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「東京チカラめし」新宿店閉店、残りは千葉と大阪のわずか2店舗。最大152店舗の栄光を振り返る。

2022年08月23日 14:30  キャリコネニュース

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“焼き牛丼”で一世を風靡した「東京チカラめし」が東京から消える。東京チカラめし新宿西口1号店のTwitterアカウントが8月28日での閉店を発表した。残る店舗は千葉の新鎌ケ谷店と大阪日本橋店のみとなる。一時は150店を越える急成長を見せた同チェーンの軌跡を振り返る。(文:昼間たかし)

わずか2年の栄光

この店の看板を見て「そうそう、こういうのを待ってた」と思った人も多いはず。

「東京チカラめし」の看板をこう紹介したのは、『東京新聞』2011年10月14日付朝刊だった。それまで居酒屋チェーンの「東方見聞録」「月の雫」などを運営していた三光マーケティングフーズが、池袋に東京チカラめし1号店を開店したのは2011年6月。「焼き牛丼」という、ひと手間かけた高級感を醸し出すキャッチフレーズによって、既存牛丼チェーンと一線を画すことに成功。派手な出店攻勢で9月までに11店舗に増やし、1周年には100店舗と目指す勢いとも噂されていた。

この時、焼き牛丼は並盛り280円(現在は490円)。ちょっと高級な感じの焼肉テイストにも関わらず、従来の牛丼とほとんど変わらない値段とあって、男性を中心に消費者の支持が集まった。メディアも「焼き牛丼」ブームを伝え、未出店地域の地方紙でも店名が報じられるほど、その期待は高まった。2012年に入ると「将来的には全国300~500店体制も視野に入る(『FujiSankei Business i.』2012年1月31日付)」という勢いで、業態転換に「成功」した三光マーケティングフーズは一躍時代の寵児となったのだ。

しかし、急成長は2012年8月になると鈍化した。まずは急激な新規出店により人材育成が追いつかず、店舗のオペレーションがおぼつかないと話題を呼んだ。ただ、より大きな問題は、「味」の優位性が保てなかったことだろう。

要因の一つが大手チェーンからの反撃だ。吉野家では2011年12月の「焼味豚丼 十勝仕立て」を皮切りに、2012年9月に「牛焼肉丼」を投入。松屋は2012年4月の「牛カルビ丼」に続いて「焼き牛めし」を発売。すき家も同年10月から「豚かばやき丼」を出してきた。こうして、最大のウリだった「焼き」は、またたく間に一般化した。

さらに、ここまで急激にブームがしぼんだ背景には、焼き牛めしの「味付け」の特性もあったのではないかと思う。筆者の私見だが、東京チカラめしの「焼き牛丼」は美味い。美味いのだが、その源はガッツリとした味の濃さだ。従来の牛丼が「飽きの来ない味」に注力しているのに対して、東京チカラめしは毎日食べるには「味のインパクトが強すぎる」のである。しかも、焼くという一手間のために出てくるまで時間がかかるという弱点もある。

外食チェーンが伸び悩むと始まるのがメニューの迷走だ。2013年に入ると三光マーケティングフーズでは「Nプロジェクト」の計画を進行。Nとは「煮る」の頭文字。新規出店店舗で焼き牛丼をやめて、従来型の社の牙城を崩すことはできず、結局このスタイルは続かなかった。

店舗数は2013年に最大152店舗にまで及んだが、その後はどんどん縮小。2014年11月には、当時の直営店の8割にあたる63店舗を売却するに至り、「東京チカラめし」の看板はまたたく間に消えていった。外食業界の厳しさが伝わってくる話である。

たまに新宿に行って看板を見かけると、ああ懐かしいなという感じはしていたのだが、ここまで店舗が減っていたのは知らなかった。残るは千葉と大阪のわずか2店舗。「元祖 焼き牛丼」は、いつまで味わうことができるのか?

というわけで「もしかしたらラストチャンスか」と筆者も新宿西口店にいってみることに。事前に公式サイトを見たところ朝9時から営業。行列している人もいると思い15分ほど前に到着したら、人の姿は皆無。今さら焼き牛丼でもないのかと思いきや、店の扉には8月は朝11時~夜9時で営業という張り紙が……(あとで確認したら公式Twitterではアナウンスしていた)。がっかりである。営業時間を変更するなら公式サイトもついでに変えておいてほしいものだ。こういうところが凋落の原因なのかも。最後に行く人は気をつけて。