Text by 黒田隆憲
Text by 森谷美穂
Text by タケシタトモヒロ
2012年に“愛する覚悟”でCDデビューし、ドラム&ボーカルというユニークなスタイルでシーンを騒然とさせたシシド・カフカが、今年でデビュー10周年を迎える。
この10年、さまざまなアーティストとコラボレートしながら数多くの楽曲を生み出す一方で、俳優としてドラマや映画などへの出演、ドキュメンタリー番組のナレーションも行なうなど音楽以外の活動にも精力的に行なってきた。
2018年にはアルゼンチンに短期留学し、そこで学んだハンドサインを使用して即興演奏を行なうリズムイベント「el tempo」をプロデュース。また同年に折れたドラムスティックや割れたシンバルの廃材でアクセサリーをつくるブランド「LAZZUL」を立ち上げるなど、さらなる領域にも活動を広げている。
インスピレーションの赴くまま、常に第一線で自由に活動し続けているように見えるシシド。しかし実際の彼女は理想のアーティスト像とのギャップにつねに悩みながら、自身のスタイルを試行錯誤し続けていたという。どのような道のりを経て現在の活動へと辿り着いたのか。10年間の歩みをシシド本人にじっくり語ってもらった。
―シシドさんはデビュー当時、「試行錯誤の末にドラム&ボーカルというスタイルを獲得したときは、大きな武器を手にしたような感じだった」とおっしゃっていました。実際はどんな心境だったのでしょうか。
シシド:当時はもう「いっぱいいっぱいだった」というのが正直なところでしたね(笑)。私はほかのミュージシャンの方々と比べてデビューもだいぶ遅かったので、「絶対に失敗できない」と思っていました。
デビュー時にはもうドラム&ボーカルというスタイルが決まっていたとはいえ、それで長くやってきていたわけではなかったので、どう発展していけばいいか? という課題も残っていました。作詞に関しても、最初は苦手意識が強くプレッシャーもありましたし。
シシド・カフカ
ドラムボーカル。メキシコで生まれ、アルゼンチンで中学時代を過ごし、14歳のときにドラムを叩き始める。18歳から数々のバンドでドラマーとして活動後、2012年“愛する覚悟”でCDデビュー。俳優としても活躍し、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」に出演し一気に話題となり、日本テレビ「レッドアイズ 監視捜査班」などに出演。2018年、ハンドサインを使用して即興演奏を行なうリズムイベント「el tempo」をプロデュース。また同年に折れたドラムスティックや割れたシンバルの廃材でアクセサリーをつくるブランド「LAZZUL」を立ち上げる。
―そうだったんですね。
シシド:周りにかっこいいミュージシャンの先輩方がたくさんいたのもあり、自分のなかに理想とするアーティスト像があって、それにまだ全然届いていないもどかしさもありました。
「自分はこうあらねばならない」みたいな凝り固まった考え方をしていたんです。とにかく一つひとつに全力で取り組んでいたので、いっぱいいっぱいになって当然でしたね(笑)。
―モデルや俳優業など、音楽以外の活動との折り合いのつけ方も最初は模索していたとおっしゃっていましたよね。
シシド:自分は純粋に「音楽」がやりたいのに、それ以外のことをやらなければ知ってもらえないし見てもらえないのかな、と思っていました。もともと写真に写ることもそんなに得意ではないので、そこを克服していく大変さもありましたね。
『東京ランウェイ』(代々木第一体育館)や『神戸コレクション』(ワールド記念ホール)などに出させてもらえたことは、いま考えてもものすごくありがたいことですが、ランウェイを歩くことに最初はすごく抵抗感がありました。活動の幅を広げていくことによって、自分のなりたいアーティスト像からどんどんズレていってしまうのではないかという恐怖もあったんです。
―デビュー当初はどのような「シシド・カフカ像」を描いていたのでしょうか?
シシド:「テレビでは一切笑わず演奏もつねにキマってて、素敵な歌詞を書くけど本音を言うのは3割くらい」みたいな(笑)。
それくらいパーフェクトな存在になって夢を売るのが正しいアーティスト像だと思っていましたね。でも、それだと頭で考えて音楽をやっているというか、音楽を素直に楽しめなくなってしまうんですよ。人のライブを観に行っても、何かをもって帰ろうとしたり、学ぶべき部分を探そうとしてしまったり。
―それはいつ頃から?
シシド:下手したらデビュー前からかもしれない。この世界を目指していたときから、悔しい気持ちでしか人のライブを観ていなかったですし。それこそ10年くらい続いていたのかな。
自分がどんどん悪いサイクルにハマっていっているのは自覚していたので、どうにかしなければなとずっと思っていました。「アンガーマネジメント」に関する本だとか、いわゆる自己啓発本の類いを読み漁っていた時期もありますよ(笑)。
―そういう葛藤をどのように乗り越え、いまのような多岐にわたる活動スタイルになっていったのでしょうか。
シシド:おそらく私がデビューした頃から、「一人の人間が持つ多様性とは?」みたいなことが問われる時代になってきたのだと思います。
当時は自分のことで精一杯で、周りがちゃんと見えていなかった。でも、ファッションや演技などいろいろな現場に出ていき挑戦することに対して、私自身が抱いていた抵抗感みたいなものを、周りの人たちはほとんど抱いていないことに後々気づいていったんです。
それもあって、「せっかく挑戦の場を与えてくださるのなら」という気持ちに、自分自身もどんどんシフトしていくことができたのだと思います。
―アルゼンチンの音楽に出会い、2018年にはシシドさんにとってのライフワークでもあるel tempoも結成されました。その経緯について、あらためて話していただけますか?
シシド:2015年に番組の企画で、私の故郷であるアルゼンチンに帰らせてもらったんです。そのときに、アルゼンチンのことをよく知る友人から「このイベントはマストだから」と教えてもらったのが、サンティアゴ・バスケスがつくった最初のバンドであり、「Rhythm with Signs」(※)というシステムを導入したLA BOMBA DE TIEMPOでした。
そのライブが本当に面白くて。何が起きているのかよく分からないけど、曲が進むにつれて音の景色がどんどん変わっていくんですよ。お客さんの楽しみ方も、じつに多様性に富んでいる。アルゼンチンというお国柄もあるのかもしれないのですが、めちゃくちゃ盛り上がっている人もいれば、友人とタバコをふかして話し込みながら聴いている人もいて。
そうやって自由に楽しんでいる姿に感銘を受け、「これを日本でもやりたいな」と考えていました。その2年後にはアルゼンチンに2か月間留学して、サンティアゴのもとでサインシステムを学びました。
―サンティアゴとともに結成したオールスターバンド、el tempoには当初どんなコンセプトがあったのでしょうか。
シシド:まず世界の主要な都市に、サインシステムを使うバンドを置きたいという構想がサンティアゴのなかにあり、「東京はカフカに任せた」と言ってもらったんです。ただし私がドラマーなので、グループのメンバーに複数のドラマーを必ず入れようと。
基本的にサインシステムのバンドはパーカッショニストで構成されているので、ドラマーがメンバーの半数を占めているだけでビジュアル的にも面白いし、el tempoの特色になるはずだと言ってもらったんです。メンバーの人選も、サンティアゴに相談しながら決めていきました。
―メンバー構成も演奏スタイルも、出てくるサウンドもまったく新しいグループということで、活動するうえでもさまざまな苦労があったかと思います。
シシド:「サインシステムを用いたバンド」とは一体どんなものなのかがまったく分からないので、メンバーに誘ってもすぐに「うん」とは言えない方が多かったですね(笑)。
なので留学中、現地で面白いライブを見てはそれを動画に撮って、メンバーたちに「こんな感じのことがやりたい!」って送りつけていました。私の熱量に気圧されて「う、うん、じゃあ……やるよ!」と言ってくださった方たちが、今el tempoのメンバーでいてくれているんです(笑)。
―そんなel tempoが一躍注目を集めたのが、昨年開催された東京パラリンピック閉会式でのパフォーマンスでした。やってみて、やはり反響は大きかったですか?
シシド:大きかったですね。ただ、3分くらいのパフォーマンスだったので何をやっているのかよく分からなかった人は多かったんじゃないかなと(笑)。とはいえ、コロナ禍で苦しいなか頑張ってきた選手の打ち上げみたいな閉会式で労えたのはすごくよかったし、世界中の人の目に留まるかたちで出させていただけたことはありがたかったです。
じつは閉会式の本編が始まって生放送される前に、選手たちに向けて演奏させてもらう機会があったんですよ。「まずは音楽で楽しもうよ!」みたいな感じで、30分くらいパフォーマンスさせてもらったんですけど、そこで踊ってくださっている選手がたくさんいて。やはりこのバンドは国境関係なく楽しませる力があるのだなとあらためて思いました。
―el tempo結成から4年、活動を続けているなかで得られたことや気づきはありますか?
シシド:素敵なミュージシャンがたくさん集まっているだけに、スケジュール調整もめちゃくちゃ大変で(笑)。この4年間でたくさんライブができたわけでもないし、結果を出せるところまでは到達していないですね。まだまだ発展途上の段階というか。
とはいえメンバーたちは、なんだかよく分からないような状態から始めてくれたのに、いろいろ想像力を働かせてくれて。「あんなことも、こんなこともできるね!」みたいにアイデアをどんどん出してくれるんです。それを今後、さまざまなかたちで実現させていきたいです。
―例えば、どんな展望を抱いていますか?
シシド:まずel tempoそのものを、メンバーも自由に出入りできるようにしたくて。el tempoという音楽集団が、「そこに行けば必ず観ることができる」みたいな感じで定期的にライブを行なっていて、「今日はコンダクターがこの人で、演奏にはこの人たちが参加するんだ」みたいに日替わりで楽しんでもらえるのが理想です。
ふらっと遊びに来た人が、「あ、今日はカフカは出ないけど、芳垣(安洋)さんは出るんだ」みたいに気軽に楽しめるような空間というか。
シシド:その日に誰が出演していようがいまいが「とりあえずel tempoとしての演奏が聞きたいから来る」みたいな人も、まだまだ少ないですが確実に増えていて。それがもっと当たり前になっていくと面白いんじゃないかなと思っています。
そして、ゆくゆくは若いメンバーがたくさん入ってくれて、私はステージの横でそれを見ながら「いいじゃん、いいじゃん!」と喜んでいられるような場所になったら最高ですね(笑)。
―多様性を認めながらゆるくつながる共同体というか、そういういまの風潮にもel tempoは合っているのかもしれないですね。サンティアゴによれば、麻薬中毒者のリハビリや、刑務所での更生プログラム、発達障害者への療法の一環としてもサインシステムは導入されているようですね。
シシド:サインを覚えれば、誰でも音楽に参加できますし、楽器ができない人でもアンサンブルに加わるチャンスがあるんです。
シシド:もちろん一つひとつのサインに意味がありますし、大まかなルールも存在するのですが、ルールの振り幅がものすごく大きいので、何にでも汎用できるというのもあります。何より「不正解」がないゲームなんです。
例えば誰かがサインを出したとして、「わ、全然違うのがきたな」と思ったら、「じゃあそれをベースにしてみる?」という流れで次のセッションが始まることもあって。失敗から面白いもの、新しいものが生まれる可能性を持っているんですよね。ルールに則って行動するのが苦手な人でも参加できるし、もっといえばその人が新しいルールをつくることさえできる。音楽以外の場面でも応用できるのは頷けますね。
―アクセサリーブランド「LAZZUL」を立ち上げた経緯も教えてもらえますか?
シシド:ドラマーって、シンバルやスティックなどの消費量がすごいんですよ。いい木材や金属でつくられているのに、これを使い捨てにしてしまうことにすごく抵抗があって。そのことをスタッフに話したところ、「それ、ボールペンにできるよ」というので使えなくなったスティックをごっそり渡したら、ボールペンにして返してくれたことがあって。「これは面白い!」と思ったのがきっかけですね。
音楽を楽しんでくれた人が、それを奏でるツールでつくったアクセサリーを楽しんでくれるのは、素敵なリサイクルなんじゃないかなって。思っていた以上につくることは大変でしたが(笑)、いま話したようなストーリーを楽しんでくださる方もいたり、単純にデザインが可愛いからという理由で買ってくださる方もいたり、いろんな方面から関わってくださる人がいることを嬉しく思っていますね。
10周年に合わせてつくられた新商品。スティックに刻まれたロゴが入っている
―SDGsのコンセプトにも合っていますよね。
シシド:意識したつもりはなかったんですけどね(笑)。私は「もったいない病」で(笑)、あまりゴミを出したくなくて、再生可能な代替品をなるべく使用したいという気持ちが以前からあったんです。
いまのところ「LAZZUL」の売上は全額寄付をしています。ありがたいことにスティックもシンバルもエンドースメント契約をしているメーカーからいただいているので、いくらリサイクルとはいえそれでつくった商品をそのまま自分の懐に入れるのは違うなと思ったんですよね。
311以降、地震などの災害をこれまで以上に身近に感じるようになったので、何かしたいと思いつつ、いままでできなかったことに後悔がありました。それがこういうかたちで貢献できてよかったと思っているし、「楽しさ」の先に支援があれば、長続きしそうだなと。今後その規模がもっと大きくなっていけばいいなと思っています。
―初期のインタビューでカフカさんは「ずっと納得できるものを探し回っているのかもしれない」「まだ探っている途中ですし。そういった意味では、達成感みたいなものはまだ一つもないかもしれない」とおっしゃっていました。最初の質問に戻るようですが、デビューから10年が経ったいまはどう感じていますか?
シシド:相変わらず模索し続けていますね。「これが私だ」みたいな基盤はいまだに築けない。それこそモデルや俳優をやることに対して最初は抵抗していましたけど、いろんなことをやって、ずっとフワフワしているのが性に合っているのかもしれない……新しいことをやりたくなってしまう、それがシシド・カフカなのかなと(笑)。
el tempoは今後も続いていくと思うのですが、シシド・カフカ自体はこれからどうなっていくのか……。近年は「ドラム&ボーカル」というスタイルからあえて離れていたのですが、ふたたびそこに立ち返ってみてもいいのかなと思っているところです。以前とはまたかたちは違うかもしれないですけどね。