数多生まれては消えていくソーシャルゲーム。毎日のように玉石混交のソシャゲが世に出されているが、それらすべてはいつかサービスが終了する。モノによっては何年も人気のソシャゲだってあるが、いつかは必ず終焉を迎える。
ソシャゲの末路って儚いものだ。大金をぶち込んできたユーザーも、この決定に関しては一切の無茶が通らないのである。中にはサービス終了後も、データベースだけは残るなどのオフライン機能を残すタイトルもあるが、大半はサービスが終わるとコンテンツの一切を消し去ってしまう。
ほんと、儚いよね。今回はそんなソシャゲのサ終あるあるについての話を紹介していきたい。(文:松本ミゾレ)
「これはそう長くないぞ」とユーザーに予感させるソシャゲの展開
先日、5ちゃんねるに「ソシャゲで『あっ、これ先は長くないな』と悟る展開」というスレッドが立っていた。スレ主はその一例として「復刻ガチャ連発」を挙げている。もう新しいガチャラインナップを提示しなくなり、復刻一辺倒になるといよいよ危ないとユーザーは感じるものだから、これは納得。
他にもいろんな書き込みがあるので、ちょっと引用させていただきたい。
「本スレがゲームとは関係ない話で盛り上がる」
「ゲーム内広告が空っぽ」
「イベントが使い回し」
「急展開で話畳もうとしてくる」
上記の書き込み。身におぼえがあるというサ終体験者も多いのではないだろうか。僕も過去に「急展開で話畳もうとしてくる」を体感したことがあった。
結局広げた風呂敷を一気に畳んでサービス終了しちゃったんだけど、今思うと曲りなりにも文芸面でちゃんと終止符を打っていて「すごい」と素直に思ってしまう。そのへん放置したままいきなり終わっちゃうより全然いい。
ブログサービスもサイトも、サ終で残らず消え去るのは文化の遺棄だよね
サービス終了は結局のところ、それが早いか遅いかの違いしかない。人気のタイトルは関連商品が出たり、アニメにもなるみたいだけども、それもいつかは「そんなのあったね」ってなっちゃう時代が必ず来るのだ。
なんかこう、デジタルの世界のコンテンツって脆弱だよね。それこそまだソシャゲ黎明期に、絵集めゲームと揶揄されていた頃、SSRとかのレアカードを引くために数万円使う人って結構いたじゃない。今もいるかもしれないけど。
あれだって、現物がせめて手元に届くならまだしも、そうではない。あくまでデジタルのコンテンツとしてのレアカードが存在する体(てい)でしかないから、サ終すれば存在は無に帰す。こんな儚いこともない。
考えてみればネットが普及し、ブログやHPサービスなんかをYahoo!など大手が提供したけれど、これらも大手の胸先一つで去就が決まるのはやはり虚しい。読み物として秀逸なブログや、有名なクリエイターの日常をつづった貴重な交遊録なんかも一緒くたに消されてしまうことって、多いもの。
いつの間にか見ることができなくなったサイトも随分ブックマークに溜まっている。気づいたら削除するんだけど、もう見れないコンテンツだと思うと悔しさもひとしお。
つくづくネットを経由して閲覧するコンテンツって、紙媒体と同じ括りで見てはいけないと思ってしまうなぁ。それこそ僕も趣味のブログを2007年ぐらいから続けているけど、ブログサービス自体がサ終するってんで引っ越ししたことが2回もあるし。
ネットで触れる情報って面白いもの、貴重なもの、意味不明だけどなんか惹かれるもの。山のようにある。それらがある瞬間で消えてしまうというんだから、まるで文化の遺棄、否定みたいだよね。
それこそソシャゲだって、どんなストーリーでどんなキャラがいて、どんなUIだったのか? みたいなことを記録している書籍なんかあったら、僕は普通に買って読みたいんだけどなぁ。それぐらいの対応はあっていいぐらい、日本独自の集金文化という立派なコンテンツなんだし。