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「誰とも話さず、カレー粉詰める毎日はイヤだった」 障害当事者のバンド・スーパー猛毒ちんどんリーダーが抜け出した孤独

2022年08月14日 09:31  弁護士ドットコム

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"オレたち障害者は、勇気を与えるために生きてるんじゃない!"と叫ぶ知的障害者・身体障害者がフロントマンのロックバンド「スーパー猛毒ちんどん」。運営母体となる「虹の会」は、"障害が重くても地域で当たり前に暮らす"を掲げて、埼玉でリサイクルショップ「にじ屋」を経営しています。


【関連記事:「オレたち殺されるために産まれてきたの?」 障害者像ぶち壊すバンド・スーパー猛毒ちんどんが「強烈すぎる歌詞」に込めた思い】



2021年10月には、副会長の佐藤一成さんに話を聞きました。



・「オレたち殺されるために産まれてきたの?」 障害者像ぶち壊すバンド・スーパー猛毒ちんどんが「強烈すぎる歌詞」に込めた思い
https://www.bengo4.com/c_18/n_13719/



相模原障害者施設殺傷事件から6年が経ちますが、わたしたちはあの衝撃を福祉という大きな枠に閉じ込めてしまっていないでしょうか。障害や福祉と名付けられたものは別世界のものではなく、誰の生活とも地続きにあるはずです。



今回は、スーパー猛毒ちんどんのリーダーであり、「虹の会」に通っている知的障害当事者・イノウエさんの人生を聞きました。



「同じ障害を持っている人に、世界には楽しいことがあるって知ってほしい」と語るイノウエさんが、「楽しいことがある」と思うようになるまでには、孤独や悔しさがありました。(成宮アイコ)



●普通学級では勉強についていけなかった

——イノウエさんはスーパー猛毒ちんどんのリーダーとしてライブで大活躍していますが、「虹の会」に来るまではどのように過ごしていましたか。



小学校の高学年からいじめられていました。普通学級に通っていたけれど、自分は字が読めないし勉強についていけなかったんです。掃除用のロッカーに閉じ込められて、外からドアを押さえつけられたけどクラスメイトは助けてくれなかった。



でも、親から「学校に行きなさい」って言われていたから、我慢して休まずに行きました。先生は気づいてくれなかったし、友だちもいなかったから誰にも相談できなかった。中学校にあがるときに、「このまま普通学級に行ったらずっといじめられる」と思ったので、特別学級に行くことにしました。



——普通学級から特別学級に変更することで、学校生活に変化はありましたか。



友だちもできた! 自分と同じような人が多かったから授業にもついていけたし、学校に行くのが一気に楽しくなりました。特別学級を卒業すると、作業所で働くか養護学校に行くか選べたので養護学校に入るって自分で決めました。





——養護学校を出てからの進路はどうやって決めましたか。



卒業後に作業所や工場で働くために、3年生になると実習が始まります。一回目の実習がカレーのスパイス工場でした。その体験がスーパー猛毒ちんどんの「カレー」っていう歌になっています。



——"俺は黙ってカレーを詰める 笑うことも忘れた 俺は仲間が仲間がほしい ふざけて笑える仲間が"という歌詞は、そのままイノウエさんの体験談だったんですね。



そうなんです!働いているのは全員が健常者。障害者は僕だけ。ただ教えてもらうだけで、それ以外の会話はなにもない。仕事に行って、9時から17時までひたすらスパイスを箱に詰めて、誰とも話さずにただ帰る。健常者のみんなはわいわいして楽しそうなのに、自分だけ雑談もできなかった。



——誰とも話さない8時間というのは、すごく長い時間に感じたと思います。実習の様子は誰かに話したりしましたか。



先生にも親にも言えなかった。でも、当時は仕方ないって思ってたから。



●自分も話をしていいんだと思った

——次の実習で「虹の会」に来てみて、雰囲気はどうでしたか。



カレー工場とは全然雰囲気が違ったんです。みんなが「どこから来たの?」とか「趣味はなに?」とか話しかけてくれたから、自分も話をしていいんだって思いました。ここなら通えるって思えました。



——そこから今の明るいキャラクターのイノウエさんにつながるんですね。



地域の人から物をあつめて、バザーを開いているうちに緊張もとけてきて、自分からもみんなに話しかけるようになった。最初は、どうやって話しかければいいのかわからなかったけど、みんなが話しかけてくれたのを真似しようって思ったらできたんです。今では相撲とかプロ野球とか趣味の話をして、野球観戦や音楽ライブに一緒に行ったりもします。





——そこからスーパー猛毒ちんどんとして音楽活動が始まりますが、嫌な思い出だったカレー工場のことを歌いたいと思ったのはなぜでしょうか。



「虹の会」では、「これまでの経験で嫌だったことは?」とか「学校はどうだった?」とかたくさん質問をしてくれました。まず最初にカレー工場のことを思い出したんです。話しているうちに、すごく嫌だったのに当時はそれが当然だと思ってあきらめていたんだなって思った。これまでそんなことを聞いてくれる人はいなかった。その気持ちが音楽になってみんなの前で歌うのは楽しかったです。



——養護学校の友だちと、それぞれ自分が通っている場所のお話はされますか。



前の自分と同じように誰とも話さないで、ただ決められたように通って毎日同じくり返しをしていると思う。当時の友だちにも気づいてほしいって思ったし、「カレー」の歌を聴いてほしかった。だから、自分たちがワンマンライブをやるときに手紙を書いて友だちが通っている団体に送ったんだけど、返事はなかったです。



でもね、自分もそうだったならわかるんだけど、孤独な毎日を嫌なことって感じないんだと思う。それが嫌なことなんだって思えるチャンスがない。だって楽しいことを知らないから。今はっきりわかるのは、誰とも話さずに、ずっとカレー粉を詰めて夕方に帰るだけの毎日はすごく嫌だった。



●はじめて「打ち上げ」をした日

——ここで出会ったメンバーとはすぐ打ち解けましたか。



バザーのあとには必ず打ち上げがあって、そこでみんなと仲良くなっていきました。二十歳になったときにはじめてお酒を飲んだのも「虹の会」のみんなと一緒でした。多くの障害者団体は、大人になってもお酒を飲んでみることはしないと思う。



——「なにかあったら危ない」からですか?



それもあるけど、他の作業所は3時か4時に仕事が終わって、すぐに家に帰って家族とご飯を食べるから、打ち上げをしたりみんなとご飯を食べる機会がない。家族以外と接するチャンスがないんです。「虹の会」は忙しかった日は、おつかれさま会をするし、新しい人が来たら歓迎会もする。自分から誘うときもある。





——「虹の会」は地域の方とも交流が深そうに見えます。



ここに来るまではバスやスーパーで嫌な対応をされることもあったけど、「虹の会」はずっとここにあって地域の人もよく知っているから、声をかけてくれるしあいさつもします。それがうれしい。みんなが自分たちみたいに、障害者でも楽しく暮らせるって知ることができたらいいのにと思う。



●生きていて楽しいことがあるんだって知るチャンスがほしい

——実家を出て一人暮らしをしているメンバーも多いですよね。



他の団体は基本的にみんな実家から通っていて、親と指導員さんの間でノートや手紙のやりとりがあって、給食やご飯の内容にまでチェックをいれて決められてしまう。うちは親との連絡帳自体がないし、家を出て地域で一人暮らしをする人が多い。自分も実家から出て自立をしました。最初はご飯も掃除も介助者に付き添ってもらって、覚えるのが大変だったけど、今は一人で全部できるようになった。自分で選んだ服を着て、好きな色に髪を染めて、好きなご飯を選ぶ。自由に暮らすことができるんです。



——世間では当たり前だと思っていることでも、イノウエさんたちにとって当たり前ではなかったことの多さに改めて気づかされました。現在、イノウエさんが願っていることはありますか。



声をかけてくれる人がいたり、雑談をしてくれる人がいるだけで生活が全然違う。そういうことができる人が増えていったら、こんなに明るい人生にできる。今の自分は楽しいことがあるって知っている。前はそれにも気づけなかった。みんなに、生きていて楽しいことがあるんだって知るチャンスがあってほしい。