2022年07月09日 08:51 弁護士ドットコム
生きづらさ、という言葉が広く使われるようになって久しい。いつの時代も人々を悩ませる人間関係や経済格差、健康問題に加え、新型コロナウイルスなどさまざまな社会変化のなかで苦しんでいる人がたくさんいる。
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では、どのように生きづらさと付き合えばいいのか。重度の統合失調症を40年以上抱え、精神科病院への入院や自殺未遂、元夫の自死やいじめなどを経験してきた元AV女優の漫画家・卯月妙子さんがヒントを語ってくれた。(ジャーナリスト・肥沼和之)
1971年、岩手県に生まれた卯月さんの人生は壮絶だ。
10歳のときに統合失調症を発症した。高校卒業後、漫画家を志し、美術の専門学校に入るために上京。20歳でアートコーディネーターの男性と最初の結婚。念願の漫画家デビューも果たしたが、夫の会社が倒産したのを機に、お金を稼ぐためAV女優に。22歳のころ、心の病を抱えていた夫が飛び降り自殺を図り、1年半の遷延性意識障害を経て亡くなった。
36歳のとき、25歳年上の現在の夫と出会い、のちに結婚して現在は北海道で暮らしている。自伝コミックエッセイ『人間仮免中』(イースト・プレス)などで、卯月さんはその壮絶な半生を赤裸々に描いている。
最もインパクトが大きいのは、統合失調症による妄想のなか、卯月さんが歩道橋から飛び降りてしまったこと。顔面から地面に落ち、一命はとりとめたものの、顔中の骨を骨折し、片目を失明した。現在の夫と同棲していた37歳の時だった。
壮絶な人生を歩む卯月さんだが、50歳となった今、生きる上で大切なのは「まずは死なないこと」だと卯月さんは話す。
卯月さんは中学2年生のころ、ひどいいじめにあった。教師も黙認している状態で、いじめは収まらず、卯月さんはとうとうやり返すことを決意した。授業が終わるたびに、いじめの首謀者の家に電話をかけ、「お宅のお子さんにいじめを受けています」「自殺します」「遺書にはお子さんの名前を書きます」と伝え続けたのだ。
母親は泣き出し、「自殺だけは止めてください。子どもの名前を書かないでください」と懇願された。いじめの首謀者も何もしてこなくなったが、それでも追及を続けたところ、教育委員会に報告された。
呼び出され、「お前は不良よりもたちが悪い」と責められたが、落書きされた教科書やカバンなどの証拠を見せて反論した。高校生になってからも、「お前、いじめられてたくせに」とからかってくる生徒たちと戦い続けた。
「いじめは面白がられるものです。いじめられた人間は、その事実と闘っていくしかない。教師も教育委員会もあてにならないし、もしターゲットになってしまったら、死ぬ気で戦わないと、本当に追い込まれてしまいます」
いじめから抜け出すことは、「生死を賭けたサバイバルだ」と卯月さん。反撃せずに死を選んでしまうのであれば、「死ぬ勇気を覚悟に代えて戦ってほしい」と考えている。もちろん、誰もがそうできるわけではないし、簡単な問題ではないと自覚しつつ、いじめから脱却できた当事者として、「言えるのはそれくらいです」と言葉を絞り出す。
「加害者はいじめたことを忘れます。そして大人になって、平然と生きていきます。そんな人たちに負けず、被害者は何が何でも、過酷であっても立ち向かってほしい。これは学校でも社会でも同じです。絶対に死なないでほしい、そう願ってしまいます」
卯月さんがAV女優になったのは、元夫の会社が倒産し、借金を返済するためだった。だがそれ以外にも、性的マイノリティの人々への「生きてほしい」というメッセージが込められている。
高校生のころ、地元のゲイやレズビアンやバイセクシャル、そのほかさまざまな人々と交流してきた。彼ら彼女らのなかには、「カミングアウトできない」「パートナーが見つからない」など悩み、ひとりで苦しんだ末に、死を選ぶ人が少なくなかった。
そんな現実を目の当たりにし、卯月さんは「死ぬこと以外の選択肢はなかったのか」と悩むようになる。そのことを書いた作文が、高文連(全国高等学校文化連盟)のコンクールで優秀賞を取った。市民栄誉賞の話も持ち上がったが、後に「作文の内容が高校生としては不純」という理由で取り消しになってしまった。
自分自身がマイノリティな存在として、あからさまに排除されるという事態に直面し、決意したのがAV女優になることだった。
「特に、マニア向けの作品に出演したいという希望が強くありました。なぜなら、そういった作品が多く世に出れば、マイノリティとして行き場を無くしている人々を勇気づけられるのでは、と思ったからです。生きてください! という私なりの懸命な思いとメッセージでした」
とはいえ、生きるにはお金がかかる。ただ存在している、という意味ではなく、何としてでもお金を稼ぎ、生活を成立させることこそが、「生きる」なのだと卯月さんは言う。
最初の夫と暮らしていたころ、彼が病気になり、幼い息子もいるのに、貯金残高が8円になったことがあった。卯月さんは東京中の出版社に営業をかけ、先払いでお金をもらって、何とか生活費や医療費をねん出した。
「家族3人で生きていくためだけに、仕事を選ばず働きまくりました。3日間徹夜は当たり前でしたが、その気になれば何とかなるのです。振り返れば私は、中学1年生からずっと働き続けてきました。『働く』『お金を得る』『生きていく』はひと括り。
逃避できるのであればそうすべきですが、私にはその選択肢がなかった。だから、ボロボロになりながら夢中で生きてきました」
恋愛も失恋も修羅場も経験したが、辛さや苦しみに浸っているヒマはなかったという。働いてお金を稼がなければならないので、大抵のことはすぐに忘れられたと卯月さん。
現在の夫が、あるときかけてくれたという言葉をこう紹介した。
「『哲学をする奴は、金があるかヒマなだけ。そんな時間があったら、現実を見て、飯を食うために働いたほうがいい』。そう言われてハッとしました。私も上京して最初の夫と出会ってから、それまで好きだった哲学をやめ、生きるためにガムシャラだったことを思い出しました」
現在は夫婦で二人暮らし。決して裕福ではないが、食事は一日一食で十分、洋服は1シーズン2着あればいい、という暮らしをしてきたため、何の不自由もない。たまに箱でアイスを買い、二人で食べることが数少ないぜいたくなのだそう。
『人間仮免中 つづき』では、東日本大震災で被災した卯月さんの母の、「何はなくとも生ぎでいぐのんす!(生きていくんだよ!)」というセリフが登場する。きれいごとではなく、生きることへの意思や覚悟を生々しく感じられるメッセージで、卯月さんの根底にも同じ思いがあるのだ。
「人は行き詰まると、『自殺する』『宗教など特殊な思想にのめり込む』『逃避する』のいずれかに気持ちが向かうのではないでしょうか。先ほども言いましたが、私は『逃避する』が一番賢いやり方だと思います。その場を離れる、違う人間関係のなかに入るなど、一旦放り出したうえで、客観的に現状を振り返る。そうすることで、違う道が開ける気がします」
誰だって人生に波はあるが、明けない夜はない。ただし、それも生きていればこそだと卯月さん。まずは、「死なないこと」「生きること」が未来につながるのでは、と続けた。
もちろん、生きていれば辛いこともある。卯月さんも例外ではない。あるとき、お笑い芸人であり、統合失調症を抱えるハウス加賀谷さんに、苦しみをぶちまけたことがあった。そのときにかけられたのが、「ボチボチでええんちゃう?」という言葉だったという。
生きることにがむしゃらで、逃げ場を無くし、自分を追い込み続けてきた卯月さんを、その一言が救ってくれた。泣きたいときは泣けばいい、できないときはできなくていい。疲れたら休めばいい、何も見たくなければSNSやニュースをシャットアウトすればいい。
「自分の小さなキャパシティを、大きな手のひらに受け止めてもらえるような言葉で、心が楽になりました」と卯月さんは笑顔で振り返る。
『人間仮免中』のラストには、「生きてるって最高だ」という言葉がある。
さまざまな逆境のなか、心身がボロボロになり、追い打ちのように統合失調症が襲ってくる。けれども今、生きている。生きてさえいれば、いつかハッピーになれると信じ続け、実際に幸せな日々を送っている。
そんな卯月さんの口からこぼれる、「生きてるって最高だ」という言葉の重みは、計り知れない。
【筆者プロフィール】 肥沼和之:1980年東京都生まれ。ジャーナリスト。人物ルポや社会問題のほか、歌舞伎町や夜の酒場を舞台にしたルポルタージュなどを手掛ける。東京・新宿ゴールデン街のプチ文壇バー「月に吠える」のマスターという顔ももつ。