小さい頃から色んなキャラゲーで遊んできた。版権タイトルのゲームってバンナムの地雷ゲーばかりが今は話題をさらいがちだけども、決して不出来なものばかりじゃない。
具体例を挙げると長くなっちゃうけど、たとえば『ウルトラマン』のゲームとかだと、僕はバルタン星人を使って対戦するのが好きだ。まあ、その『ウルトラマン』のゲームも、ろくすっぽリリースされない現状では、いわゆるバルタン愛なんかいくら強くてもマジで全く意味がないけど……。バンナム、早く新作を出してくれ……。
こういうキャラ愛というか、特定のキャラに固執したゲーマーというのは昔からいるものだ。『ストリートファイター』シリーズでエドモンド本田しか使わない友達もいるし、『鉄拳』シリーズではキング一択って知人もいる。こだわりのあるゲーマーって、多少理不尽な環境でも愛を貫きとおすので、見ていて気持ちが良い。(文:松本ミゾレ)
「ナーフされたら推しを変えるのが気に食わない」という意見があるが…
先日、5ちゃんねるに「ゲーマー『メインキャラ弱体化したから他のキャラ使うわw』←そこに愛はあるんか?」というスレッドが立っていた。
スレ主いわく「愛のないキャラ使ってゲームするくらいなら資格勉強でもした方がマシ」、「本当に愛があるならメインキャラ使い続けるし本当に合理的に考えるならゲームをしない方がいいわけよ」とのこと。
さらには「愛情も合理性もどっちも選べない中途半端な奴がやること、それがキャラ変更や」とも言い切っている。個人的には自分が好きなキャラはアプデで多少弱体化した程度では気にならないタイプなんだけど、たとえば戦歴やレコードが気になるゲーマーだと、そうも行かないのかもしれない。
自分の輝かしい勝率に汚点を残したくないと考えて、泣く泣く推しキャラを封印するという人も、きっといるんだろうなぁ。スレ主は恐らく、理不尽なナーフ(弱体化)を食らってもお気に入りのキャラを使い続けるという強い決意のようなものが腹の中にあるのかもしれない。
でも、言っちゃなんだけどたかがゲーム。しかも自分が制作したわけでもないゲームで、いちいち他人のプレイスタイルをボロクソ言わなくていいんじゃないかという気もする。もっと踏み込むと、そんなことを言うゲーマーなんかめんどくせえよ、というかね。
しかもこの人、「プロゲーマーは別や。金稼いでるから強キャラ使うのも合理的や。ただの趣味のくせに愛のない強キャラ使う奴が許せんのよ」と、他人からするとマジでどうでもいい自分なりの解釈を主張もしている。
「愛がなくても強いキャラを使う人がいたっていいじゃない」という気持ちになってしまうのは、筆者だけだろうか。
他の人のプレイを批判しても仕方ないよね
それこそ今って、オンラインゲームではシステムアップデートが当たり前だ。その過程で、いわゆる強キャラ、強武器がナーフされて効率の良いプレイをしたがる人からクレームが上がることも少なくない。
直近だと『エルデンリング』の「霜踏み」が強すぎたために弱体化された件が思い浮かんだけど、まあそういうことってオンラインアップデートがなされる時代の宿命。キャラ愛がある人は、ナーフされようがずっとそれを使うぐらいの愛着を見せるものだ。
そういう人からすると、自分の推しキャラがナーフされる前は持て囃されていて、ナーフが入ったとたん「産廃」呼ばわりされるのはたしかにムカつくことだろう。
でも、他人の意見は他人の意見でしかないので、あんまり気にしてもしょうがないような。
いくら弱くなっても、そこに愛があるんならずっと自分が大事に使っていればそれでいいんじゃないかなぁと思ってしまう。
少なくとも推しキャラをコロコロ変える権利はゲーマー各位にあるわけで、そこに文句を言ったところでひがみみたいに見えてしまって、なんか惨めに感じられてしまう。本心がどうであれ、他人のプレイスタイルに色々注文を付ける人ってめんどくさい人間一択なのである。