マイ数珠を持っているのは当たり前? それとも特殊? そんな議論が、Twitterで勃発した。きっかけは、関東人がマイ数珠(※自分専用の数珠)を持っていないことに驚いたというツイート。これをきっかけにマイ数珠がポピュラーな文化かどうかをめぐって、様々な議論が寄せられているのだ。(取材・文 昼間たかし)
地域よりもコミュニティの濃さが分岐点
このテーマを巡っては、多くのユーザーが様々な体験を語っている。数珠を持ったことがないという意見もある一方で、中高生になればマイ数珠は常識という意見もあった。ざっと見た印象では、東西日本の文化の違いよりも地方か都会かの違いが大きいようだ。地方の場合ではマイ数珠が一般的。対して、都会では、マイ数珠という文化そのものが知られていない。
この違いは、どうも仏事に出る頻度にあるようだ。東京を始め都会に住んでいると、参列する仏事といえば、誰かが亡くなって通夜か葬儀に参列するくらいだろう。よほど親しい関係か仕事関係でなければ、両方出席はしない。また、挨拶程度しか付き合いのない近所の葬式に出席することは皆無。多少、付き合いが長かった場合に通夜に顔を出すくらいである。その後の四十九日なり、三回忌なりに出席することは、まずない。
筆者も地方出身なので、この仏事の少なさにはいまだに戸惑いがある。地方の場合はある程度の都市部でも、近所の人の葬式に出席すること当たり前だ。多少近所付き合いが濃い地域の場合は町内で誰かが亡くなると、受付などをすべて近所の人が分担して引き受ける仕組みも当たり前だ。
一回の葬式でも、病院などで亡くなりご遺体が一度自宅に帰ったところに、一度駆けつけて挨拶。その後、通夜に出席。その後、本葬に出席と、最低でも三回は手を合わせる機会がある。その後も、四十九日など仏事は続く。親族であればすべて出席は常識。知人程度でも四十九日が終わった後にお供えを持参して訪問し、仏壇に手を合わせることが多い。うちのあたりはこんな感じだが、地方によっては独自の風習でさらに行事が多いところもあるだろう。
対して、都会だと「通夜は○時、本葬は○時。会場に集合」のように極めて簡略化されているのが一般的。おまけに宗教観や文化差も多様。その結果、数珠を持参していなくても気にされなくなっているのではないか。
今回の議論で、数珠ひとつとっても、あらためて地域差があるのを感じた。簡略化された都会のスタイルに慣れていると「数珠ぐらい」という気持ちになってくるかもしれないが、主催者・参加者のコミュニティによっては「敬意が足りない」とみなされることもあるかもしれない。仏教徒なら、マイ数珠と袱紗は持っていたほうが無難だと思う。最近は100円ショップでも売っているので、必要な時に買っても問題はなさそうだけど。