2022年09月27日 07:01 リアルサウンド
Q1:セミは死ぬ前にどんな景色を見る?
Q2:昆虫は子育てする?
Q3:老けない生き物はいる?
そんな疑問に答える本がある。稲垣栄洋著の『生き物の死にざま』(草思社文庫)だ。
動物好きな筆者なら絶対に好きになるだろう、と友人に勧められて手に取り、読み始めた瞬間から心を奪われた。それ以降、どこにいくにも持ち歩き、ときには電車の中で年甲斐もなく目頭を熱くした。
何のために生きるのか
『生き物の死にざま』と姉妹本にあたる『生き物の死にざま はかない命の物語』(共に稲垣栄洋著・草思社文庫)に綴られているのは、さまざまな生き物たちの死だ。命が燃え尽きるその瞬間の、まるで線香花火が落ちる瞬間の力強く輝く様子を切り取ったような死の描写なのだ。
生き物の生きる目的は子孫繁栄であり、その目的を果たすために命をかける。ときに、子孫のために自らの命を投げ出す。餌が取れにくいなら、パートナーが餌となってメスをサポートする。生まれてきたばかりの子供たちが食べ物を探せないなら、母親が命を差し出す。
その様子は、献身的という言葉では済まされない。そんな壮絶なドラマが、私たちの身近な場所で起こっているのだ。
男性の目線で生き物のオスを語る
同作を書いている生垣栄洋は、静岡大学大学院農学研究科教授で農学博士だ。
同氏は農学博士の視点で動物の死を見つめ、ときに、男性として生き物のオスに強く共感し、己の性を嘆く。チョウチンアンコウのオスの生きざまではこのように書いている。
メスのひもとして、道具としてだけ生きたチョウチンアンコウのオスにとって、「生きる」とは、一体どのような意味を持つのだろうか。男としての生き方としては、ずいぶんと情けないと思うかもしれない。しかし、そうではないのだ。(『生き物の死にざま』メスに寄生し、放精後はメスに吸収されるオス チョウチンアンコウ より一部抜粋)
オスの話をしていたはずが、急に「男」の話にすり替わる。オスの役割が「精子のみ」と強調されると、生垣の文章は、とたんに拳を握りしめるかのような悔しさを滲ませながら「男は……」と語る。冷静さを維持しようとも、感情が溢れてしまうのだろう。
生物を研究すると、男女の役割を強く意識せざるをえなくなるのはわかる。だが、多くの動物に関する書籍は、それを感じさせないようにニュートラルな姿勢をとっている。
一方で、『生き物の死にざま』は、著者の「男はそれでも必死に生きている」という生物の垣根を超えた同性に対する憐憫と肯定がヒシヒシと伝わってくるのだ。
だが動物と人間は違う
では、同シリーズを読んで、動物と人間を同列に考えるようになるのだろうか。
筆者の答えはNOだ。
筆者は種差別に反対で、「人間」ではなく、地球に住むものという意味の「Erthling(アースリング)」を名乗っている。だから、生物のメスを自分に投影して共感したり、彼女たちのように力強く生きて散っていきたいと思う。
しかし、『生き物の死にざま』を読む限り、人間と他の生き物が同じような意識で生と死を受け止めているとは思えないのだ。
日本は少子高齢化ということもあり、妊娠・出産をめぐる議論が頻繁に起こり、「産む性」や「生きる意味」が問われることも珍しくない。だが、人間は子孫繁栄だけを目的に生きるには、あまりにも複雑な社会で暮らしている。本書にある生き物のように本能に従って生きたくても、それを許さない状況が数多く立ちはだかっていたり、さまざまな考えを後押しすることでより良い社会になる可能性を孕んだ社会を築いてきたからだ。
姉妹本となる『生き物の死にざま』の最後の章は「人間」だ。そこで、「ヒト以外の生き物はみな、『今』を生きている」と書いている。ヒトは未来や過去を考える能力を手に入れてしまったために、未だやってこない死を恐るのだ、と。
筆者が学生だった頃に生物教師が言った、「動物は本能と学習能力を持つが、人間はさらに知能を持つ」という言葉を思い出す。その言葉は、若き日の筆者にとって、とても種差別的に聞こえた。
だが、歳を重ね、出産と子育てを経験する中で本書と出会い、「自分は動物のようには生きられない」と実感している。
生垣は「人間」の章で、こう書いている。
「私たちは、なんというやっかいな生き物に生まれてきてしまったのだろう」
筆者は動物に関する本の中で、これほどまでに共感できた一説を読んだことがない。
【クイズの答え】
Q1:セミは死ぬ前にどんな景色を見る?:地面
Q2:昆虫は子育てする?:子供を守る強さを持つ生き物ならする
Q3:老けない生き物はいる?:ハダカデバネズミ