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『燃ゆる女の肖像』セリーヌ・シアマが新作を語る。娘と母の不思議な物語、愛する人の「不在」について

2022年09月22日 18:00  CINRA.NET

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Text by 後藤美波
Text by 常川拓也

現代を代表するフランスのフェミニスト映画作家セリーヌ・シアマの待望の新作『秘密の森の、その向こう』は、彼女史上最も無邪気で愛らしい小さな傑作である。その荘厳なレズビアンロマンスで世界中を打ちのめした前作『燃ゆる女の肖像』(2019年)から打って変わって、長編二作目『トムボーイ』(2011年)や脚本作『ぼくの名前はズッキーニ』(2016年)以来、ふたたび子ども時代を描く、73分のシンプルでミニマルな映画に回帰したのだ。

原題『Petite Maman』(直訳すると「小さなお母さん」)の通り、本作は、8歳のネリー(ジョセフィーヌ・サンス)が森のなかで母親と同じ名を持つ、自身とそっくりの少女マリオン(ジョセフィーヌの双子の妹ガブリエル)──幼少期の「小さな母親」──と出会い、同じ時空間を過ごすひと時をただじっくりとこまやかに見つめる。ふたりは一緒になって小さなツリーハウスを作り、ゲームや芝居ごっこで遊ぶ。テーブルのミルクをこぼしては笑い、パンケーキづくりに失敗して笑い合う。すぐに特別な友情が芽生えるネリーとマリオンだけのイノセントで楽しい時間が流れていく。

ネリーはある種タイムトラベルをしていることになるが、ここに時間の次元を超えるための何か大仰な装置が登場することはない。自然主義を重んじるシアマは、SF的な意匠を完全に排除し、幼いふたりを優しい魔法で結びつける。お互い一人っ子のネリーとマリオンは、初めて仲間に恵まれるのだ。シアマの映画ではいつも主人公は孤独であり、次第に友情が形成する包括的な連帯感によって受け入れられる経験を得るが、『秘密の森の、その向こう』のささやかな魔法は、悲しみを抱えた彼女たちに慰めと喜びをもたらす。

『秘密の森の、その向こう』あらすじ:
8歳のネリーは両親とともに、森の中にぽつんと佇む祖母の家を訪れる。大好きなおばあちゃんが亡くなったので、母が少女時代を過ごしたこの家を、片付けることになったのだ。だが、何を見ても思い出に胸をしめつけられる母は、一人出て行ってしまう。残されたネリーは、かつて母が遊んだ森を探索するうちに、自分と同じ年の少女と出会う。母の名前「マリオン」を名乗るその少女の家に招かれると、そこは「おばあちゃんの家」だった──。
©2021 Lilies Films / France 3 Cinéma

あるいは、現在と過去、現実と不可思議を切り離さず、戸惑うことなく享受する視点は、子どもの柔軟な世界の見方や想像力豊かな感性を反映しているともいえるだろう。森は、『となりのトトロ』(1988年)でサツキとメイが巨大な生き物に出会うように、おとぎ話的な性質を持つ、冒険と摩訶不思議の空間である。シアマは、しばしば保護的な場所を舞台とし、外部からの物差しや絶え間なき監視、縛りつける規則を排除することで、女性同士が結びつきを育むのに必要な自由時間を確保する──彼女たちが出会い、ともに何かを創作し、お互いを愛する姿を讃えるのである。

今回、Zoomを介して対面が叶ったセリーヌ・シアマは、たとえラブストーリーでも必ず友情を中核に据えることを重視していることを言明する。彼女は、映画を通して、女性の新たな可能性を開くという使命感に喜びを感じているようだ。シアマが探求する作劇法は、家父長制の規律が支配する世界を現状のままに留めないための変革的な実践である。

─『秘密の森の、その向こう』は、タイムトラベルでありながら、現在と過去が区分なく地続きに接続されていますね。なぜ子どもの視点にそのようなマジックリアリズムのアプローチを採用したのでしょうか。

シアマ:この脚本を書き始めた当初は、これがタイムトラベル映画だと想定はしていませんでした。ただ心のおもむくまま湧き上がるアイデアの魔力に酔いしれているうちに、気づいたらこのように膨らんでいった。娘と母がお互いこんなふうに出会ったらすごく素敵だなという自分の考えを信頼し、脚本家として、監督として、この欲望にしたがって書き進めていったんです。

ネリーとマリオンは子どもなので、彼女たちはあまり分析することをせずに、ただこの状況を愛することが欲望だろうと自分に言い聞かせました。登場人物が多くを問わないのであれば、映画もタイムトラベルの疑問を扱う必要がないと考えたのです。

また、私は、初期の映画のように、カメラのなかですべてを行ない、スタジオや編集の魔法を使って映画をつくろうと決めました。まさに子どもが道具を使いながら何かつくっていくように、子ども時代の映画をつくり上げていったのです。それによって、映画自体が時間を旅する機械となった。映画は、このような時間の彫刻だと考えることができます。映画の力を強く信じることで本作は生まれたと思います。

セリーヌ・シアマ / photo: ©GUILLAUME COLLET/SIPA/amanaimages
1978年、フランス、ヴァル=ドワーズ生まれ。フランス文学で修士号を取得後、ラ・フェミス(フランス国立映像音響芸術学院)の脚本コースで学ぶ。2004年、脚本家としてデビュー。2007年に卒業制作を発展させた長編『水の中のつぼみ』が、『カンヌ国際映画祭』「ある視点部門」に正式出品され高い評価を受ける。続く『トムボーイ』(2011年)は『ベルリン国際映画祭』のパノラマ部門のオープニング作品として上映され、テディ賞を受賞。さらに、『カンヌ国際映画祭』監督週間オープニング作品となった『ガールフッド』(2014年 / 未)が、セザール賞有望若手女優賞、音楽賞、音響賞にノミネートされ、自身も監督賞にノミネートされ、『ストックホルム国際映画祭』でグランプリを受賞する。また、脚本で参加した『ぼくの名前はズッキーニ』(2016年)でセザール賞脚色賞を受賞する。そして、『燃ゆる女の肖像』(2019年)でカンヌ国際映画祭脚本賞とクィア・パルム賞に輝き、『ゴールデン・グローブ賞』と『英国アカデミー賞』の外国語映画賞にノミネートされ、世界的な名監督としての地位を不動のものとする。その他、ジャック・オーディアール監督の『パリ13区』(2021年)の脚本も手掛ける。

─今回、宮崎駿からの影響を公言されていらっしゃいますね。森は宮崎駿も魅せられている空間ですが、子どもの世界を描くにあたって、彼のどのようなところを参考にしましたか。彼の描く少女たちをどのように感じていますか。

シアマ:おっしゃる通り、私は宮崎駿から非常にインスピレーションを受けています。私が好きなほかの監督たちにもいえることですが、彼の作品に何か共通のテーマや視覚的な参照を得ているというよりも、宮崎駿から感じる、「自分がつくりたいという信念を貫くことで映画をつくることができるのだ」ということに勇気づけられます。

何より宮崎作品は、子どもであっても非常に真剣にとらえ、真剣に向き合っていることが素晴らしいと思います。私はその事実に感動します。誰も宮崎は子ども向けの映画をつくっているとは言わず、彼は純粋にシネマをつくっていると認識していますよね。私自身もそうありたいと願っています。

『秘密の森の、その向こう』 ©2021 Lilies Films / France 3 Cinéma

─本作はネリーの祖母の死を起点に物語が展開します。子どもの物語を通して、孤独や悲しみ、喪失という主題に着目する理由を教えてください。児童養護施設を舞台にした脚本作『ぼくの名前はズッキーニ』は絵本が原作ですが、あの作品も子どもが家族の死に直面するところから始まっていましたね。

シアマ:そのような子ども時代の隠された部分自体に絶対的な関心があるというよりも、子どもという存在を単に無邪気な存在としてではなく、ひとりの人間、ひとつの個として見たときに、彼らもまた喪失や孤独を抱えている存在であるため、それらが全体的にテーマとして浮き上がってくるのだと思います。

『秘密の森の、その向こう』 ©2021 Lilies Films / France 3 Cinéma

シアマ:一方で、子どもは自立性も聡明さもさまざまな資質を兼ね備えている。私は子どもであっても大人であってもシリアスな部分も必要だと思うので、同じように個人として誠実に見ることを心がけています──男性の場合は過小評価して描いてしまいそうなので、私は男性を描くことはほとんどありませんが(笑)。

私が成長するのを助けてくれた映画も子どもたちを真剣に描いていました。私にとって、実際に子どもたちとコラボレーションし、幅広い表現の機会を与えること、真剣に取り組む彼らからアーティストとしての強い意志を感じることは、大きな喜びなのです。子どもたちと一緒に関わるなら、彼らと真剣に向き合わなければならない。幼稚園の先生もそのことにきっと同意してくれるでしょう。

─本作ではジョセフィーヌ&ガブリエル・サンス双子姉妹が母娘役を演じていますが、ふたりの出会いはドッペルゲンガーとの遭遇ともいえます。共同脚本を務めた『パリ13区』(2021年)でもドッペルゲンガーのモチーフがありましたが、本作の着想と何か関連があるでしょうか(※)。

シアマ:『パリ13区』は、エイドリアン・トミネのコミックが原作なので、ドッペルゲンガーの要素も彼のイマジネーションが中心になっていますが、私が最も関わったのは、ふたりの女性のあいだの関係性がどのように変容していくかという部分でした。

『パリ13区』と本作に直接的な関係はありませんが、共通点は、女性同士の連帯感や姉妹的な安心感にあると思います。私はつねにダイナミズムとして、友情関係を通して、何が起こるかを探求したい。恋愛関係であっても家族関係であっても、必ず友情を中心に据えたいのです。そういった部分でこの両作は共通していると思います。

『秘密の森の、その向こう』 ©2021 Lilies Films / France 3 Cinéma

─孤島を舞台にした『燃ゆる女の肖像』に続いて、本作でも女性だけの空間でシスターフッドが育まれる過程を注視しています。そこでは彼女たちの関係を阻害する悪者も介在しませんが、なぜこのような空間を構築することに注意を払っているのでしょうか。

シアマ:それには、ふたつのことを避けたい意図があります。ひとつは、女性が社会からさまざまな抑圧を受けている様を描いて世の中の状況を再現したくない。表象の枠組みでそれを再構成したり、維持したくないのです。そのように表現し続けていくことが大切だと思っています。

オンライン取材に応じるセリーヌ・シアマ監督

シアマ:もうひとつは、女性に課される制限をごまかすことなく現実を描きつつも、彼女たちに休息を与えたい。抑圧や衝突よりも可能性やポテンシャルの方に目を向け、それを最大限に発揮して生きている姿を観察したいのです。ふたりの登場人物がいたとして、何か相反していたり衝突があったりする場合に、どういったことが起こるかというのはなんとなく想像できてしまいますよね。逆にそうではなく、『燃ゆる女の肖像』のようにふたりが同意して一緒に過ごし始めるような状況であれば何が起こるかわからない。

新しい感覚でそのように可能性をどんどん掘り下げていくことでダイナミズムも生まれ、新しいサスペンスを創造することができる。劇的な対立の論理から抜け出すことができると思うのです。私は、新しいドラマツルギーの枠組みを生み出したい。このような研究に参加することが私の仕事だと感じています。いずれにせよ、私はこのやり方が好きなのです。

─『燃ゆる女の肖像』で令嬢、画家、家政婦という階層の異なる3人の女性を対等に見たように、本作でも固定化されたヒエラルキーを崩し、母と娘を同じように見ようとしているようですね。

シアマ:相反するふたりのあいだの緊張感よりも、そのように見た方がまた違う意味での新しい緊張感を生み出すことができると思います。なので、私はいつも同等に描くということを心がけています。

─偶然にもピクサー・アニメーション『私ときどきレッサーパンダ』(2022年)でも娘が子ども時代の母親と会う、似た場面がありました。このような女性が語る母娘の物語の同時代性をどのように思われますか。

シアマ:『私ときどきレッサーパンダ』は大好きで、4回観ました。あの映画を観て、私が初めて本作を着想したときの感覚を思い出し、この母娘の物語が新しいと同時に、昔からあるものだと感じさせてくれました。これは、過去からあったのに、まだ継承され、語り継がれてこなかったフェミニストの神話だと思ったのです。

このような物語を語り継いだほうがいいと考えた女性がほかにいて、同時に似た話を語ろうとしていた。そのことがとても嬉しく、ほぼ同時期に書かれたこのふたつの映画の偶然のシンクロニシティーを私もとても興味深く思います。このような物語は急に降って湧いたのではなく、昔からずっとあったもので、現代に生きる私たちはそれを見つめ、忘れないようにすることが仕事なのだと感じています。

『秘密の森の、その向こう』 ©2021 Lilies Films / France 3 Cinéma

─あなたが脚本を手がけた『17歳にもなると』(2016年)のなかで「欲望のラテン語の語源は不在を惜しむこと」だと説明されますが、「不在を惜しむこと」というのが、あなたの映画の中心にある気がします。なぜこの主題に惹かれますか。

シアマ:『17歳にもなると』のそのフレーズは、監督のアンドレ・テシネが考えたもので、彼が考える欲望のビジョンであり、もともとはロラン・バルトからインスピレーションを受けたセリフだと思います。でもたしかに私自身もそのように思っているのかもしれません。

今回の映画では、「不在を惜しむこと」と「誰かが存在するということ」を結びつけて考えました。たとえ愛する人が亡くなって消えてしまったとしても、不在になってしまったとしても、いつまでもその人の存在を感じているためにはどうしたらいいのか。遠くにいる人、もういなくなってしまった人とどうつながりを持ってこれからも生きていけるか。私はその方法があることを望み、想像上の方法でつながりたいと思いました。

生きているか、亡くなっているか、不在であるかという生の問いから解放され、その存在自体を祝福するために。事実上、その存在を永遠に感じるという意味で、いつまでも愛する人と一緒に生きていける方法を、私はこの映画で描きたいと思っていたのです。

『秘密の森の、その向こう』 ©2021 Lilies Films / France 3 Cinéma