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「へなちょこコンサルごときが!」海外の狭すぎる日本人社会で、危うく刃物沙汰に

2022年06月12日 08:21  弁護士ドットコム

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現地の国の人とのトラブルに関しては用心する人が多いのに対し、盲点となりがちで、実はより厄介なのが「在住日本人同士のトラブル」です。


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現地でのトラブルについてはその国の法律が適用されるのが原則ですが、「外国人の問題は当事者同士で解決してくれ」と突き放されるという状況は珍しくありません。



18年間ベトナムに住んでいた筆者が、実際にあった事例を問題の背景とともに紹介し、海外生活を安全で有意義なものにするためのノウハウをお伝えします。(ライター・中安昭人)



●顧問先の日本料理店から届いた一通のメール

「重要な話があるから、明日、ランチタイムの営業時間が終わった頃に、ウチの店に立ち寄ってくれないか」



織田さん(仮名、40代)は、日本料理店で店長をつとめるCさんから、こんなメールを受け取りました。



ベトナム在住10年ほどになる経営コンサルタントの織田さん。Cさんの店は織田さんの顧問先の1つです。Cさんは50代になって一念発起しベトナムに移住したのですが、残念ながら業績はよくありません。



店があるのは、ホーチミン市内で日本料理店が集まっている競争の激しいエリア。「経営に関する相談だろうな」と心の準備をして、翌日午後3時頃、店を訪れました。



電気が消えた薄暗い店内にいるのはCさんだけ。スタッフは残っていません。Cさんは織田さんを厨房に招き入れると、椅子をすすめ、こう切り出しました。



「織田さん、先週、Aという店で開かれた飲み会に参加しただろう」 「はい、行きましたよ」



参加した飲み会というのは、同郷の人が集まる県人会でした。日本人ばかりが集まるので、会場は基本的に日本料理店です。広い意味ではCさんのライバル店になります。「それがまずかったのかな」と織田さんはヒヤッとしました。



「Aのオーナーは同県人なので、会場はあの店になることが多いんですよ」



織田さんの口調はちょっと言い訳がましくなります。





●「お前、うちの店の悪口を言っていただろう」と言いがかり

「そんなのはどうでもいいことだ。それよりアンタ、飲み会でウチの店の悪口を言っていただろう」



パンチパーマで、いかつい顔のCさんがすごむと迫力があります。



織田さんは「あっ」と思いました。県人会の参加者は20人あまりで、4つくらいのテーブルに分かれて座っていました。そのうちの1つのテーブルで、Cさんの店の悪口を言っていたのです。それは織田さんの耳にも入っていて、居心地の悪い思いをしていました。



「ちょっと待ってください。Cさん、それは誤解ですよ」



織田さんは、その場の状況を説明しましたが、Cさんは納得しません。



「昨日、うちの店にランチを食べにきた常連客が、教えてくれたんだよ。『織田さん、この店のコンサルをしているんでしょう。それなのに飲み会で、Cさんの悪口を吹聴していましたよ。お店から顧問料を受け取りながら、陰ではその店の足を引っ張るなんて許せない』ってね」



●片手に出刃包丁を持ちながら「このまま引き下がれると思うか!」

Cさんに注進した客は、その県人会に参加していたそうです。



「もう一度、その方に話を聞いてみてください」 「必要はない。そもそも彼には、そんなウソをつく理由がないだろうが」



Cさんはだんだん大声になり、顔には赤味が差してきました。



「それはそうですけど、その方がおっしゃっているのは事実ではありません。何かの誤解だと……」 「アンタ、ウチの常連客を嘘つき呼ばわりするのか!」



織田さんの言葉は、Cさんを落ち着かせるどころか、火に油を注ぐ一方です。



「アンタにとっては、ウチの店は何軒もある顧問先の一つだから、潰れても痛くも痒くもないんだろ。でも、オレにとっては、これは唯一の店で人生を賭けてんだよ!それをへなちょこコンサルごときにコケにされて、このまま引き下がれると思うか!」



Cさんは右手に大きな出刃包丁を持ちながら、次々と言葉をぶつけてきます。



●国外の日本人社会は「壁に耳あり障子に目あり」

織田さんはそれを無言で受け止めながら、例の飲み会で聞こえてきた会話を思い出していました。



「あの店、味はいいんだけどねえ、料理長のCっていう人が無愛想でね」 「無愛想なだけだったらいいんだけど、怒りっぽくて、客に説教することもあるって聞いたよ」



海外の日本人社会は「ムラ」のようなもの。悪いウワサはすぐに広がります。Cさんのお店が流行らないのは、こういうウワサも理由の一つなのでしょう。ウワサには、ときには事実無根の尾ひれがつくこともあります。今回の件も、そんな事例の一つだったのだろうと織田さんは推測しています。



飲み会でCさんの悪口を言っているグループがあった。そこに同席していた織田さんを見た人が、織田さんも悪口を言っていると誤解した。その人はCさんと織田さんの関係を知っていたので、善意でCさんに情報提供をした。つまり悪意なく発生してしまった「事故」だったのではないか、と。



国外の日本人社会では「壁に耳あり障子に目あり」であることは、織田さんもよく承知しています。「お勧めの日本料理屋は?」と尋ねられた際に、決して特定の店名を言わないのも、それが曲解されて伝わることを防ぐためです。それでも他人の口までは封じることができません。



織田さんがCさんから解放されたのは、結局、夕食の仕込みが始まる時刻でした。



●狭い日本人社会では「良い評判」も広がりやすい

その後しばらくして、Cさんはお店を閉めました。しかし、Cさんの料理人としての評価は高く、乞われて別のお店へ。織田さんのところにも「新しい店で働くことになったから、一度食べに来てよ」と連絡がきました。



Cさんの新しい店は、以前に比べるとずっと小さな店でした。織田さんが店を訪ねるとCさんは、「気の利いたものを作るからさ、ちょっとそこに座っててよ」と言ってカウンター席を指差したあと、中に立って包丁を握りました。



楽しそうに料理をするCさんを見ながら、織田さんは「この人は、本当に料理を作るのが好きなんだな」と感じました。包丁を使う時の音がとてもリズミカルなのです。まるで音楽のように。



新しいお店での立場は雇われ料理人です。でも、経営のことなど考えず、美味しい料理を作ることだけを考えているほうが、彼には向いているのでしょう。在住日本人のSNSでCさんのお店の名前が出ることが増えました。「あの店は料理が美味しい」とよい評判が広がっているようです。



織田さんも、たまにお店に立ち寄ります。仕事上の取り引きはありませんから、単なる客としてです。楽しそうに料理を作るCさんの姿を見ていると、しみじみ「出刃包丁を突きつけられたときに、こちらは短気を出さなくて良かったな」と思えてくるそうです。



【筆者プロフィール】中安 昭人(なかやす あきひと):フリーランスの編集者・ライター。1964年、大阪生まれ。約15年の出版社勤務を経て、2002年にベトナムに移住し、出版・編集業に従事。2020年からは主な活動拠点を日本に移し、ベトナムに関する情報発信を行っている。