トップへ

原発訴訟、逃げ腰の裁判官たち…「原発をとめた裁判長」が指摘する“文系の限界”

2022年09月10日 09:51  弁護士ドットコム

弁護士ドットコム

記事画像

東電の旧経営陣に計13兆円を超える賠償を命じたことで話題になった7月の東電株主代表訴訟。判決では、ひとたび原発事故が起きれば「我が国の崩壊につながりかねない」と指摘された。


【関連記事:「国は責任取りませんよ」東電13兆円判決後、弁護団長が電力会社役員の自宅に送ったメッセージ】



だからこそ、その安全性には極めて厳格な基準が適用されているに違いない、と誰もが思っていることだろう。そして、数多ある原発差し止め系の裁判において、裁判官は厳格に危険性の有無を判断しているはずだとも。原発再稼働の容認派であろうと反対派であろうと、あるいは再稼働やむなしと考えている人であろうと、それは共通の認識であるはずだ。



ところが、そうした考えは幻想に過ぎないということを司法の場で明らかに示した元裁判長がいる。 2014年5月、福井地裁で関西電力に対し大飯原発の運転差し止めを命じる判決を下した樋口英明さんだ。いったいどんな理屈だったのだろうか。(ライター・大友麻子)



●樋口理論は「ガル」ベース

差し止めるべきという判決に至った樋口さんの理論は明快だ。



各原発には、それぞれに「耐震基準地震動」というものが設定されている。そして過去10年の間だけでも、この想定を超える地震動が日本の原発に5回にわたって到来している。また、各原発の基準地震動を超える地震は日本で頻発している。



よって「耐震基準地震動」には信頼性があるとはいえず、運転は差し止めるべきである、というもの。極めてシンプルで、理系の知識がなくとも一般常識とともに納得できる理論である。



裁判官を退官後、樋口さんは原発の危険性を訴えるべく全国行脚を続けている。その姿を追ったドキュメンタリー映画が『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』(今年9月より全国順次公開)だ。



樋口理論を丁寧にひもときながら、全国の原発の耐震性のリアルを浮かび上がらせている。



●耐震基準地震動を超える地震が頻発

ところで、当時の大飯原発の耐震基準地震動は700ガルであったが、この基準は、はたして高いのか低いのか。



例えば、2007年の中越沖地震当時、柏崎刈羽原発の耐震基準地震動は450ガル(のちに1~4号機は2300ガルに、5~7号機は1209ガルに引き上げられている)、2011年の東日本大震災当時、福島第一原発の耐震基準地震動は600ガルだった。



一方、中越沖地震の規模は1018ガルで、東日本 東北大震災時の地震規模は2933ガルだった。福島第一原発は、地震によって1~3号機が緊急停止し非常用電源による冷却が始まったものの、津波によりこれらの電源を喪失、冷却機能が止まり3つの原子炉が同時にメルトダウンを起こすという最悪の事故を引き起こした。





ちなみに大手ハウスメーカーによる一般住宅の耐震性は、住友林業の場合は3406ガルで、三井ホームであれば5115ガル。つまり全国の原発の耐震性は、一般住宅のそれよりもはるかに低いということだ。



しかも、物理的に大きな揺れを与えて耐震テストを行うことが可能な一般住宅に対し、原発の場合、原子炉格納容器などの個別の建物に対する耐震テストは実施しているものの、複雑な配電系などを含む施設全体に対して実際の揺れを与えるような耐震テストを行うことは不可能だ。あくまでもコンピューターシミュレーションに基づいた耐震基準に過ぎない。



「3・11以後、全国の原発の耐震基準が、耐震テストが行われることもないまま引き上げられています。年月が経てば本来は老朽化していくはずなのに不思議なことです」と、映画の中で樋口さんは語っている。



そのレベルの耐震性でありながら、なぜ全国の裁判所では、規制委の安全基準は「妥当」であるとして再稼働を容認するような判決が次々と出されているのだろうか。



ちなみに、差し止めを命じた樋口さんの判決も、名古屋高裁金沢支部における控訴審において「危険性は社会通念上無視し得るまで管理統制されている」として取り消され、一転して運転が認められた。こうした原発裁判の内情についても映画の中で樋口さんが明かしている。



●文系の限界? 「規制委を尊重」しがちな裁判官たち

実は、冒頭の東電株主代表訴訟の弁護団長である河合弘之弁護士は、この映画の企画・製作者の一人である。



河合さんはこれまでも『日本と原発』(2014) や『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』(2020)など、自身が取り組んできた社会問題を映画という手法を用いて世に問うてきた。



「僕は 、裁判闘争にある種の限界を感じていました。裁判を起こした時と判決が出たときくらいしか報道してもらえないし世間に注目してもらえない。それだと、いくら法廷で頑張ったとしても、問題の本質が世の中に浸透していかないんですよ。そこで、広く世論に訴えかけるべく、もう一つの武器として映画をつくってきたわけです」



今回、河合さんが樋口元裁判長を軸に新たな映画を製作しようと思ったきっかけは何だったのだろうか。



「樋口さんが示す明快でシンプルな理論は、裁判を超えて広く一般の人に知ってもらうべきものだと思ったからです。むしろ、原子力ムラを肯定的に捉えている人にこそ知ってもらいたい現実でした」





得てして高度な科学論争になりがちな原発裁判。電力事業者や国がさまざまな科学的主張を繰り広げてくると、一般市民である私たちには情報が咀嚼しきれず、「原子力規制委員会が厳しく審査しているはずだから、規制委が安全性を認めたものはきっと安全に違いない」と思いたくもなる。そして裁判官もその例外ではないと、樋口さんは映画の中で告白している。



裁判官は文系の専門職のため「あまりに高度な科学論争になると、理解不能に陥ってしまう。その一つの逃げ道として、規制委の判断を尊重する、という考え方がある」のだという。そうである限り、国策としての原発再稼働の流れは止まらない。



だからこそ、樋口さんは国民の誰もがわかる明快さが原発訴訟には必要だと考えた。そして、樋口理論は、そのシンプルさと明快さをもって流れに大きな一石を投じたのである。



公判中、裁判長である樋口さんが「(当時の耐震基準地震動である)700ガルを超える地震はこないのか」と関西電力側に尋ねたところ、「まず、きません」という答えが返ってきたという。「700ガル以上の地震が来ても安全なように作ってあります」といった答えがくるのかと思っていたのに「700ガル以上のは、きません」などと、自然現象である地震について安易に予断する。およそ科学的とはいえないそのいい加減さに、樋口さんは愕然とする。私たちが「厳しい安全基準」と信じているものの、あまりにお粗末な現実が浮き彫りになった。



●ウクライナ侵攻で露呈「原発は国防上最大の弱点」

「ロシアのウクライナ侵攻による原油価格の高騰や供給不安などを受け、政財界ではエネルギー安全保障を掲げた再稼働・新増設コールがやかましくなっているが、それは大きな間違い」と河合さんは断じる。



「私たちがウクライナ侵攻から学ぶべきことは、原発というのは安全保障上、極めて危険なものだということです。原発にミサイルが撃ち込まれれば国土が崩壊するのはもちろんのこと、原発施設に立てこもられたら最後、手も足も出せません。こちらが原発施設を破壊するわけにはいきませんから、反撃は一切不可能。



一方で、原発に立てこもった相手はミサイルを撃ち放題。つまり、どんな人質をとられるよりも厄介だということです。原発こそ国防上の最大の弱点であることを、私たちはウクライナ侵攻から学ぶべきでしょう」



かつての大戦から77年が経過したが、世界各地では今も危険なパワーゲームが続く。人間が人間の命を奪い、暮らしや共同体を根こそぎ破壊し、大地を荒廃させる。21世紀になっても戦争の惨禍は何も変わらない。だからこそ、人類は原発から手を引くべきだという河合さんたちの意思は揺るがない。



映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』では、福島の若い有機農家の人々が、被災後の絶望から立ち上がり、ソーラーシェアリングという技術を活用して営農型発電に取り組み、新たな地平を切り拓いていこうとする姿が同時並行で描かれている。





これまでの人類も、何度も荒廃の中から立ち上がり、再び大地を耕し、種を播いてきた。豊かな国土と、そこに暮らす人たちの暮らしを守ることこそが、国家のエネルギー政策における一丁目一番地であることを改めて思わされる。



巨額の賠償責任を認めた東電株主代表訴訟。明快な樋口理論。そして新たに生まれたこの映画。いくつもの効果的な武器を手にして、河合さんたちの闘いは続いていく。



映画は9月10日(土)より、ポレポレ東中野(東京)ほか全国順次公開(https://saibancho-movie.com/)。



『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』 監督・脚本:小原浩靖/音楽:吉野裕司(Music studio Ram)/企画:河合弘之 飯田哲也 小原浩靖/製作:河合弘之 小原浩靖 2022年9月10日(土)より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開(©Kプロジェクト) (リンク:https://saibancho-movie.com/)。