2022年07月24日 09:21 弁護士ドットコム
安倍元首相の銃撃事件の容疑者をめぐり、その動機やこれまでの人生が断片的に報じられ、なぜ事件を起こしたのか、国民的な関心事になっている。
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テレビや新聞、インターネットでも、たくさんの情報が流れ、研究者や医師、弁護士といった専門家から、元政治家や芸能人まで、容疑者の人物像について、様々な立場の人たちが語っている。
ただ、「専門家」のコメントの中にも、「不遇な幼少時代を過ごした人たちは、『歪んだ特権意識』を持つようになりがち」(精神科医)、「幼稚なまま育ってしまったマザコン」(弁護士)といった見方もあり、犯罪心理学が専門の原田隆之・筑波大教授は、「まだわからないことも多い中で、『専門家』を名乗る人たちの断定的な『診断』が、マスメディアの作ったストーリーに沿って流れることに危機感を覚える」と語る。専門家とメディアの関係について、詳しく聞いた。(ライター・今川友美)
原田氏は、今回の事件に限らず、犯罪の容疑者をめぐる報道などでは、「専門家」を名乗る人たちによる、無責任な情報が流れ続けてきたとして、「マスメディアの責任は重大だ」と語る。
「専門家が述べることは正しいであろうという先入観や信頼感を持って人々は聞くわけなので、一般人が発言するよりも重い責任がある。責任というのは、専門性と表裏一体でなければならないが、『専門家』がメディアに出るとなると、無意識なのか意識的なのかはわからないが、制作側のニーズに応えようとするサービス精神で、ついつい口がすべって余計なことを言ってしまう面が見受けられることもある」という。
原田氏によると、「専門家」のなかには「論文は書かずに、世間受けする一般書ばかりを書いたり、ネットなどで評判を集めたりすると、マスメディアから仕事が舞い込んでくると考え、自分の専門性よりも、マスメディア受けするほう、名前が売れるほうに行ってしまう人も残念ながら存在する。
そうした『専門家』はテレビを作る人たちのニーズにもマッチしているので、そのほうがどんどん出演しやすくなり、『専門家』のほうもまた呼んでもらおうと、番組が描くストーリーに合ったようなテレビ受けするようなことを言ってしまうという悪循環が起こっている」と説明する。特に原田氏は、今回、NHKを含めた影響力の非常に強いメディアで見られたことに危機感を抱いているという。
そうした現状を招いてしまう一番の原因として、原田氏はメディア側の専門家への「『専門性』にたいする基準の甘さ」を挙げる。
「『専門家』を選ぶ際に、テレビによく出ているから、本が売れているからといった甘い基準ではなく、業績や論文一覧をまずはチェックする必要がある。
メディアも時間との勝負で、きちんとしたコメントもほしいし、断られたり、とんちんかんなことを言われても困るという事情も十分に理解できるが、学会などと協力して日ごろから信頼できる専門家のリストを作っておくことも可能だ」としている。
ただ、今回のような大きな事件で、不確実なことが多いからといって、犯罪心理の専門家が何も語らないということでいいのか。
原田氏は、「実際に会ったことがない人を分析、診断してはいけないという職業倫理は、社会的に大きな事件だったり、社会的に要請がある場合には、必ずしも絶対ではない」と前置きしたうえで、専門家としての「抑制」が求められると強調する。
「専門家であれば、わからないことを適当なサービスのつもりで、断片と断片の間を推測で埋めて、物語を作るのではなく、『わからないことはわからない』と慎重になるべきで、その線引きができるのが本来の専門家だ」と説明する。
原田氏は、メディア側も同時に、「あたかも専門知識であるかのように、断定的で、偏見に満ちたことを言ってしまうことが、多くの人に影響を与えるということに抑制的であるべきだ」と警鐘を鳴らす。
専門家の社会的な立ち位置について、専門家自身もいまいちどとらえなおす必要があるとも、原田氏は言う。
「社会に向けて専門家が発信するというのは、専門家の社会貢献という意味でも非常に重要だ。国民や一般の視聴者が求めていることでもあるし、テレビが暴走しそうになったらそれを止めるというのも、専門家の役割だ。学会や専門家の側も、メディアとの付き合い方というのを軽んじるのではなく、社会貢献という文脈のなかでも考えていく必要がある」とする。
もちろん、情報の受け手である人たちにも、「メディアが言っていることもまちがいかもしれないということを前提にした『健全な懐疑心』」が必要」だと原田氏は言う。
だが、それ以上に、「専門家側とメディア側とがより歩み寄って、問題意識を共有し、互いの責任を果たそうとする姿勢が重要」だとしている。