2022年08月17日 10:41 弁護士ドットコム
東京都国立市の「くにたち市民芸術小ホール」で5月下旬、「東京トリカエナハーレ2022」というイベントが2日間にわたって開催された。
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主催者が公開した映像には、足を大きく広げた何体もの「空気人形」が椅子の上に展示されている様子が映っている。チマ・チョゴリを着せていることから「平和の少女像」を模したものであることがわかる。
ただ、本来の「平和の少女像」には、時間の経過を意味する年老いた影が伸びているが、空気人形の影は狡猾な笑みが浮かべているものだった。つまり、平和の少女像を揶揄しているものだといえる。
ヘイトスピーチ問題を追いかけるジャーナリストは「歴史に対する冒涜だ」としながら、展示を許可した自治体の責任も指摘する。
どうして「許可」されたのか。国立市に聞いた。(ライター・碓氷連太郎)
イベントの映像がYouTubeにアップされたのは、5月23日のことだ。
その説明には「日本を罵る反日プロパガンダ展『トリエンナーレ』が芸術だと言い張るので、真逆の展示会を開きました」という一文とともに、慰安婦を貶めるコメントが並んでいる。
韓国の聯合ニュースによると、この映像に対して、韓国外交部が「慰安婦被害者問題の真実を否定し、被害者を冒涜する一部の日本右翼勢力の動きを非常に遺憾に思う」という声明を出した。
その影響なのか、韓国語による批判コメントも複数ある。
ヘイトスピーチ問題を追いかけるジャーナリストの安田浩一さんは「歴史に対する冒涜であり、唾棄すべき民族差別だ」と険しい表情を見せる。
しかし、「問われるべき責任は、こうした展示を許可した側にある」とも指摘する。
空気人形の展示があったのは「くにたち市民芸術小ホール」。つまり、国立市が運営する、れっきとした公共施設だ。
「そうした場所で堂々と"ヘイト展示"が開催されたわけです。考えられません。ヘイトスピーチ解消法では、差別扇動行為の解消に努める地方公共団体の責務が明記されています。国立市はそれを放棄したとしか思えません」(安田さん)
国立市では、独自に「人権を尊重し多様性を認め合う地域条例」も定めている。「市は、基本原則に基づき、人権・平和のまちづくりを推進するため、市政のあらゆる分野において必要な取組を推進するものとする」とある。
「人権尊重といった観点からも、明らかにこれに反しています」(安田さん)
なぜ国立市は、特定民族を冒涜するような展示に施設を貸したのか。
国立市・教育委員会生涯学習課に問い合わせると、「施設利用の承認の権限を持ってるのが指定管理者なので、そちらに任せている」という耳を疑う回答が返ってきた。
この小ホールでは今年4月、「表現の不自由展」が開催されていた。
その後の4月20日、市はホームページで「今回の催しの主催は民間の実行委員会であり、市は本催しについて共催や後援なども一切行っておりません。従って、本催しに市は関与しておりません」という声明を発表している。
5月の展示も主催や後援など一切おこなっていないことから、国立市・教育委員会生涯学習課は電話での問い合わせに対して、同様の対応をとったと説明した。
くにたち市民芸術小ホールの使用規定には、営業を目的とした展示はできないことや飲食場所の限定、電源利用などについて書かれているものの、内容についての記載はない。
しかし、「表現の不自由展」の際には、申し込みの1週間後に館長から「いつもはしないのだが、今回は面談をしてもらえないか」という電話が主催者側にかかってきていた。
その際に館長から「貸さなきゃいけないんですよね」と言われたと、主催者が記者会見で明かしている。
「不自由展」の際には、なぜ、そのような申し出をしたのか。施設管理者の公益財団法人くにたち文化・スポーツ振興財団は次のように説明する。
「施設運営における警備などの対策上必要だった。基本的に貸館なので内容に踏み込むことはしないし、どの団体に対しても展示に立ち会うといったことは一切おこなっていない」
あくまで不自由展への申し入れは警備のためのものであり、指定管理者側も内容については規定にないため、一切踏み込まないという姿勢だというのだ。
国立市では2019年4月から「人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例」が施行されている。
この条例では「全ての人は、人種、皮膚の色、民族、国籍、信条、性別、性的指向、性自認、しょうがい、疾病、職業、年齢、被差別部落出身その他経歴等にかかわらず、一人一人がかけがえのない存在であると認められ、個人として尊重されなければならない」という基本原則をかかげる。
そのうえで、「市は人権・平和のまちづくりを推進するため、市政のあらゆる分野において必要な取組を推進するものとする」「市は人権・平和のまちづくりの推進に当たっては、市民、関係行政機関 及び市内で事業活動を営む事業者その他の団体との連携を図るものとする」と、差別のないまちづくりに取り組むことをうたっている。
また、ヘイトスピーチ解消法にも「地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする」と国及び地方公共団体の責務について言及されている。
特定の民族を冒涜する展示は、これらの法・条例に抵触するのではないかという意見が、市の関係者の中から生まれなかったのか。
国立市の関係者は「記事にするのはおやめいただきたい」と釘を刺したうえで、条例は政策作りをする際に当事者の声を聞き、市民とともに人権や平和を尊重した街を作るための方向性を示すためのものだと語った。
また市長室からの正式回答は次のようなものだった。
「本条例は、国立市に暮らす全ての人が、『人権侵害を許さない』という強い意志とソーシャル・インクルージョンの理念の下、一人一人が当事者として、自ら考え主体的に行動し、互いの多様性を認め合い人権を尊重することによって平和なまちを実現する不当な差別や暴力のないまちづくりを目指すものです。
本条例は、御指摘のとおり、第3条において『不当な差別』を行ってはならないとしておりますが、上記のとおり『不当な差別や暴力のないまちづくり』を目指すものであり、過料や罰則を規定するものではありません。国立市と市民は、後世に渡って平和なまちを実現するため、たゆまぬ努力を続けるものです」
「人権尊重」「多様性を認める」というスローガンはあるものの、具体的な方策はない、非常にざっくりしたものに過ぎないようだ。また、トリカエナハーレを主催する団体について事前に情報収集をしたかについて、生涯学習課は次のように回答した。
「主催団体による当該イベント開催にあたり、施設管理上の懸念に伴いくにたち市民芸術小ホールから相談があったため、主催団体、過去の展示内容については、インターネット上で検索する等して確認しております」(生涯学習課)
同課の別の担当者は次のように話す。
「地方自治法に定める『公の施設』に該当し、利用についての不当な差別は憲法21条に反する。21条にある表現の自由は憲法の中でも制限をされない、基本的に守らなければいけないもの。政治的な展示かどうかは、市側では判断できず関知もできない。差別的な展示があったという情報もなかった。ヘイトスピーチがおこなわれるかもしれないという推定では行動を制限することはできない」
2014年4月、大阪府門真市で、当時の在特会関係者が、排外主義を全面に押し出した集会のために、市文化会館の利用を申請した。施設側は一度は許可したものの、門真市教育委員会と指定管理者の話し合いにより、5月に利用取り消しが申請者に通知されている。
その際、市の教育委員会は、妨害行為が起きた際に他の利用者の安全確保が図れないことだけではなく、文化は教育の拠点施設において、どんな団体であっても、人権や民族、門地など自分では選択できないバックグラウンドや、国籍などの属性を捉まえての差別行為は許されないと明言している。
2020年9月には、名古屋市内の愛知芸術文化センターで「あいちトリカエナハーレ」が予定されていたが、警備員配置などの条件に主催者側が応じなかったことから、指定管理者が許可を取り消している。しかし、同展は予定されていた時期に、名古屋市の施設で開催された。
また2018年には川崎市の施設での排外主義団体の集会が中止に追い込まれているが、こちらは集会当日、抗議する市民が詰めかけたことで混乱が生じたことが理由だった。
これまでに山形県でも差別的な集会への施設利用許可が取り消されているが、このようなケースは数えるほどしかない。
その理由について『ヘイト・スピーチと地方自治体 共犯にならないために』(三一書房)の著者で東京造形大学名誉教授の前田朗さんは、大阪市人権施策推進審議会が2015年2月に発表した答申の影響があるのではないかと言う。
2015年2月、大阪市人権施策推進審議会は、橋下徹市長(当時)の諮問を受け、「ヘイトスピーチに対する大阪市としてとるべき方策について」を発表した。その中で大阪市内の施設等の利用制限について、次のようにまとめている。
・ヘイトスピーチを行う団体であること、又は、ヘイトスピーチが行われることのみを理由に公の施設の利用を制限することは困難である。
・地方自治法では、公の施設は本来住民の福祉を増進する目的をもってその利用を供するための施設であるから、正当な理由がない限り利用を拒むことはできず、不当な差別的取扱いをしてはならないとされている(同法 244 条)。
・また、集会場その他の公の施設は、集会の自由ひいては表現の自由の保障に密接に関わるものである。こうした公の施設について、「正当な理由」により利用を拒否することができる場合としては、相手方が使用料を納付しない場合、収容可能人員を超過する場合、他の利用者に重大な迷惑を及ぼす蓋然性が高い場合等とするのが一般的な見解である。
・ヘイトスピーチを理由として公の施設の利用を拒否することについては、それが憲法が保障する表現の自由の行使という側面を持つものであることや、表現内容がヘイトスピーチに該当するかどうかはその内容を確認しなければ判断できないことから、事前の利用の拒否は極めて困難である。
つまり、ヘイトスピーチをおこなってきた、もしくはおこなうと思われる団体であることを理由に、「事前に施設利用を拒否することは困難」だと言っているのだ。
「この答申がニュースで取り上げられて以降、多くの自治体で『ヘイト集会であっても施設を利用させる義務がある』という判断が見られるようになりました。
答申の中には『ただし、ヘイトスピーチが行われる蓋然性が高く、かつ、管理上支障が生じる等、現行条例の利用制限事由に該当することが客観的な事実により具体的に明らかに予見される場合は利用を制限することもあり得る』という記述もあります。
なのに、この部分は詰められないまま今に至ります。大阪府は2016年1月にヘイトスピーチ条例を制定していますが、こちらも施設利用については触れていません」(前田さん)
国立市も憲法21条の「表現の自由」を挙げたうえで「推定では行動を制限することはできない」と答えている。
「憲法学者の中には、ヘイトスピーチを規制すると表現の自由が委縮するという主張があります。たしかに表現を規制していくと、国家権力による表現の介入に繋がる可能性があります。だから特定の観点を禁止してはいけないという意見には、頷ける面もあります。しかし表現の自由には、責任がともないます」(前田さん)
この責任とは何か。前田さんは憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」だと主張する。
「マジョリティの表現の自由を守るために、マイノリティの人権を毀損することは、公共の福祉に反することになります。表現の自由を守るためには、ヘイトスピーチはむしろ規制する必要があります。ヘイトスピーチは民主主義に対する攻撃です。国際人権法では刑事規制が要請されます。集会の規制も当然です。ヘイトの被害者救済が不可欠です」(前田さん)
大阪市の答申では、表現内容における「ヘイト性」の考慮要素として、限定した参加者に向けた表現行為は対象外としながらも、誰でも見られるネット上にあげられた集会記録動画は、その対象だとしている。
つまり「事前に施設利用を拒否することは困難」であったとしても、「展示が終わったから終わり」ではないのだ。表現の自由を理由に「内容には踏み込まない」ことで、傷つく市民の人権は誰が守るのか。それもまた、自治体に課せられた責任だといえるだろう。