マンガ家が作品を発表するのに、経験豊富なマンガ編集者の存在は重要だ。しかし誰にでも“初めて”がある。ヒット作を輩出してきた優秀な編集者も、成功だけではない経験を経ているはず。名作を生み出す売れっ子編集者が、最初にどんな連載作品を手がけたのか──いわば「担当デビュー作」について当時を振り返りながら語ってもらい、マンガ家と編集者の関係や、編集者が作品に及ぼす影響などに迫る連載シリーズ。第2回で登場してもらったのは、講談社週刊少年マガジン編集部の川窪慎太郎氏。「進撃の巨人」「五等分の花嫁」を手がけた人物だ。
【大きな画像をもっと見る】取材・文 / 的場容子
■ 浦和のジョナサンに行くのが憂鬱だった「ゴッドハンド輝」
川窪氏は2006年に講談社に入社。週刊少年マガジン編集部に配属され、最初に手がけることになったのは山本航暉の「ゴッドハンド輝」だった。2001年から連載開始した医療マンガの金字塔で、2009年にはドラマ化もされ、単行本は62巻を数えるロングラン連載だ。川窪氏が担当として入った時点で、単行本はすでに30巻以上刊行されていた。
「1年目で先輩の下についてサブ担当として入らせてもらい、最終話が掲載された2011年まで担当しました。立ち上げた大先輩に加えて、当時はもう1人先輩がいたので、僕は3人体制のサードみたいな感じでした」
作品の担当が3人とは多い気もするが、よくあることなのだろうか。
「2人ぐらいが多いんですが、3人体制も決してないわけではなく、勉強になる作品や編集の役割が多い作品だと3人入ることもあります。『ゴッドハンド輝』の場合は編集として学ぶことも多いし、医療の取材もしないといけないので担当も多かったですね」
のちに「進撃の巨人」を立ち上げることになる川窪氏の初担当作は、順調な滑り出しとまではいかなかったようだ。
「自分の手に余るというか、荷が重かったです。山本さん自身がすでに僕と出会った時点でベテランでした。『ゴッドハンド輝』の前に『疾風伝説 彦佐』という連載もされていて(山本晃名義)、そちらもかなり長く描かれていたんですよね。『ゴッドハンド輝』も僕が入った時点で30巻くらい出ていてうまくいってる状態で、作家的にも作品的にもできあがっている。かつ医療マンガだったので、自分としてはレベルが高すぎたというか、正直ついていけなかったです」
山本との打ち合わせでは、新人編集ならではの忘れられない思い出があるという。
「浦和でずっと打ち合わせしていたんですけど、まず浦和に行くのが憂鬱でした(笑)。ちょっと特殊だと思うんですけど、『ゴッドハンド輝』って週刊連載だけど3週分ぐらい一気に打ち合わせするんです。うまくいけば山本さんが3話分のネームを持ってきてくれて、うまくいかないときでも2本。理由は、まとめてやらないと取材が間に合わないから。できあがったネームが医学的に正しいのかを確認してもらわないといけないので、当時大学病院に取材に行っていました。毎週取材だとスケジュール的によくないので、3本くらいまとめて取材するためにそうした進行にしていたんです」
浦和に行くのが憂鬱だった理由。それは、「自分が役に立たない」ことを感じていたからだった。
「編集が3人で行って山本さんにネームを見せてもらって、若手の僕がまず感想を言うんですよね。それを山本さんは笑顔でうなずきながら聞いてくださる。で、僕の感想が終わってチーフが感想を話し始めると、そこで山本さんは初めてペンをとるんですよ。さっきまではテーブルに置いていたペンを。そのとき『俺の意見って大したこと言えてないんだな』って痛切にわかって(笑)。すごくよく覚えています」
■ 長大な医療マンガで培った方向感覚
すでにベテラン編集と作家の信頼関係ががっちり組まれている中に、新人編集として入っていく──胃が痛い話だ。だが、そこで同時に得たものは、その後の編集人生に息づく貴重な感覚だった。
「打ち合わせと同時に取材にも行かないといけなくて、大学病院の救命救急の先生に相談していました。当然めちゃくちゃ忙しい方だし、職業柄、急な予定変更も多く、制約の中で取材をしないといけなかった。先生は山本さんのネームに描いてあることが医学的に正しいのか、現実に起こり得るのか見てくださるんですけど、当然間違っているときもあるわけです。大ベテランの山本さんが熱心に勉強をして描かれていても、『こういうことは起こらないですよ』と言われたりする。だからそこで僕らがやるべきは代替案を取材することなんです。
当然現実の医療とマンガではギャップがあって、“医学的な正しさ”だけを追求してもマンガ的には面白くなくなっちゃう。だから、取材をやる中で、未来のことを少しずつ意識するようになるんです。『これがもしネタとしてあり得ないと言われたらどうする?』『ほかにどういうストーリー展開があり得るか?』と。こちらも、ネームとは別にサブ案を持っておく。目の前のことだけではなく、少し先のことを考えておくという準備の仕方は少しずつ学べたし、マンガにもそれが生きていくようになりました」
医療マンガは、物語の中で起きていることが自分にも起こり得るという緊迫感があるからこそ、読者がハラハラしながら面白く読めるという面がある。それだけに、医学的な正しさとマンガとしての面白さの両立は、担当する編集者にとっても想像以上に困難で、踏みしめがいのある道だったようだ。
「若手の頃って、どうしてもネームが単体で面白いのか面白くないのか、読みやすいのか読みにくいのか、そういうところだけ見ちゃう。だけど本当にやったほうがいいのは、これまで積み重ねてきた30巻分のストーリーの中で、この話はどんな意図を持っているのかを考えることなんですよね。『主人公は前にこういう気持ちだったのに、これはおかしくないか』とか、『主人公が追い求めているものと、このセリフとは矛盾しないか』とか。長いストーリーなら特に、過去も未来も含めた全体像の中で今渡されたネームを読まないといけない──今はそういうふうに言葉として言えるけど、『ゴッドハンド輝』を担当している間にそこまでいけたかはわからないですね。ただ医療取材のおかげで、少しずつそういう感覚を体得できた気はしました」
大変な作品だ。「自分では二度と医療マンガは担当できない気がします」と笑う川窪氏だが、その経験で得たものは大きく、その後長大な作品を担当するときには「ゴッドハンド輝」で培った方向感覚がきっと生きることになったのだろう。さらに、「ゴッドハンド輝」でもう1つ印象的だったのは、作家のキャラクターとの向き合い方だったという。
「山本さんは、作家としての目線とはもう1つ別の、俯瞰した視点を持っている印象がありました。例えば『自分はこうしたほうが面白いと思うんだけど、輝はこういうことしてくれないんですよね』とか、『展開上はここで拒否してくれたほうが面白いんだけど、輝はそうしてくれない』とか。自分の都合のいいようにストーリー展開できたら楽なはずなんですが、やっぱりキャラクターは嘘つけないというか、そういう視点でマンガを作っていました」
■ 「進撃の巨人」諫山創が“ゾーン”に入るとき
「ゴッドハンド輝」で大作、しかも医療マンガの編集の厳しさを知った川窪氏。その後、自身でも連載を立ち上げるようになり、最初に作家と企画から練り上げて世に出た作品はたかちひろなりの「課長令嬢」(2009~2010年、全2巻)、そして同じ時期に立ち上げたのが諫山創の「進撃の巨人」だ。川窪氏の入社1年目に諫山が編集部に持ち込みをしてきたことから始まり、2009年9月から別冊少年マガジンで連載を開始。誰も見たことない造形の巨人たちと人類との壮絶な闘いぶり、そして人間臭さあふれるキャラクターたちによるドラマを世界中の人が愛した。川窪氏はこの作品と、実に11年7カ月にわたり並走してきた。取材中、“天才”というキーワードを出したとき、諫山についてこんな話をしてくれた。
「諫山さんとは、まずプロット打ち合わせをして、何日後かにネーム打ち合わせをするんですけど、プロット打ち合わせでは抽象的な話をいっぱいするんですよね。もちろんあらすじについても話すんだけど、『こんなシーンを描けたらいいな』とか『こんなことを(キャラクターに)言わせられたらいいな』『でもそんなシーンになるかな?』みたいに。現実にはないシーンでこれはあくまで仮の話ですが、アルミンがエレンを引っ叩くところを描きたいと諫山さんが言ったとする。そういうとき、『でも引っ叩くような流れだっけ?』みたいなところから始まります。キャラクターはいったん置いて、人がどういうときに人を引っ叩きたくなるかについて話す。『怒ったときですかね?』『今アルミンがエレンにそんなに怒りを抱く要素あるっけ?』『ないかなあ。でもあのときにこう言っていて、それを否定されたら引っ叩くかも?』そういう仮定の積み重ねです」
マンガ家と編集者とのストーリー打ち合わせは千差万別だが、一般的には回ごとの展開や山場を大筋で決めることが多い。そうした方法とは異なるやり方だ。
「『そういえばアルミンって過去に○○したけど、どういう気持ちで言ってたんだろう?』『こんな気持ちで発言しました』『そのとき、エレンはどう思った?』『こう思ったと思います』『じゃあ2人はちょっと違うこと考えてるんだ。ミカサはどう思って聞いてた?』──。直接のあらすじには関係ないけど、無限の可能性、“if”をぽんぽん話し合うんですよね。過去、未来、今、ほかのキャラクター……とにかくいっぱい話していって、その中にアルミンがエレンを引っ叩く可能性のあるものを諫山さんが取捨選択して、ネームにするんです。ほぼ毎回こういう打ち合わせですね」
キャラクターが辿るかもしれないあらゆる可能性を探る──途方もない作業に聞こえる。
「だから、プロットの打ち合わせであらすじが全部決まって、そこからネームに入ることってない。過去の話を全部してテーブルの上に出してきて、その中に正解かはわからないけど、何かがある気がする。それでネームになってるんです」
まるで宝探しだ。必要な道具をいったんすべて並べて、それを全部使って“答え”にたどり着く。そして川窪氏は、尊敬する作家・村上春樹の表現を用いて、諫山の作業過程についてこう説明する。
「諫山さん、最後はいわゆる“ゾーン”に入るんです。僕が好きなのでどうしても村上春樹的な言い方になるんですが(笑)、“地下に潜る”とか“井戸を掘る”みたいなイメージで、深く潜って下のほうから何かを取り出して、地上に戻ってくるとストーリーになっている──うまく言えないのですが、その過程を全部見ていると、『諫山さん、とんでもないことやってるな!』って思います。かつ、キャクター1人ひとりの人生をちゃんと考え抜いて描いているのは、すごいなと思っています」
■ 誰のプライベートにも踏み込まない
一方で川窪氏の作家との付き合い方も、ある種特徴的である。それは、「作家のプライベートに踏み込みすぎない」。個人的に、どちらかというと編集者には「作家さんと編集は一心同体になってナンボ!」というタイプが多い印象を持っているのだが、川窪氏のスタンスはどのような背景から築かれたのだろうか。
「作家に限らず、誰のプライベートにもそんなに興味がないんですよね(笑)。たぶんもう3~4年くらい、部員とはあまりご飯食べに行ってないです。それは性格だけに由来しているわけでもなくて、一応自分の中ではルールというか、考えていることがあります。川上未映子さんが村上春樹さんにインタビューしている『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮文庫、2019年)という本で小説家や編集者について語っているんですが、めちゃくちゃ噛み砕いて言うと、村上さんは編集者を本質的には必要としていないんですよね。ハッキリ言っているわけじゃないですけど、たぶんそう思っているのだろうと僕は感じました。
僕は村上春樹を敬愛しているし、仕事として編集者をずっとやってきて、今後の可能性としては村上春樹をサポートする編集者になる可能性もごくわずかとはいえゼロではなかった人生だと思っていたんです。でも実際はゼロだったんです。それはきっと村上春樹さんは小説家だけれど、僕は編集者ではないからなんだろうと思いました。僕はどこまで行ってもサラリーマンなので、人事異動で明日まったく違う部署に行く可能性もあるし、編集職でない部署に行く可能性もある。あの本を読んで勝手に「そういうことなんだろうなー」と痛感したんです。そういう意味で、『自分は作家の人生を背負えない』という考えになるんですよね」
編集者を本質的に必要としない、独立した存在である“作家・村上春樹”と、彼を敬愛する会社勤めの“編集者”。一緒に仕事をする可能性があっても、同一の次元では語ることができないところに煩悶があり、川窪氏の“人に必要以上に踏み込まない”スタンスの理由もそこにあるのかもしれない。複雑な思考だが、見えたのは「嘘で接したくない」「誠実でいたい」という人間としてのあり方、生真面目すぎる信念だった。
「マンガの例で言えば、出会ったときにマンガ家が20歳だったとして、25歳、30歳くらいまでは面倒を見てあげられるかもしれないけど、40歳まではきっと見てあげられないし、50歳、60歳になったら100%関わりはないだろう。もっと言えば3年経ったら自分は全然違う仕事しているかもしれない。そう思うと、僕は作家とは一心同体にはなりようがないし、なるためには専属のマネージャーになるしかない。それを選ぶつもりも勇気も自分にはないから、一線を引かないと自分の中で嘘になるなと思うので、一心同体というスタンスはないですね」
■ 答えの周辺にボールを投げたときの“反響音”を大事に
作家に対して手放しで「一生面倒見ます」という態度を見せるよりも、川窪氏式の編集者としての誠意や、まっすぐさが感じられるように思えた。その一方で、編集者とは作家に気を使い、モチベーションを高く保ってもらうことも大事な仕事である。川窪氏は「“反響音”を大切にしている」という。どういうことだろうか。
「作家の中から出てくるものを大事にすることを意識しています。僕はいろんなジャンルの作品を担当していますが、結局描くのは作家なので、僕の得意ジャンルって別に必要ないんですよね。もちろん、編集がミステリーに詳しくてすぐにトリック思いつきますとか、医学部にいたから医療のことわかってますとか、得意なものがあるのは武器になりますけど、『ラブコメ得意』『ファンタジーが得意』みたいな能力は、僕は全然必要としていない。なぜならそうしたものは作家の中から出てくることのほうが大事。自分の意見を言うときも、それが作家の意見を引き出すクッションになるから、くらいのつもりです。
マンガ編集者を長くやっていると、『この辺にゴールがきっとあるんだろうな』というのはそれなりにわかるんです。だから行き詰まったときに、今自分たちのいるのがこの地点なら、答えがありそうな周辺に『Aみたいな展開はどうなの?』と投げてみる。それに対して作家が『Aはいまいちだけど、Bみたいな展開はどうですか?』と考え、答えに近づく──そんな流れが自分の理想の1つとしてありますね」
作家とのキャッチボールの中で、“反響音”に耳を澄ます。これもまた“宝探し”かもしれない。
「さらに言えば、仮に僕が答えをわかっていて、『こういう展開にすべきだ』と伝えて、マンガ家が『わかりました』と描くのと、同じ答えだとしても、作家が『答えはこれだと思います』って描くのだと意気込みが違うので、全然違う結果になると思っている。なので、基本的には答えがありそうな周辺にどんどんボールを投げていって、その反響を大事にしています。反響音を作家に聞かせて、『その音から考えれば、これが正解なんじゃないですか?』というのを作家に考えてもらうのが自分の理想です」
よい編集者とは、優秀な教師に近い側面もあるのかもしれない。そんな川窪氏が“面白い”を定義するとしたら、どんな内容になるのだろうか?
「それは自分の中では明確にあり、後輩には伝えるんですが、社外には出したくないので秘密です(笑)」
残念、秘伝の書であった。
■ マンガ編集者は特別な仕事ではない
入社1年目で諫山創という巨大な才能を見出し、あるべき形で世に問うためにはすぐれた“審美眼”が必要だと思うが、このキーワードについて、川窪氏から返ってきたのは意外な反応だった。
「審美眼を養おうと思ったことはないし、マーケティングもしたことないので、そういう点では自分はいい編集者じゃないなと思います。何が読者に受けるかも考えたこともない。マンガ編集をしていると、『どうやって時代に合った作品を見定めるのか?』というテーマも出てきますが、これに関して言えば、僕は日々おっさんになっていきますけど、日々若い作家と出会えるわけです。僕は昭和の空気吸って生きてきちゃったけど、今僕のところに持ち込みにくる18歳とか20歳の子たちは、今の時代、令和の空気を吸って生きているので、時代をわかっている。自分はわからなくてもわかる人にベットする、賭けるのでいいんじゃないのって思います(笑)」
作家に内在する才能と感覚を信じてうまく開花させる。川窪氏の編集者としてのあり方がよくうかがえる答えだった。編集者となって17年目だが、“編集者の心得”を伝えるとしたら?
「正解はないので、強いて言うなら“自分が何者になりたいのか”ということですね。編集者に限らず、その1点を考えずして働けない気がする。編集者ってたくさんある仕事の1つであって、特別ではないと思っているので、別に『マンガ編集者だからこういう心構えが大事』といった特別な言葉は自分の中にはない。結局ただの仕事なので、『自分がどういうスタンスで仕事するか』が大事だと思っています」
■ 担当中の「ガチアクタ」週刊連載で描ける絵の限界に挑戦中
川窪氏の口から出てきたのは、マンガ編集者を特別な仕事と捉えない、人間の普遍的な仕事と在り方の話だった。編集者である前に、どう生きるべきか、在るべきか──川窪氏の動向を追っていけば、これからも私たちをあっと驚かせてくれそうだ。目下力を注いでいる3作品について語ってもらった。
「『ふらいんぐうぃっち』が続いているのと、『五等分の花嫁』の春場ねぎさんの『戦隊大失格』、あと『ガチアクタ』といった作品を担当しています。『ふらいんぐうぃっち』については、もう今更言うこともないですけど、ストレスフリーなマンガなので嫌な人は出てこないし、嫌なことが1つも起こらない。なので、嫌なことがあった人や嫌な目に遭いたくない人はお読みください(笑)。
『戦隊大失格』は前作とはガラっと変わって、めちゃくちゃ新しいことにチャレンジしている。持ち前の絵のうまさと女の子のかわいさに加え、エンタメの中で“正義とは何か”というテーマにチャレンジしている。今までとは一風変わったものを味わいたければ、ぜひ読んでほしいです。
『ガチアクタ』は裏那圭さんの初連載作なんですが、週刊連載で描ける絵の到達点というか、週刊でこれ以上のものがあるのか?というくらいの緻密な絵で描かれています。なので、デビュー初連載作家の限界チャレンジをぜひ週刊で見てみませんか?という作品ですね。今後すごいことになると思っています」
■ 川窪慎太郎(カワクボシンタロウ)
2006年、講談社に入社。同年から現在まで、週刊少年マガジン編集部に所属している。担当作品は「戦隊大失格」「ふらいんぐうぃっち」「ガチアクタ」。過去の担当作品には「進撃の巨人」「五等分の花嫁」「将来的に死んでくれ」「復讐の教科書」などがある。