2022年07月03日 10:41 弁護士ドットコム
「本当の姓を取り戻して、母親に会いたい」
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見ず知らずの他人と勝手に養子縁組されて、「本当の姓」を失ったアンドウさん(仮名・60代男性)。「イトウ」さんとして、東京・台東区のドヤ街「山谷(さんや)」でひっそりと暮らしながら、そんな切なる願いを抱いていたところ、その好機がめぐってきた。
身寄りがない人や生活困窮者など、さまざまな事情を抱えた「ワケあり」の人たちが、山谷には集まってくる。刑務所への出入りを繰り返してきたアンドウさんも、その一人だ。
老朽化が進んだ外観の建物に入り、狭い廊下を進んだ先にアンドウさんの部屋がある。ドアをノックすると、アンドウさんは気さくに迎えてくれた。
「ドヤ」とは「宿(ヤド)」を逆さまに読んだ隠語で、本来は、日雇い労働者のための簡易宿泊所を意味する。一泊2500円前後で、部屋はわずか3畳ほどしかない。
アンドウさんの部屋は、畳んだ布団と「どうぞ、使ってください」と広げてくれた小さな折りたたみテーブルで、すぐにいっぱいになった。座る場所を確保するのもやっとだ。
外観と打って変わって、部屋の壁は真新しいように見える。中学卒業後の7年間、左官工として働いていたアンドウさんが自分でペンキを塗ったという。
車上荒らしなどで、アンドウさんはこれまで6回も刑務所に入った。
6度目の服役中、出所した高齢者などを支援する「地域生活定着支援センター」につながり、山谷で活動するNPOからの支援を受けることになった。
「帰る家」はもうない。初めて逮捕されたとき、家族から「自分でしたことは、自分で落とし前をつけろ」「家の名前を出すな」と言われたため、連絡を取らないようにしている。
路上生活も経験した。施設に入りたくないためだ。アンドウさんは、小学2年から中学卒業まで児童自立支援施設で育ち、暴力をふるわれるなどのいじめを受けていた。
それ以来、「施設」と聞くだけで、悪夢のような「つらい記憶」が蘇る。更生保護施設に入所したこともあるが、すぐに抜け出した。
個室を強く希望して、6度目の出所後の2021年12月から住むことになったのが、山谷のドヤだ。「たしかに個室だけど、あまりに狭くてビックリしましたよ」と笑う。
60代のアンドウさんが残された人生を過ごしていくうえで、どうしても取り戻したいのが「本当の姓」だ。取材時、戸籍上の姓は「イトウ」になっていた。
生まれてから、5回も姓が変わった。3歳のころに両親が離婚して、母親に引き取られた。その後、母親は再婚と離婚を繰り返し、最終的に「アンドウ」になった。
では、なぜ「イトウ」になったのか。
調理師免許を持つアンドウさんは、40代のころ、知人に声をかけられ、東京・銀座の飲食店の厨房で働いていた。3度目の服役のあとだ。従業員の多くは外国籍だったという。
ある日、従業員に「簡単に金が入る仕事がある」と偽装結婚の誘いを持ちかけられた。
「これまでも、店の従業員同士が結婚詐欺の話をしているのを見聞きしたことがありました。恐くなって、パスポートなどの身分証明書を店に置いたまま逃げ出してしまったんです。身分証明書は、店の事務所に預けるように言われていました」
あちこち転々とするうちに所持金が底を尽き、車上荒らしで逮捕された。その後、刑務所に服役中、何者かが勝手に養子縁組届を提出して、アンドウさんを「イトウ」の養子にしていた。
戸籍上「イトウ」になったことに気づいたのは、その後、別の事件を起こして逮捕されたときだ。警察に「アンドウではなく、イトウになっている」と指摘されて、パスポートを店に置いてきたことを思い出し、「悪用されたのでは」と疑った。
「どうすればよいか、警察と国選弁護人に相談しました。警察には『パスポートを置いてきたお前が悪い』と言われ、弁護士には『もっと早く相談すべき』と注意されたのみ。すべて自分が悪いと思ったし、元の姓に戻すための方法もわからなかった」
結局、違和感を抱えながら、約20年間、「イトウ」として生きるほかなかった。
その間に、買った覚えのない車の部品などの請求書が届いたこともある。何者かが「アンドウ」として、どこかで暮らしていたのだ。元の戸籍には、一度もしたことのない結婚・離婚歴があると警察に指摘されたという。
6度目の服役中につながった「地域生活定着支援センター」やNPOのスタッフに思い切って事情を打ち明け、出所後の2022年4月、あらためて弁護士に相談することにした。
当初は、養子縁組の無効を求める裁判を提起することを提案された。しかし、戸籍を取り寄せてみると、養親は10年以上前に亡くなっていることがわかった。
養親となっている人物は、アンドウさんとは見ず知らずの「赤の他人」だという。
離縁すれば、養子縁組前の姓に戻すことができるため、死後離縁許可の申立書を提出した。取材時は審理中で、元の姓に戻れることを信じて待つ日々だった。
戸籍上「アンドウ」に戻った後は、母親に会いに行くと決めている。「生きているかわからないけれど。どうしても本当の姓を取り戻してから、会いたいんですよ」
NPOのスタッフによると、山谷には、アンドウさんのように「本当の名前」を失った人が少なくない。金のために自分の戸籍を売った人や、連絡が取れなくなった家族に死亡届を出されて、この世にいないことになってしまった人もいるという。
山谷では、ボランティアによる炊き出しや、衣類の分配がおこなわれているほか、無料診療所・福祉サービスを提供するNPOもある。戸籍がなくても、どのような名前でも、ここで生きていくことはできる。
そして、アンドウさんのように、元の姓に戻りたいと願う人もいる。取材後、玄関まで送ってくれたアンドウさん。「ありがとう」と何度も言いながら、いつまでも穏やかな表情を浮かべていた。
取材を終えてから約3週間後、編集部に「朗報」が届いた。養子縁組の離縁許可の審判が確定し、アンドウさんと養親との離縁が認められたのだ。残された人生を「イトウ」ではなく「アンドウ」として生きるため、必要な手続きを進めるという。