トップへ

完走から10カ月、ふたたびル・マンを訪れた青木拓磨「僕にとって特別な場所。またレースに出たい」

2022年07月21日 07:20  AUTOSPORT web

AUTOSPORT web

2022年ル・マン24時間レースの会場に姿を見せた青木拓磨
1998年にテスト走行中に起きた不慮の事故により脊髄損傷を負い、下半身不随になるという悲劇に襲われるも、翌年にはホンダ・レーシングの二輪の助監督として車椅子で復帰。その後も不屈の精神で四輪レーサーとしての夢を追い続け、世界で活躍し続ける一方で、バイクや自動車の楽しさを伝えるべく、日本各地を精力的に飛び回る多忙な日々を送る青木拓磨。

 2021年にはついに長年の夢であり、念願だったル・マン24時間レースにイノベーティブカークラスから初参戦し、ハンドドライブ仕様のLMP2カーを駆り完走を遂げたシーンはまだ記憶に新しい。そんな彼が今年6月に開催されたル・マンのパドックに車椅子を軽快に操ってふたたび姿を現したとあり、改めてル・マンへの想いを聞いた。

* * * * * * *

――今回、ふたたびル・マン24時間レースへ来られたのはどういった意味を持つのでしょうか?

青木拓磨:実は今年の年初に、昨年のル・マン24時間レースの受賞式典にACOフランス西部自動車クラブから招待されており、渡仏する予定をしていましたが、直前になって新型コロナウイルスの影響で中止となったため、今回はその章典を頂きにきました。

――感動的なゴールから約1年。やっとあの日のトロフィーが授与されたのですね。

青木:ACOからサルト・サーキットの名誉ある『Club des Pilotes(サルトサーキット内にあるドライバーズサロンで、ごく限られた者しか入ることができないのだそう)』で私たちのチームだけのために授与式を行い、このル・マン24時間のレースウイークでトロフィーを手渡して頂きました。改めて、24時間を完走できて、そしてここへまたやって来られて良かったな、と実感しました。

そして、去年はコロナ禍で限られた人数の観客導入しか叶わなかっただけに、こんなにも多くのファンで溢れ返るル・マン24時間を久々に見てびっくりしています。

僕自身がル・マンへどうしても挑戦してみたいという強い思いを持ちながら、実は2018年に友人のアンドレ・ロッテラーを応援するために初めて訪れ、そして2019年は24時間レースへ出るためにサポートレースとして行われていた『ロード・トゥ・ル・マン』の参戦のためにここを訪れており、その時のファンの多さや雰囲気に圧倒されて驚いたのを覚えています。

その当時の願いが叶い、2021年にやっと僕自身のル・マン24時間レースへの初参戦が叶ったのですが、昨年はコロナ禍ということで感染拡大防止策の制限下(5万人までの観客数制限)だったこともあり、今年また改めてル・マンを訪れて、昨年とは比べられない人出にただ驚いています。

――今回はゲストとしてこのル・マンへ戻ってこられたわけですが、この独特なル・マン24時間レースの雰囲気、またエキゾーストノートがこだまするパドックにいると、またこの24時間レースへ出場したいという思いが溢れ出るのでは?

青木:もちろんまたすぐにでも走りたい! もう今年はドライバーではない僕にもチームは変わらずファミリーの一員として今年も受け入れてくれています。また、僕をパドックで見掛けたドライバー仲間や色んなチーム関係者が声を掛けてくれて本当にこの場所が大好きだし、こんな世界一のスポーツカーの祭典に、彼らと一緒にまたル・マン24時間レースへ出たいという思いは強くあります。

――それほどにあなたを魅了するル・マンの魅力とは?

青木:F1、インディ500と並び、このル・マン24時間レースは世界最高峰のレースのひとつであり、カテゴリーを超えた世界中の猛者が一同に集い、戦うここは、やっぱり僕にとって特別な場所ですね。

このグリッドへ立つためには数多くの厳しいハードルを乗り越えなくてはなりません。簡単に出られないというところも、このル・マンへ挑戦したいと強く思わせる魅力であり、難しさであると思います。

■ニュル24時間への出場にも意欲「すぐにでも出たい」

――2021年、長年の目標だったル・マン24時間レースを無事に完走されましたが、他には挑戦したいと思っておられるレースはありますか?

青木:ニュルブルクリンク24時間レースへも長年出場したいという強い思いを持っています。実は随分前にドイツモータースポーツ協会へ参戦の意志と希望を伝え、可能性を探っていました。

しかし、当時はまだ身体障害者のレースが普及しておらず、身体障害者にノルドシュライフェで事故が起きた場合のコースマーシャルの安全講習や救助方法の講習制度が整っていなかったため諦めざるを得ませんでしたが、もしも今後ニュルに参戦できる可能性が出てきたら、すぐにでも出たいと強く思っています。

――あなたは下半身不随という障害を持ちながら、ダ・カールやル・マンなど、日本やアジアの小さなレースから世界最高峰まであらゆるレースに挑戦し、その強い精神力や体力はもちろんのこと、ひたむきに挑戦し続けるあなたの姿は、世界中の人々に勇気と希望を与える存在となっているのではないでしょうか。

青木:僕は特別そんな意識はしていませんよ(笑) でも、下半身不随の障害を持つ僕が活動することによって、誰かが一歩踏み出すきっかけになれるなら、そんなうれしいことはありませんね。

ル・マンなどの大舞台でなくても、地域で行われている小さなレースもチームメイトと協力してひとつの目標を目指し、それを大いにエンジョイするということは大切で、この楽しさをより多くの仲間と分かち合えることができればといつも願っています。レースに出場するとなると、それだけでかなりの大きな金額を必要としますし、一般的にはそれを捻出すことは容易ではありません。専用のライセンスや出場資格を取得する必要がある場合もあり、かなりハードルが高いのが現実です。

そのような背景もあって、手元に資金がなくてもレンタルしたミニバイクで初心者も性別も障害者も健常者も関係なくレースを楽しんで欲しいという願いで『レン耐』という、レンタルバイクの耐久レースを開催しています。主催者の僕自身が参加者のみなさんと毎戦おおいに楽しませて貰っていますし、僕の大切なライフワークのひとつです。

――ところで、日本国内のみならず、ル・マンや海外各国でもごく普通のオートマチックのレンタカーを借りて、どこでも自分で運転されているとか? てっきりマネージャーさんが移動車を運転されているのかと思っていました。

青木:ビックリします?(笑) 僕にはいつものことなんですけどね。フランス在住の現地マネージャーも僕が集合場所でピックアップし、毎日僕が自走し、帰りも空港や駅まで送り届けていますよ。ペダルの部分に装着する器具を日本からいつも持参しており、それを着ければオートマチック車ならば下半身不随の僕でもペダル操作を手で行えるので、どこでも運転できます。

レーシングドライバーとしての挑戦もまだまだやりたいことはたくさんありますが、介助者なしで身体障害者がひとりで運転して、より自由に行動範囲が広げられるように、新たな運転システムの開発にも興味がありますね。