Text by 森谷美穂
Text by 上村由紀子
いよいよミュージカル『ヘアスプレー』日本初演の幕が上がる。本来ならば2020年7月から上演されるはずだったが、コロナ禍により2年の時を経ての開幕となった。本作は1988年に公開された同名映画が原作。作中では1960年代初頭のアメリカを舞台にルッキズムや人種差別などの問題も描かれており、「人種間の分断」を日本初演版でどう表現するかも注目したいポイントだ。
ここでは本作の解説に加え、『ヘアスプレー』が日本で上演される意味について考えてみたい。
ミュージカル『ヘアスプレー』は2002年、ブロードウェイで初演。アメリカ演劇界最高の栄誉、トニー賞ではミュージカル作品賞や演出賞、主演男優賞、主演女優賞など合計8部門で最優秀賞を獲得し、2007年にはミュージカル版を基にふたたび映画化が実現。主人公・トレイシーの母、エドナをジョン・トラボルタが演じたことでも大きな話題を呼んだ。
物語の舞台は1960年代初めのアメリカ・ボルティモア。ビッグサイズの高校生・トレイシーは得意のダンスを活かし、人気テレビ番組『コーニー・コリンズ・ショー』のダンサーになることを夢見てオーディションを受ける。
最初は体型をネガティブにとらえられることもあったトレイシーだが、持ち前の明るさで周囲の人たちの心を動かし次第に人気者に。そんななか、彼女は白人キャストと番組で共演することを許されていない黒人キャストたちのためにある行動を起こすーー。
今回の日本初演版ではトレイシーを渡辺直美が演じ、エドナ役をミュージカル界のレジェンド・山口祐一郎が担う。また、トレイシーが憧れるアイドル・リンクに三浦宏規、彼女にダンスを教える黒人のシーウィードに平間壮一、親友・ペニーに清水くるみ、ライバルのアンバーに田村芽実といった若手俳優がキャスティングされ、その周囲を石川禅、瀬名じゅん、エリアンナ、上口耕平といった実力派の大人キャストが固める。
ミュージカル『ヘアスプレー』は、同じく映画化もされた『マンマ・ミーア!』と同様にキャッチーな音楽とハイテンションなダンス、キュートなテイストでストーリーが展開するのだが、この作品を日本で上演するにあたり、避けては通れない課題がある。それは物語の軸のひとつとして描かれる白人と黒人の「人種間の分断」をどういうかたちで表現するかという点だ。
日本の舞台で俳優が黒人の登場人物を演じる多くの場合、顔に茶色いドーランを塗り肌の色をメイクで変えるのがデフォルトだった。いわゆる「ブラックフェイス」である。そこに差別的な意図や悪意などはない場合が大半で、観客が戯曲に書かれた世界を混乱せず受け取れるよう、演劇界は長らくその手法を取ってきたわけだ。が、アメリカなど諸外国では「ブラックフェイス」が差別的な表現として使われてきた歴史があり、数年前から日本の舞台製作現場でも「表現に差別的な意図はなくても、肌の色を黒く塗り変える行為自体が差別に当たる」とそれまでの流れが変わり始めた。
筆者がその変化を強く意識したのは2019年に豊洲のIHIステージアラウンド東京にて宮野真守、蒼井翔太らの出演で上演された『ウエスト・サイド・ストーリー』Season1を観劇したとき。ミュージカルの金字塔と称されるこの作品で描かれるのは、ニューヨークの西側で敵対するジェット団とシャーク団に属する若者たちの悲劇だ。
ジェット団はポーランド系移民を親に持つ少年たちで、シャーク団はプエルトリコからの移民一世。それまで観てきた日本の上演版だとプエルトリコ出身の人物を演じる俳優たちは顔に茶色いドーランを塗り、メイクでもラテン系のキャラクターを表現していたが、このときはジェット団とシャーク団で肌の色の違いを強調することなく公演が行われた。「人種間の分断」をメインテーマに置いた作品でも「ブラックフェイス」で人種の違いを表してはいなかったのだ。そうした背景には先に書いたように「ブラックフェイスから脱却しよう」という日本の演劇界の意識の変化と、メイクで変えたわかりやすい肌の色に頼らなくとも作品のテーマを認知できる観客側の成熟があると考える。
では2022年のいま、ミュージカル『ヘアスプレー』日本初演版では白人と黒人といった人種の違いをどう表現するのか。じつはその答えの一端は早い段階で示されている。
2019年に本作のクリエイター陣、マーク・シェイマン、スコット・ウィットマン、ジョン・ウォーターズが連名で「Authors’Letter」を発表。そのなかで彼らが「人種の違いを表現するのにメイクに頼る必要はない」と明言したことを受け、日本版の公演主催である東宝も彼らの意思を尊重するとしている(*1、2)。
つまり、『ヘアスプレー』日本版では白人と黒人の登場人物を俳優の肌の色を不自然に変えるメイクで分けることはせず、例えばファッションなどのカルチャーや異なるダンススタイルで違いを提示するということだろう。トレイシーにダンスを教えるシーウィード役の平間壮一はストリート系のダンスをはじめ、さまざまなダンススキルを有する俳優。彼の身体能力もこの作品が「ブラックフェイス」から脱する大きなエネルギーとなるはずだ。
ミュージカル『ヘアスプレー』では人種間の分断だけではなく、ルッキズムへのカウンターも描かれている。それを劇中で体現し、成長するトレイシー役に、ボディポジティブのアイコンともいえる渡辺直美がキャスティングされていることにも大きな意味を感じる。
以前はテレビ番組などで体型をネタに笑いの方向に持っていかれることも多かった彼女が、いまやタレントとしての活躍に加え、インスタグラマーとしてもフォロワー数990万人を擁し、世界中から注目されるスーパーインフルエンサーとなった。そんな渡辺の変遷は、本作の主人公・トレイシーの成長と彼女を取り巻く周囲の意識の変化とぴったり重なる。
『ヘアスプレー』に限らず、海外発のミュージカルには人種差別や人種間の分断を重要なファクターに据えた作品が数多く存在する。これらを日本で上演する場合、登場人物の人種や国籍の違いをどう表すかという課題は必ずついて回る。
日本版『ヘアスプレー』カンパニーがこの課題にどう取り組みどんな答えを出したのか、舞台で観客に提示される具体的な答えに注目しつつ、日本の演劇界が「ブラックフェイス」問題と今後どう向き合っていくのか客席からも見つめていきたい。