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安倍元首相の警備に「ヤジ排除」地裁判決は影響したか? 元警察官僚の弁護士の見方

2022年07月13日 10:01  弁護士ドットコム

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安倍晋三元首相が奈良市内で街頭演説中に銃撃され死亡した事件で、殺人の疑いで送致された男性(41)が背後から接近して銃のようなものを発砲したことをめぐり、警備体制に不備がなかったのかどうかが問題となっている。


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報道によると、松野博一官房長官が7月11日、警察庁から「地元警察の対応のみならず、警察庁の関与のあり方も含め、警護・警備に問題があったと認識している」との報告を受けたことを明らかにした。7月9日には、奈良県警察本部の鬼塚友章本部長が、会見で「警護、警備に関する問題があったことは否定できない」と述べていた。



また、事件発生直前の警備状況について、札幌で安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばすなどした人たちが複数の警察官に排除された事件(ヤジ排除事件)の影響を指摘する声もある。



この事件をめぐっては、警察側の行為は「違法」だとして、札幌地裁が3月25日、北海道側に約88万円の支払うよう命じる判決を言い渡していた(4月1日、道が控訴)。この判決の影響で、安倍元首相を警備する際、現場にいた人などへの「強い対応」が難しくなったのではないかという考えのようだ。



要人に接近しようとする不審な人物がいた場合、警備している警察官はどんな対応ができるのか。また、ヤジ排除事件の判決の影響は本当にあるのだろうか。元警察官僚で警視庁刑事の経験もある澤井康生弁護士に聞いた。



●要人警護の現場で不審者がいたら「警職法に基づき対処」

——要人に接近しようとする不審な人物がいた場合、警察官はどのような対応をとることができますか。



選挙期間中の要人警護だからといって、警察官に特別な権限があるわけではありません。したがって、通常の警察活動において適用している警察官職務執行法(警職法)や特別法を含む各種刑法違反ということに基づき対処することになります。



あくまで不審者の段階であり未だ犯罪が発生していない時点においては、各種刑法違反の規定は適用できませんので、警職法に基づき対処します。



具体的には職務質問(同法2条)、危害を受ける恐れのある者に対する避難措置(同法4条)、犯罪予防制止行為(同法5条)、そして職務質問に付随して行われることが判例上認められている所持品検査等の手段によって対処します。



職務質問はいわゆる「職質」であり、不審者等に対して、警察官がどこの誰でここで何をしているのか等を質問します。場合によっては職務質問に付随して所持品検査を行い凶器や違法薬物を所持していないか調べることもあります。



避難措置というのは、事故や危険物の爆発など危険な事態が生じた場合に被害を受ける恐れのある者を避難させることができるという権限です。



犯罪予防制止行為というのは、犯罪が行われようとするのを認めたときはその行為を制止する(その場で取り押さえる)ことができるという権限です。取り押さえる行為態様は逮捕と似ていますが、逮捕は刑事訴訟法に基づく強制的な身柄拘束であり、法的にはまったく別の作用です。



●ヤジ排除事件判決の影響「特にないのではないか」

——ヤジ排除事件の判決の影響で、警職法に基づく対処が難しくなっていたとの声もあるようです。



北海道警のヤジ排除事件(札幌地裁令和4年3月25日判決)で問題となった警察官の行為は、概ね以下の(1)~(3)に分類できます。



(1)安倍元首相の演説に反対して「安倍やめろ」、「帰れ」などの声を上げていた人物に対して警察官が肩や腕をつかんで一定の距離移動させた行為
(2)突然安倍元首相の演説車両に向かって走り出した人物((1)と同一人物)に対して警察官が正面から抱き止めて制止し肩や腕をつかんで移動させた行為
(3)反対意見の声を上げていた人物に対して警察官らが取り囲んで肩や腕をつかみ移動させ、その後もその人物を一定時間追従した行為



札幌地裁判決は、(1)について、表現の自由を侵害するものとして違法と判断しました。北海道警はその人物が他の聴衆から危害を受ける恐れがあったとして、警職法4条(安倍元首相ではなくその人物を避難させるという意味)やその人物自身が犯罪行為を行うおそれがあったとして警職法5条の適用を主張しましたが、認められませんでした。



(2)について、歩道上で立ち止まって声をあげる行為とは異なり、演説車両に接近するという物理的な動作を伴い、これに向かって突進する行為であり、これを現認した警察官において演説車両上の安倍元首相に物を投てきしたりするおそれを抱いたとしても特段不自然不合理というものではないとして、警職法5条の犯罪予防制止行為として適法と判断しました。



(3)のうち肩や腕をつかんで移動させた行為について、北海道警は警職法4条や5条の適用を主張しましたが認められませんでした。追従行為については行政組織法である警察法2条の適用を主張しましたが、この点も認められませんでした。



このようにみてみると、札幌地裁判決は極めて当たり前の判決を下したと評価できます。ただ単に反対意見を叫んでいるにすぎない人物を演説の邪魔だからといって有形力を行使して排除してしまうと表現の自由を侵害してしまいます。



単に反対意見を叫んでいるだけであり、その人物が他の聴衆と一触即発の状況になったり、凶器を持ち出したりしていない状況下では警職法4条(避難措置)や警職法5条(犯罪予防制止行為)を適用できないのは当たり前です。



これに対し、立ち止まって反対意見を叫ぶだけではなく、突然、演説車両に接近し、これに向かって突進する行為は、安倍元首相に物を投てきしたりする可能性のある行為に該当するので、警職法5条の犯罪予防制止行為として取り押さえることができるのです。



今回の襲撃事件において、被疑者男性は黙って徘徊しており、反対意見を叫んでいたわけでもありませんし、被疑者男性が反対意見を叫ぶ聴衆の中に紛れ込んでいたわけでもありません。



したがって、ヤジ排除事件判決の影響で現場の警察官が特に委縮していたということはないと思います。



●今回の事件、どう対応すべきだったのか?

——今回の事件で、現場で警備(警護)する警察官はどのように対応すべきだったのでしょうか。



今回の事件で容疑者が黙って演説を聞いている時点では未だ不審者とまではいえないので、その段階で職質をかけるのは難しかったと思います。



しかしながら、その後に、安倍元首相の背後に回り接近を開始した時点で「安倍元首相に物を投てきしたりするおそれ」が発現したものとして、容疑者に対しては警職法5条に基づく取り押さえ、同時に安倍元首相に対しては警職法4条に基づく避難措置(伏せさせる、現場から隔離する等)を取るべきだったと思います。



ただし、現場の警察官が警職法に基づく所要の措置を臨機応変かつ迅速に取るためには、警備体制がしっかりできていることが大前提です。本件ではやはり警備体制に問題があったと思われますので、ここは警察庁による検証を待つことになろうかと思います。




【取材協力弁護士】
澤井 康生(さわい・やすお)弁護士
警察官僚出身で警視庁刑事としての経験も有する。ファイナンスMBAを取得し、企業法務、一般民事事件、家事事件、刑事事件などを手がける傍ら東京簡易裁判所の非常勤裁判官、東京税理士会のインハウスロイヤー(非常勤)も歴任、公認不正検査士試験や金融コンプライアンスオフィサー1級試験にも合格、企業不祥事が起きた場合の第三者委員会の経験も豊富、その他各新聞での有識者コメント、テレビ・ラジオ等の出演も多く幅広い分野で活躍。陸上自衛隊予備自衛官の資格も有する。現在、朝日新聞社ウェブサイトtelling「HELP ME 弁護士センセイ」連載。楽天証券ウェブサイト「トウシル」連載。毎月ラジオNIKKEIにもゲスト出演中。新宿区西早稲田の秋法律事務所のパートナー弁護士。代表著書「捜査本部というすごい仕組み」(マイナビ新書)など。
事務所名:秋法律事務所
事務所URL:https://www.bengo4.com/tokyo/a_13104/l_127519/