」って、みんなどこかで思っていたんじゃないかな。私たちは過去のあやまちを糧にちょっとずつ賢明な生き物になっていて、「いい社会」を作れるようになっているんだっていう驕りがあったというか。だけど、実際は80年前とそんなに変わってない。この一年で、そのことを改めて思い知りましたよね。


――そういったウクライナ情勢を受けて、この『AIとカラー化した写真~』のリアクションみたいなものも、少し変わってきたところがあったんじゃないですか?


庭田:そうですね。私自身、実際にウクライナの戦争が始まって、それが続いているような状況の中で今年も8月6日の広島「原爆の日」を迎えて、ずっと地続きで戦争を感じています。こういう情勢だからこそ、改めて実感が湧くという感想をいろいろな人から――特に、私の同世代の読者の方からいただいたりしました。あとは、額賀さんの小説を読んで、そのあとに私の本を手に取って、さらにいろいろなことを考えるきっかけになった方も、結構いるみたいです。


――ちなみに、写真集をめぐる4つの物語で構成された額賀さんの小説『モノクロの夏に帰る』は、それぞれの主人公が「セクシャルマイノリティの書店員」「保健室登校の女子中学生」「家族にコンプレックスを持つテレビマン」「アメリカから来た高校生と、福島から来た高校生」といったように、かなりふり幅の広い人々の物語――いわゆるマジョリティ側ではない人たちの物語になっていて。そこが非常に面白いと思いました。


額賀:そうですね。意外と共通するところがあると思ったというか、ここ最近の私たちは、「共感」というものを大事にし過ぎなんじゃないかなと思っているんです。『モノクロの夏に帰る』の帯にも思い切り「共感と感涙の物語」って書いてあるんですけどね(笑)。共感できないから理解できない、共感できないから大切にしない、共感できないから知ろうとしない……共感の有無が物事を受け入れる物差しになってしまっている気がするんです。でも、世の中はそう都合よく自分が共感できるものであふれてるわけじゃない。それは「戦争」はもちろん、いろんな問題と繋がっているような気がするんです。それこそ、この小説の第四話に登場する「アメリカから来た高校生」が特にそうなんですけど、彼は最後まで「日本が真珠湾を攻撃しなければ原爆投下もなかった」という考えを変えないんです。


――はい。


額賀:結構いろいろな読者さんから、第四話は「彼が最終的に考えを改める物語なんだろうなって思いながら読んでいました」という声を聞くんですけど、この問題をそんな簡単な話にはできないんですよね。「立場が変わると考え方も変わる」とまとめてしまうのは簡単ですけど、太平洋戦争に関しては、アメリカの認識と日本の認識は大きくズレていて、なかなかわかり合えない。ただ、わかり合えないまま信頼し合うとか、わかり合えないまま思い合うということは可能だと思うんです。共感できないけど、寄り添うことはできるっていう。この小説の最後に、そういうものを書いておきたいなっていうのは、実はちょっとありました。


■自分と重ね合わせて想像できることが大事


――『AIとカラー化した写真~』にも書かれていましたし、『モノクロの夏に帰る』の中にもいろいろと反映されているようですが、庭田さん自身が広島で受けてきた「平和学習」について、少し話を聞かせていただいてもいいですか?


庭田:はい。私は2001年の生まれで、私のまわりというか広島で生まれ育った同年代の子とかも、私と同じように幼少期から平和教育を受けているんですけど、私の場合は、平和学習を取り入れている幼稚園だったので……。


――幼稚園から?


庭田:そうなんです。幼稚園の年長のときに、平和教育の一環として、みんなで広島の平和記念資料館に行ったんですけど、当時はまだ改装前だったから、被爆して肌が焼けただれた人たちのジオラマがあったりして、今の改装後の資料館と比べると、「悲惨さ」っていうことをメインに出した展示が多かったんですよね。それを見ていくうちに、もう怖いというか、受け止められないと思ってしまって……。


――幼稚園児ですもんね……。


庭田:そうなんです。そのあと私は広島市の小学校に入学したんですけど、その小学校でも毎年、平和学習の授業があって、そのときは広島以外のことも……私は対馬丸で沖縄から疎開する子どもたちのアニメ映画を、体育館でみんなと一緒に観たりしたんですけど、その映画がもう怖過ぎて。夜、眠れなくなってしまったりして、だんだん苦手意識が高まっていって、毎年、平和学習の頃になると体調を崩すぐらいになってしまったんです。


――そうだったんですね。


庭田:どうしたらいいんだろうって母親に相談したら、それは大人でも怖いことだから、小さい私が受け止めきれないのは当然のことなんだよって言われて。ただ、戦争体験者の方は高齢化していくし、その方たちのお話を直接伺えなくなるよっていうことも言われて……。「聞かなければならない」という義務感から、「聞いておこう」という意識に変わったんです。あと、これは本にも書いたんですけど、小学校五年生の頃に、戦前の中島地区と現在の平和公園が見比べられるようになっているパンフレットを手に取って、そのとき初めて、戦前には今の私たちと変わらない暮らしがあったんだなっていうことがわかって、それでイメージがガラッと変わったんです。今、中島地区は、平和公園になっているけど、かつては広島一の繁華街で、映画館があったり商店があったり、ホント今と変わらない日常があったのに、それが原爆によって一瞬にして失われてしまったんだっていう。そこで初めて「自分事」になったんですよね。


――なるほど。


庭田:ただ、当時は、それをどういうふうに自分が伝えていけばいいのかわからなかったし、「私は、どうしたらいいんだろう……」って思いながら、だったらそういう平和学習が盛んな中高に入学しようと決めました。中学三年間は、平和学習をする委員会がなかったので、普通に新体操部に入部して、バンバン部活動をしていました。


――(笑)。


庭田:(笑)。その後、高校にあがる段階で平和の取り組みをする有志の委員会があることを知って、そこに入ることにしたんです。その活動の中で偶然出会ったのが、私の本でも書かせていただいたように、原爆で家族全員を失った濵井徳三さんでした。濵井さんから、「今もどこかで家族が生きているんじゃないか」という想いとか、片渕須直監督のアニメ映画『この世界の片隅で』を何十回も観に行ったという話をうかがって、それなら濵井さんが大事に持っているモノクロ写真をカラー化してプレゼントしたいと思うようになりました。そこから私の「記憶の解凍」プロジェクトが始まったんです。


――そう、「AIを使ってモノクロ写真をカラー化した」と聞くと、AIが自動的にすべてをやってくれるように思う人がいるかもしれませんが、庭田さんの本に掲載されている写真は、AIで色付けしたあと、さらに資料的な裏付けや、写真を提供してくれたちの意見を反映しながら、さらに色を調整していって……。


庭田:そうですね。私の場合は、ひとりひとりに直接お会いして、お話をうかがうようにしていて。だから、AIでカラー化するのは、最初の下色づけ程度で、残りの9割は、全部手作業でやっているんです。他のカラー化写真とかカラー化映像と、私がやっているカラー化の大きな違いは、やっぱりその「対話」の部分があるかどうかなんです。AIで下色をつけたあと、当時の資料を入念に調べて色を補正して、そのあと当時を知る人たちと対話すると、「ちょっと違う」ってなる場合もやっぱりあるんですよね。そのときに、忠実に再現しようと思ったら、当時の資料の色を活かしたほうがいいんですけど、私の場合は、その戦争体験者の方の「想い」とか「記憶」を、このカラー化写真に込めたいっていうのがあるから、その方がおっしゃった色を、なるべく再現するようにしています。


額賀:庭田さんの本の冒頭に、徐々に色づいていく理髪店(※先述の濵井さんの生家)の写真が3枚連続で掲載されているじゃないですか。それを順番に眺めると、すごくよくわかりますよね。AIで色を付けただけのものは、まだちょっとモノクロの世界に片足を突っ込んでいるところがあるんだけど、対話を経て色補正した2枚目、そしてさらに対話を重ねて調整した3枚目を見ると、どんどん印象が変わっていくんですよ。単なる「昔の写真」ではなく、そこに映っている人の「顔」とか「表情」に、自然と目がいくようになって、感じるものがまた変わってくるという。そこがすごく面白いところですよね。


庭田:やっぱり、戦争というものを歴史上の出来事ではなく、自分と重ね合わせて想像できることが大事なのかなって私は思っていて。さっき挙げた映画『この世界の片隅で』は、主人公である「すずさん」にフォーカスして戦争が描かれていて……だからこそ、当事者の方々をはじめ、世界中の多くの人たちに伝わったんだと思うんですよね。


――最初のほうで庭田さんが言っていた「戦争の新しい伝え方」ではないですけど、その「伝え方」そのものが、いろいろと変わってきているんでしょうね。


額賀:戦争を実際に体験した方々にインタビューをして、当時のことを語ってもらうというのが、そろそろできなくなってくるじゃないですか。そういう中で、何か違う形を模索しようという動きが、今あちこちであるような気がするんです。今年の夏にNHKで放送されていた『新・ドキュメント太平洋戦争』は、当事者の方々に実体験を聞くのではなく、「エゴドキュメント」といって、当時の人の日記とか手紙を収集して、それをAIで解析するという面白いアプローチをしていました。何年にはこの単語が多かったけど、その次の年にはこのワードが増えていると分析していくことで、当時の「情況」みたいなものを浮き彫りにしていくっていう。そうやって、戦争に関するドキュメンタリーの作り方も、いろいろと変わってきているんです。


――戦争体験者がいなくなったあと、どのように戦争を語り伝えていくのか――それが喫緊に問われていることなのかもしれないですよね。おふたりの本も、そういった流れの中で捉えることができるように思いますが、ある種補完関係にもあるように思えるこの二冊を通じて、読者の方々にどんなことを感じてもらいたいと思っていますか?


庭田:過去の遠い出来事に対して、自分の想像力をどう働かせていくのかが、やっぱり私は大事だと思っていて。悲惨な写真や映像を見ることがいけないというわけではないんですけど、そこからは入っていけない人っていうのがやっぱりいて――特に若い世代は、そういう人が多いような気がするので、戦争が始まる前の日常とか、そういったところから現代の私たちと重ね合わせて、それが一瞬にして失われるというのは、どういうことなのかって想像するような。私の本も額賀さんの小説も、何か答えがひとつ出るようなものではなく、それぞれが感じ取ったこと、その思いっていうものが大事なんだと思うんです。その思いというものを、またそれぞれの人が、それぞれの形で発信していく。その受け取り手が、また次の発信者になるっていうことが、すごく大切なのかなと思います。額賀さんの小説は、まさに私たちの本を受け取ってくださって、それをまた新しい形で発信してくださっているものです。この二冊がまた、そういうひとつのきっかけになったら嬉しいです。


額賀:私はこの『モノクロの夏に帰る』に関しては、読んでこういうことを考えてほしいとか、あまりそういうことは考えてないし、読者に求めてもいないところがあって。自分が今まで見てきた戦争を描いた小説とか映画、ドキュメンタリーが、どんな内容でも、その最後に「さて、あなたは戦争についてどんなことを考えましたか?」という問いかけがくっついてくることが多いような気がしていて……。


――最後に感想を求められるというか。


額賀:そう、終わった瞬間に、誰かから感想を求められて、「戦争はいけないと思います。私たちは戦争をしないために○○を頑張っていこうと思います」っていう答えまで、固まりきっているようなところがあって。そういうものにはなってほしくないなって私は思っていて……だから、全部で四話ある中で、いちばん感覚として近いのは、第二話の終わりなんですよね。その話は、中学生の女の子たちが、戦争のことを学んで、その学ぶという体験の中で、ちょっとした人生の起伏みたいなものを経験して、それで夏休みが終わって新学期が始まっていくっていう終わり方してるんですけど、彼女たちがそのあと何かをやるやらないは、そんなに色濃く書かずに終えました。そのあと彼女たちが、平和活動に邁進するみたいな結論を持たせたくなかったんです。だから、質問の答えとしては、作者からこういうことを考えてほしいっていうことはないから、読んだ人が何かを思ったのならそれでいいし、何か思ったけれど、どうすればいいかわからないなって困惑したなら、それはそれでその困惑を大事に取っておいてほしいです。