2022年08月06日 09:41 弁護士ドットコム
2008年6月8日。日曜日の昼過ぎ、東京・秋葉原の歩行者天国に、信号無視したレンタカーが突っ込んだ。5人の歩行者を跳ね飛ばし、タクシーと接触して停車。その後、降りてきた男はナイフを振りかざして通行人に切りかかった。
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7人が死亡して、10人が重軽傷を負った「秋葉原無差別殺傷事件」だ。ことし7月26日、死刑が確定していた加藤智大死刑囚の刑が執行された。しかし、いまだに加藤の動機ははっきりとしていないことが多い。
加藤は事件前、ガラケーからアクセスできる匿名掲示板を利用していたことがわかっている。直前には、犯行予告をしていたため、その書き込み内容をどのように解釈するかも一つのテーマにもなっていた。
当時の書き込みや公判での証言、獄中手記から事件を改めて振り返る。(ライター・渋井哲也)
「今、どこにいますか? 秋葉原にいませんか? 通り魔事件があったんです」
事件発生直後、知人の週刊誌記者から、筆者に電話がかかってきた。
ちょうど、東京・新宿で、インターネットで呼びかけて集団自殺する「ネット心中」の遺族に会っていた。当時、「ネット心中」に関する報道は少なくなっていた時期だが、たまたま、その遺族を取材していたところだった。
すぐに現場に向かうのも、ライターとしては大事な動きだが、筆者は、ネット心中の遺族の取材を優先した。そのため、秋葉原に着いたころには、すでに事件に使用されたレンタカーは現場から移動されていた。
その後、主に公判を通じて、事件を取材するようになった。
当初は、非正規雇用の問題として注目された。そのため、非正規雇用の問題を政治的にどう改善していくのかという視点のイベントをいくつか取材した。
ちなみに、この年の年末には、生活困窮者が、役所の窓口が閉じる年末年始を乗り越えるための「年越し派遣村」が、日比谷公園で開催されている。
一方で、交流サイト「ミクシィ」では、秋葉原事件をテーマにしたコミュニティがいくつも誕生した。
その中では、非正規雇用という不安定な環境にいた加藤に対して、共感的に語られる場面が少なくなく、たびたびオフ会も開かれた。筆者も参加したが、事件について話すことで、事件が生み出した不安を解消しているかのように感じた。
その後、格差社会、ロストジェネレーション、非モテ、おたく、孤立した若者、携帯電話によるコミュニケーション、教育過剰な子育て、サカキバラ世代(神戸連続児童殺傷事件の犯人・酒鬼薔薇聖斗と同じ世代)など、さまざまな観点から事件が語られていった。
筆者が一番関心を持ったのは、掲示板との関わり方だ。
獄中の加藤はマスコミ関係者との面会に応じず、筆者も手紙を書いたが、返事はなかった。しかし、彼はいくつかの獄中手記を出版している。事件に触れたエッセイ『解』(批評社)では、掲示板について次のように述べている。
「現実とネットの世界、と、まるでネット上での出来事は非現実であるかのような言われ方をすることがありますが、ネット上は、仮想空間ではあっても非現実のものではなく、れっきとした現実です」(『解』P.134)
「ネットを通じた向こう側にいるのは、電源を切れば動かなくなるゲームのキャラクターではありません。生身の、現実に存在している人間です」(『解』P.134)
加藤は掲示板にハマっていた。だが、そこでトラブルが起き、無視されて、一人語りの書き込みが始まる。のちに加藤は、掲示板を居場所として捉えて「人と一緒にいる感覚」だと述べている。
「2ちゃんねるは不特定多数のコミュニティです。使っていた掲示板は(特定少数の)高校のクラスのようなもの。2ちゃんねるは大学のようなもの。高校のクラスだとお互いの顔を知っていますが、大学だと知っている人は少ないし、ほとんどが他人です」(公判での証言)
公判の被告人質問で、加藤は「事件はしっかり計画したわけではない」と証言した。
「どこに住んでいるかわからないなりすましや荒らしに、報道を通じて、自分が事件を起こしたことを示すために大事件を起こす必要がある。大事件といえば、大都市。近くの大都市といえば、東京。東京で自分が知っているのは秋葉原。という流れだったと思います。事件を起こすことを考える一方で、やらないことも考えていた。(7日の夜は掲示板内で)警告を繰り返し、事件を起こさない方法を考えていた」(公判での証言)
加藤は、自身のなりすましや荒らしに対して、怒りを表明するために書き込んだ。管理人に書き込みの削除依頼をしても、なりすましは消えない。本物は自分であることを証明するためには、予告を実行するしかない。そうしないと居場所を取り戻すことができない。そう感じていた。
たしかに、書き込み内容と同じことをすれば、本物は自分であると証明できる。公判では、こんな証言もしている。
「事件を起こさなければ、掲示板を取り返すこともできない。愛する家族もいない。仕事もない。友人関係もない。そういった意味で居場所がない」(公判での証言)
加藤は、事件前の木曜日(6月5日)と金曜日(6月6日)、仕事を欠勤した。犯行で使用したナイフを購入したのは、金曜日だ。
すでに居場所だった匿名掲示板で、誰も相手にされなくなっていた。当日の6月8日、「究極交流掲示板(改)」に「秋葉原で人を殺します」というスレッドを立てた。事件直前、こんな書き込みをしている。
5時21分 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら
6時00分 俺が騙されてるんじゃない 俺が騙してるのか
02分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される
03分 大人には評判の良い子だった 大人には
45分 秋葉原ついた/今日は歩行者天国の日だよね?
12時10分 時間です
加藤が書き込みをしていたのは、「高校のクラスのような」掲示板。自分の気持ちをやや大げさに書き込むと、返信があり、心配されることで、心が癒された。やがて掲示板内で知られる存在になり、「不細工スレの主」として、キャラが確立していく。
ウケ狙いの書き込みやキャラクターを演じること(キャラ設定)は珍しい行為ではない。しかし、やり過ぎたのか、掲示板内のルールや雰囲気が変わったのか、荒らしと判断されて、書き込みを禁止されることになる。
掲示板やスレッドによっては、コミュニケーションの作法が違うが、加藤にとって、荒らし認定は、学級内で話すことを禁止されたようなものだった。
「別の掲示板に引っ越しました。利用する人は少なかったのですが、雑談したり、ネタがあったり」(公判での証言)。
加藤はレスポンスをほしがった。レスが多いほど、充実感を得られる。そのため加藤は「本音のネタ」を書き込んでいくことになる。
「(本音のネタとは)一言で言えば、冗談。実話を元にしたもの。脚色したもの。まったくの作り話もネタになります」(公判での証言)。
加藤は徐々に掲示板への依存度が高まっていく。
「私にとっては家族のような。家族同然の人間関係でした」(公判での証言)
現実の家族関係が良くない加藤にとって、掲示板は家族関係を再構成する、まさに居場所だった。ただし、加藤は、孤独にネット上のやり取りだけをしていたわけではない。
掲示板で知り合った女性と仙台で会ったり、九州まで行って掲示板の管理人とも会った。
自殺したいと考えていたときに、兵庫の女性からのメールで自殺をやめたこともある。群馬の女性に会いに行って抱きついたこともあった。
加藤は、女性から拒絶された出来事を掲示板に書いたが、その女性に書き込みが見つかり、スレッドを閉鎖した。
しばらくすると、加藤のなりすましが現れた。
「人間関係を乗っ取られたという状態になりました。帰宅すると、自分そっくりな人がいて、自分として生活している。家族からは私がニセモノ扱いされてしまう状態です」(公判での証言)。
他人が加藤のふりをして、掲示板でのコミュニケーションを図る嫌がらせだ。トラブルから逃れるために、前回は掲示板を引っ越したが、このときはそうしなかった。家族同然の人たちが集う居場所から出なかった。
〈なりすましがいる〉と書き込んだが、なりすましは収まらない。
そのため、5月31日には〈みんな、死んでしまえ〉と怒りをあらわにした。アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の旧劇場版のキャッチコピー「みんな、死んでしまえばいいのに・・・」に似ている。
なお、加藤は『エヴァンゲリオン』を見ていて、高校の文集にも、登場人物の綾波レイに触れている。
6月4日には〈土浦の何人か刺したやつを思い出した〉と書き込んだ。同年3月に発生した土浦連続殺傷事件(2人死亡、7人負傷)のことだ。ただし、この時点では事件を起こすことを考えていなかった。
「この書き込みから、私が事件を起こすのではないかと考えてくれるものと思っていました。そういう警告であって、本当に私は他人を巻き込んで自殺したいわけでも、そもそも自殺したいわけでもありません」(『解』P.144)
はたして、事件を起こす必要があったのか。書き込み主と現実の自分とを一致させることのアピールであれば、犯罪でなくてもいいはずだ。加藤の思考を掲示板の書き込みから読み取ることは難しい。
加藤も実際、著書の中でこう話している。
「本当は、私が掲示板を利用していて、そこで成りすましをされ、それを正当化され、警告したが無視された、という以上には掲示板に触れる必要はありません」(『解』P.148)
「そもそも掲示板の書き込み内容を分析することには意味がない」(『解』P.148)
公判を通じて、加藤はなかなか「本心」を見せない人物だと筆者は思った。
加藤自身も「建前」と「本音」と「本心」を区別している。掲示板は「大切な場所」であり、ネット社会では「本音でものを言える関係が重要」だった一方で、「現実は建前」。「本音ではあるが、本心ではない」と述べていた。思考が読み取れにくい。
座間男女9人殺害事件の白石隆浩死刑囚が証言したシンプルな内容とは対照的だ。
加藤は、被害者に宛てて、謝罪の手紙を書いている。しかし、それが「本音」なのか「建前」なのか、いまいち判断できない。手紙の中には、〈私は小さな頃から『いい子』を演じてきました〉〈『申し訳ない』と思っている自分は、はたして本当の自分なのか〉と書かれている。
公判では、被害者が意見陳述した。そんな中で、加藤が反応した瞬間が何度かある。
刺されて重傷を負ったタクシー運転手が「私は(手紙の)内容を信じている。しかし、公判を傍聴してみて、納得いくものではない。今からでも遅くはない。真実を語ってほしい」と言ったときだ。
加藤はその男性と視線が合った。検察官や弁護士とのやりとりでは見せない反応だった。
また、けが人を助けようとして刺された女性が次のように証言したときも、加藤は女性を一直線で見つめて、証言が終わると頭を下げるように見えた。
「私は、暴力で襲った相手への気持ちが聞きたかった。なぜ私たちは加藤さんの考え方を知らなければならないのでしょうか。謝罪は本当なのか。そんなことを考える前に決定的なものが消えてしまった」
すべての証人のときではないが、被害者の顔を見ようとしたことが、傍聴席から確認できた。被害者の声が届いたようにも見えたが、それも「建前」だったのかもしれない。結局、被害者のことを多くは語らなかった。
獄中エッセイ『解』の終わりで「自分の目的のために、まるで道具のように、というよりは、まさに道具として人命を利用した、最悪の動機でした」(P170)と触れている程度だった。これも「建前」なのだろうか。
結局のところ、加藤の動機ははっきりとしないままだが、今回の死刑執行によって、秋葉原無差別殺傷事件は、おそらく急速に風化していくだろう。なぜ、あの事件が起きたのかを考える人も少なくなっていくかもしれない。
だが、死刑が執行されても、事件の被害者や遺族にとっては終わりがない。
被害者はその日、その時間、あの場所にたまたま居合わせただけだ。生き残っても、心や体に傷を負った人たちは今でもトラウマを抱えている。そして、亡くなった人の遺族の心情は計り知れない。そのことは忘れないようにしていきたい。