Text by 山元翔一
Text by s.h.i.
Text by 岡安いつ美(ANTENNA)
ファンクプロジェクト「ENDRECHERI」とともに堂本剛のライフワークとなっている『平安神宮 奉納演奏』が、9月2日~4日の3日間にわたって開催された。
2022年、堂本剛はシンガーソングライター活動20周年を迎えた。その音楽、そしてライブはいまどのような境地に達しているのだろうか?
『堂本剛 平安神宮 奉納演奏 2022』2日目のレポートを通じて、その音楽表現に惚れ込むライターのs.h.i.に「音楽家としての堂本剛」について執筆してもらった。
まず言っておきたいのは、「堂本剛は超一流のミュージシャンだ」ということだ。歌も楽器も非常にうまく、作編曲も作詞も素晴らしい。なにより、バンドの指揮者・扇動者として稀有の存在感があり、それを活かした演出家としても卓越した技量がある。
これは、長くともに生きてきたファンからすれば自明だが、作品リリースのやり方やライブチケットの取りづらさなどもあってか、ファンダムの外にすごさが伝わる機会は限られていた。
その状況が変わるきっかけとなったのが、2018年の『SUMMER SONIC』だった。
ここで初めてENDRECHERIを観て度肝を抜かれた人も多いように思う。十数人の大編成なのに演奏の一体感は完璧以上、日本国内に限らず世界的にみても最高級。D'AngeloとMassive AttackをPファンク(※)経由でつなげるような楽曲もたまらない。そして、そういった極上の音楽を引き受けさらに飛翔させるリーダーの存在感といったら。
この名義の由来となったエンドリケリーは、アクアリウム中で「混泳」を行なう際に、異種軋轢を起こしにくくすることに貢献する下層魚で、堂本剛は自身をそれになぞらえて「〈このミュージシャンとこのミュージシャンを合わせちゃいけない〉という概念を覆す混泳を実現させたい」(*1)と言う。
それを圧倒的なミュージシャンシップと華をもって実現するのがこの人のすごさであり、一癖も二癖もある名人たちの持ち味を損なわずかけ合わせる姿は、それこそPファンクの総帥ジョージ・クリントンや江戸アケミ(じゃがたら)といった偉大なフロントマンにも通じるものだった。
筆者は『SUMMER SONIC 2018』のステージを観て一気に惹き込まれ、音源作品をすべて集め単独公演も何度か体験してきたが、こうした凄みはいまも更新され続けている。
『平安神宮 奉納演奏』は、上記ENDRECHERIと並ぶ堂本剛のライフワークとなっている催事である。
会場は神宮の境内、収容人数は5,000人。晩夏の夜陰という過ごしやすい環境で、開放感と厳かさを兼ね備えた雰囲気が素晴らしい。じつは、この奉納演奏は堂本剛の音楽性が特に攻めたかたちで発揮される機会で、単独公演とは大きく異なる表現がさまざまに試みられてきた。
『堂本剛 平安神宮 奉納演奏 2022』2日目公演より
たとえば、筆者が初めて参加した2019年は、元音源に比べ大幅にBPMを落とされたアレンジを走りもタメもしすぎずこなす演奏が驚異的で、そのうえ会場の空気にも完璧に合っていた。
それを乗りこなす堂本剛の歌唱も見事で、バラード寄りの楽曲でも感情を過剰に盛り上げることがなく、穏やかな波に乗り、淡々と潤いのある歌い回しをつないでいく。
微細な音色操作と気長な時間感覚があって初めてできるこうした表現は、最後の長いセッションにおける雅楽的ノンビート展開で特に活かされていて、このような日本の伝統音楽とファンクに相通じるものを鮮やかに描き出していた。
ほかにも、7拍子や24+25拍リフのプログレッシブロック的展開など、一般的なファンクのイメージに留まらない展開も多く、TPOに合わせた表現と挑戦を両立させる手管は特筆すべきだろう。ここで得た知見をフィードバックすることでENDRECHERIの音楽が発展してきた面もあるのだろうし、そうした意味でも、活動の両輪をなす大事な機会だ。
以上をふまえて観た今回の奉納演奏(9月3日)、筆者は冒頭“街”(※)の第一声から驚かされた。以前とは発声の仕方が大きく変わっていて、そのうえで格段によくなっているのである。
ENDRECHERI名義での活動再開作となった『HYBRID FUNK』(2018年)以降は、声帯の全体には圧をかけず軽めのギアで高音を出しやすくする(ミドル~ミックスボイスが主体の)発声が主だったのが、今回の『奉納演奏』では、シンガーソングライターとしての活動を始めた20年前の発声法、声帯の広域に圧をかけて響きを豊かにする発声(チェストボイス寄り)にシフトしている。
これは声に厚みを加えやすい一方で、高音域にスムーズに移行するのが難しくなるのだが、近年の活動で培った優れた脱力技術が引き継がれているために、高い音程でも聴き苦しい印象はまったくなく、それでいて艶やかな奥行きが加わる。
このような声で歌われたデビュー曲“街”では、原曲よりもコード感が複雑なリアレンジにより醸し出される渋みもあわせ、紆余曲折を経てこの歌詞を歌うからこそ出せる類の深み、成熟や年輪が示されていた。
その一方で、終盤10曲目に披露された未発表曲(タイトル未定とのこと)では、ファルセットでない高音を美しく連発するメロディーラインが新鮮な印象を生んでいく。こうした歌唱技術の進化とそれが導く幅は、今回の『奉納演奏』においても今後の展開においても、非常に重要な影響をもたらしたのではないかと思う。
歌唱技術の進化とあわせて筆者が最も感銘を受けたのが、“Rain of Rainbow”(2021年)だった。
この曲は昨年リリースの傑作『GO TO FUNK』収録曲で、アルバム全体としてはPファンクやプリンスといった偉大な先人のオマージュに留まらない独創性を発揮していただけに、EDMにあえて寄せたような同曲のアレンジはもったいなく思えてしまってもいたのだが、今回の『奉納演奏』ではまったく別ものになっていた。
テンポを半分に落としたビートは(BPMはおそらく同じだがアクセントを半分に)、トラップに通じるようでいて、かなり個性的だ。
焦らして爆発、という構成ではなくずっと焦らし続ける展開なのだが、ジャズに通じるメロウなコード遣いのためかつねに即効性の官能が保たれ、もどかしく思わされることはない。そのうえをかいくぐるように高速ラップが乱舞する緩急併置も見事。未踏の境地を切り拓く音楽表現だった。
これに加えてよかったのが、続く“太陽が遠い”(『GO TO FUNK』Limited Edition B収録)である。
『GO TO FUNK』制作時に最も時間がかかり、歌詞もできていながら納得のいく歌を入れることができずにインスト版に留めたという同曲(タイトルはその「自分が目指してた自分になれなかった」思いからきているそうだ)。
ボーカル込みで披露された“太陽が遠い”は、フランク・オーシャンなどに通じるアンビエントR&BをLaraajiのようなニューエイジに寄せた趣の曲調で、これは先述の「日本の伝統音楽とファンクに相通じるものを描き出す」試みの結実とも言える。さらにいえば、同日まで近くで開催されていた『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』(※)に通じる「途絶えることなく続き、そして常に変化し続ける」感覚の表現でもあるだろう。
これ以降の曲目におけるストレートなファンク路線(*2)との対比も好ましく、前曲とともに、今回の『奉納演奏』の核となる名演だったと思う。
音楽的なことに加えて、ライブ演出に触れないわけにはいかない。この日、平安神宮を彩ったのは、日本国内で開発された世界にひとつしかない特殊照明機器「BEAMTWISTER(ビームツイスター)」と呼ばれるファイバービーム(レーザーではないとのこと)。これが各曲のテーマに見合った美しい情景を描き続けていた。
“Rain of Rainbow”における変幻自在な紋様は、虹色の色彩もあわせこの曲のテーマ(LGBTQ+の尊厳を象徴する旗であるレインボーフラッグも示唆)と「混泳」のコンセプトをよく示していたし、“太陽が遠い”でステージ後方の本殿を彩る緑の映像は、この曲のニューエイジ的な神秘性を艶やかに補強していた。
照明だけでなく、噴水や火柱など、その色彩やタイミングも含めすべてを堂本剛が監修し、細部までつくり込んでいるのだという。こうした演出があればこそ「ネガティヴ ポジティヴ」(*3)という今年のテーマを描ききることができたのだろう。
ことほどさように素晴らしい堂本剛のライブだが、単独公演のチケットを取るのが容易でないという難がある。
これはファンダムの規模からすれば仕方のないことで、単独公演についてのみでいえば変えようがない面も多いだろう(見方を変えれば、ファンクという日本では主流とは言い難い音楽性で、ここまでの理解者集団を鍛え上げているのは稀なことでもある)。
ただ、それならそれでフェスティバル出演を多くしてほしいというのはある。
これまで『SUMMER SONIC』への出演が何度も話題を呼んできたが、音楽性からすれば『FUJI ROCK FESTIVAL』のGREEN STAGEあたりもしっくりくるし、初見の人々も惹き込んでその日のベストアクトとなる実力もある。
ファンクラブに入っていなければフルセットの単独公演を観ることが難しいのは仕方ないとしても、このライブ体験が知る人ぞ知るものに留まるのはもったいない。メジャーな領域を起点にしたコアな音楽(*4)という、メジャーなものが好きな人からもコアなものが好きな人からも見過ごされやすいポジションにあるものだからこそ、できるだけ多くの人が体験することが叶う、よりオープンな機会があればと願ってやまない。
なお、ストリーミング解禁(2020年6月)やYouTubeアカウント開設(2022年8月)など、変化の兆しは着実に積み重ねられている。今後の展開に期待していきたい。