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KID FRESINO、Tohji、Dos Monos、Smerz……国内外アーティストが自然の中でパフォーマンス 『FFKT』をイラストでレポート

2022年06月12日 13:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『FFKT 2022』(イラスト=amay)

 5月28日、29日に『FFKT 2022』が開催された。場所は長野県の山奥、木曽郡木祖村にある「こだまの森」。国内外のアーティストが集まりオールナイトで行われるこの野外フェスは、2020、2021年が延期を経て中止され、3年ぶりの開催となった。国内からはD.A.N.や青葉市子、ペトロールズ、Dos Monosらが参加し、海外からはアンディー・ストット、ジョン・キャロル・カービー、Air Max’97らが来日。総勢約50組のアーティストが、夜は凍えるほど寒い4つのステージで熱気を帯びたパフォーマンスを披露した。本稿では筆者が観たステージをいくつかピックアップしてレポートする。


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 まずはKID FRESINO。テレビドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』主題歌へのフィーチャリング参加でも一躍有名となった言わずもがなのライミング、ライブで一層冴え渡るフロウ、そして何より彼のバッググラウンドが醸すSorrow(悲哀)。「Arcades」も「Rondo」も「Girl got a cute face」も目の前で聴いていて思う。彼のスタイルは、空や地面を見て、少し歩きながら考えごとをしている人の姿に近い。だから過去のこと、将来のこと、今のことなんかを一緒に考えてしまう。今日ここに来られたことやよく晴れたことに、自然と感謝してしまうステージだった。


 続いてはTohji。ユースの熱狂を背負っている彼のパフォーマンスは圧巻だった。2022年5月時点での最新アルバム『KUUGA』からの楽曲中心の“KUUGAセット”×言葉数少ないアイコニックなアジテーションで、一気に会場の視線を釘付けにする。挑発的に屈んだり、大手を広げて空を仰ぎ見たりする姿に、自分だけではなく会場全体、世界全体がTohjiの虜になっている感覚がぼんやりと脳を支配して、もっともっと自分のものにしたくなってしまう。これがユースの旗手と言われる理由かと納得して、今は6月にリリースされた『t-mix』をしゃぶり尽くすように聴く毎日を送っている。


 熱くなった身体のまま、Dos Monosを迎える。3人(とこれまで連綿と繋いできた人類)が積み重ねた膨大な情報の山から切り出されたハイエンドな楽曲、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の上出遼平氏とテレビの停波枠を使って仕掛けた最新アルバム『Larderello』のプロモーション番組『蓋』を展開するなど、シーンの輪郭をふやかし押し広げ続ける彼ら。グラフィックを駆使したカオティックなVJで場を支配し、確かなDJと即興的なエレキギターで足場を作り、凡人の一生なら一曲で語り尽くせてしまうようなマシンガンリリックを乗せる。11月にオランダのフェス『Le Guess Who?』への出演も決まっており、日本中が面を食らう日が近づいている。


 少し間が空いたため、会場を歩く。夜を越える『FFKT』は出店、フードコートも充実している。世田谷区喜多見に構える『beet eat』のビリヤニが食べられたり、日が落ち肌寒くなってきたところで豚汁やホットココアを燃料として注ぎ足したりすることもできる。あるいは、松陰神社や吉祥寺にあるKANNON COFFEEのコーヒーを啜って目を覚ます。仮眠を取れるキャンプ地だけでなく屋根のある休憩所なども用意されており、時間の使い方の幅がとにかく広いのがうれしい。


 小休止を挟み、次はアンディー・ストットのステージへ足を運ぶ。オリジナリティに富んだロービートがだんだんと大きくなる。個人的にはテクノに対して金太郎飴のような一辺倒な印象を抱くことも少なくないが、彼のプレイには表情を感じることができた。それは誰よりも彼自身の身体が気持ちよさそうにビートを刻んでいるからかもしれない。フロアを湧かせるという意志よりも、一人で夢中に楽しく踊っているところに人が自然と集まっていく感覚。その中動態の姿勢に多くの人が魅せられ、この日一番と思える動員を記録していた。


 アンディー・ストットを見終わったところでキャンプ地に近い会場「Steel」を離れ、目の前の森の中の坂道を25mほど登った「Cabaret」に向かう。高い木が鬱蒼と立ち並び暗いため、辺りが道標を兼ねたストリングライトで彩られている。そんな童話の中のような風景を背にしながら、空を見れば星が見えたり、息が白んだり、5月に服を着こんだりすることにいちいち気持ちが高まる。


 「Cabaret」ステージに着いて観たのはSmerz。初来日したデンマークの2人組ユニットで、トランス系のビートと二人の神聖なボーカルが乗ったサウンドが特徴的だ。北欧の伝統文化やクラシックが織り交ぜられた音像は、ホラー映画『ミッドサマー』の魅力を脳裏から引きずり出す。様々な文脈がある中で「北欧」でひとくくりにする行為は危険かもしれないが、やわらかい彼女らの揺れる美しい髪やうつむく視線をじっと見ていると、いつの間にか現世には戻れなくなるような禁忌性を感じるのだ。「Cabaret」ステージは両脇に焚火が鎮座しており、その情景も一役買っていたように思う。


 0時を過ぎて眠気がやって来る。横になって音楽を聴く、申し訳なさと贅沢さが共存する最高の時間だ。D.A.N.が終わったところで2時を回り、染み入る寒さと疲労がピークを迎えたためテントに戻った。テントのすぐ真横にステージがあるため、重低音が夢の中まで侵入していた。


 朝8時に目が覚める。青葉市子を観に行くためだ。会場の「ONGAKUdo」はその名の通り、半ドーム型のステージの前に半円状に段差が広がっている(日比谷野音を想像していただきたい)。周りは木に囲まれ、風にそよぐ葉や虫や鳥の鳴き声が響き渡っている。そんな中でしばらく待っていると、朝の陽ざしを浴びて薄紫色のワンピースを着た青葉市子が現れる。歌声とギターは音楽堂にこだまして、周囲の自然音はハーモニーとなって耳に届く。〈いくつもの迷いが 僕を大人にした〉〈いくつもの手のひらが 僕をみちびいてくれた〉(「水辺の妖精」)。イヤホンやヘッドホンではノイズキャンセリング機能がその精度を増しているが、一方でそれぞれの環境ごとに聴こえてくるアンビエントサウンドを曲の一部として楽しむ可能性も伸びているのかもしれない。そんなことを陽の光に包まれながらぼんやりと考える、温かいひとときだった。


 『FFKT』は国内外の多様なアーティストが自然の中で開放的にパフォーマンスできる至極のフェスの一つだ(ミッドナイトの暗闇が後押しして、出番のないアーティストが他のステージを楽しめるという意味でも)。きっと来年はあの夜の寒さを忘れているだろうが、それもまた私を高揚させるに違いない。(amay)