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東京・成城のほこらで見つかった身元不明の「頭蓋骨」、添えられた手紙には「日中戦争から帰ってきた人です」の文字が…

2022年08月15日 10:41  弁護士ドットコム

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高級住宅街としても知られる東京・成城にある「喜多見不動堂」で、人の頭蓋骨が見つかった。


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不動さまを祀った祠で、風呂敷に包まれた髑髏には「日中戦争から帰ってきた人」との置き手紙が託されていたという。



いったい誰が、何のために…。取材班は現地に飛び、第一発見者に話を聞いた。(編集部・塚田賢慎)



●風呂敷包みのしゃれこうべ

頭蓋骨の情報がもたらされたのは、7月26日発行「官報」の「行旅死亡人」欄だった。



〈平成31年3月26日午前11時40分、東京都世田谷区成城4丁目2番9号喜多見不動堂岩屋不動にある祠内にて、風呂敷に包まれた白骨化した頭蓋骨上顎部が発見されました。上記の頭蓋骨は、身元不明のため、火葬し、保管してあります。心当たりのある方は、世田谷区保健福祉政策部生活福祉課まで申し出てください。〉



「祠」「風呂敷包みの頭蓋骨」…。短い文章のなかに、気にかかるワードが散りばめられている。世田谷区に問い合わせた。



●日中戦争で亡くなった人?

同課に4~5年在籍するという担当者も「このような形で頭蓋骨が見つかったことはなく、珍しい」と説明する。



事件性も視野に警察も調べたが、身元や経緯が判明しなかったことから、2019年10月に区役所が引き継ぎ、無縁仏として同年10月11日に火葬を執り行ったという。



なお、2019年の発見から発表が3年近くも経過したのは、事務手続き上の判断が理由だという。



担当者からは「日中戦争で亡くなられた方ですという置き手紙もあったようです」とさらに気になる情報がもたらされた。



発見者は不動堂の管理人の男性だという。その日のうちに、取材班は現地に飛んだ。



●高級住宅地・成城においしげる「森」のなかの不動

不動堂は小田急線の成城学園駅と喜多見駅の間に位置する。



あらかじめ目的をもって訪ねなければ、歩きながら見過ごしてしまうような景観の一部になっている。





取材に動いたのは、最高気温40度を超える日を「超猛暑日」と気象協会が名付けた日だった。小さな池の脇から続く坂道を汗水垂らしてのぼっていくと、喜多見不動堂が姿を見せた。





だが、この「本堂」で骨が見つかったわけではない。カンカン照りのその脇で、真っ黒な口をポッカリと開いた洞穴のような「岩屋不動」に風呂敷はあったのだ。





頭をぶたないように腰をかがめながら、5メートルばかり進むとすぐ「祠」が現れた。不動明王の石像がこちらをにらんでいる。





●「私も警察にDNAを採られました」

第一発見者は、不動の管理人を十数年つとめている小泉三雄さん(80)だ。2019年3月26日の昼、不動明王の石像の向かって右側で見つけた。





「花柄の青っぽい風呂敷を開けたら、茶色いものが見えて、次に歯が見えた。すぐ骨だとわかった。不動に来ていたお客さんもガイコツだと言ってね。すぐ警察に電話して、本部からも10人はお巡りさんが来たよ」



周囲の防犯カメラやタクシーの運転手などに聞き込みをすすめたが、それでも頭蓋骨を持ち込んだ人物は特定できなかった。



「私も写真を撮られてね。DNAや指紋も採られましたよ」



置き手紙も確かにあったという。詳しい文言は覚えていないが、



「日中戦争から持って帰りました。ここで供養をお願いします」



という内容で、世田谷区の説明と一致する。





警察は、市ヶ谷の防衛省まで足を運び、日中戦争から引き揚げた人の情報を調べてきたそうだ。



「ただ、防衛省からは日中戦争のときに遺骨を持って帰れるような状態では一切なかったはずと説明を受けた」



それであれば、置き手紙に書かれていた情報が必ずしも「真実」とは限らなさそうだ。



「でも、この不動を知っているということは、ここ周辺に住んでいる人なのかもしれないよね」



小泉さんの元には、困った人が頼ってくることが少なくないという。新型コロナ禍で飼育に困り、行き場を失った鶏も、小泉さんが引きとった。毎日卵を1個産むそうだ。



●地域信仰の象徴的存在

世田谷区教育委員会がつくった「人々の暮らしと信仰」(2003年)によれば、不動の成り立ちは、明治初めに多摩川の洪水で流れ着いた不動明王像を祀ったことが始まりと伝えられているという。



地域の人々の間では不動を信仰する「不動講」があり、特に信心の篤い信者は不動堂の滝に打たれたりしたそうだ。今でも毎年12月には、火を炊く護摩業がおこなわれている。





岩屋不動は喜多見の別の土地にあったものが、いつからか喜多見不動に移ってきた可能性もあるという。ともあれ、ここはまさに地域の暮らしに根付いた信仰の場であるようだ。



成田山新勝寺の分院という位置づけだったが、宗教法人法の改正などを背景に、同じ成城でも、宗派のまったく異なる慶元寺の境外仏堂となった。





寺の住職・山田順司さん(59)も、小泉さんから連絡を受けて、発見当日に立ち会った。



「骨を託された方には、骨を供養するために正当な手順を踏めば、それこそ警察沙汰になるようなこともあったかもしれません。のっぴきならない事情があって、最後まで責任をとれず手元にはおけないけど、粗末にはしたくない気持ちがあったのでしょうか」





もちろん、置き手紙に書かれていた通り、実は日中戦争で命を落とした人の骨なのかもしれない。日中戦争、太平洋戦争の終戦からちょうど8月で77年。真相はわからないままだ。



世田谷区の担当者は「行旅死亡人欄に記載されたことで、身元がわかるようなケースはほとんどない」と話す。



骨は世田谷区の豪徳寺に納骨された。