2022年04月30日 08:31 弁護士ドットコム
児童養護施設や里親の家庭などで暮らす子どもや若者は、厚生労働省によると2021年3月時点で約4万2000人。入所は原則18歳まで、「措置延長」やその他支援制度によっても最長で22歳までに自立することが求められてきた。
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施設や里親のもとを離れた社会的養護の経験者は「ケアリーバー」と呼ばれる。「保護(ケア)を離れた人(リーバー)」の意味だ。
しかし、18歳になった時点では生活費や学費を工面できずに悩んだり、相談相手もいないために孤立するケースも多く、自立に向けた支援の継続が必要だという指摘が専門家から出ていた。
厚労省は2022年に入り、自立支援の年齢制限を撤廃する方針を固めたと報じられているが、その実現よりも早く、2022年4月からは成人年齢が20歳から18歳に引き下げられた。その結果、「自立支援を受ける成人」が今後増えるとみられる。
東京都清瀬市にある児童養護施設で施設長を務める早川悟司さん(52)は、「成人年齢と自立年齢は直結しない」とし、これまで以上に「児童養護施設は高校卒業まで」となってしまわないかと懸念を示す。
背景には、20~22歳まで自立支援を継続することが制度的には実現可能なのに、実際におこなっている児童養護施設が極端に少ないという事実がある。
その理由は何なのか。実際の現場について、早川さんに話を聞いた。(ライター・小泉カツミ)
東京都清瀬市にある児童養護施設「子供の家」で2014年から施設長を務める早川さんは、「ここでは、措置延長は以前から積極的にやっていた」と話す。
「子供の家」では、以前から本人の希望などに応じて、高校を卒業した子どもたちの受け入れ(措置延長)をおこなっている。
「今では22歳までいられるのが当たり前になっていますが、この状態になったのが2018年くらいからですね」(早川さん)
2022年3月には、大学を卒業した2人、専門学校を中退して就職した1人、計3人が22歳で施設を退所した。もっとも、大学を卒業して22歳で退所した人が初めて出たのは1年前だという。
現在、この施設には18歳を超えている入所者は15人。施設全体の定員は48人で、5~6人の集団に分かれて生活をしている。
「20歳を超えると、措置ではなくて、私的契約のようになって、国と東京都からその経費が出るので、お金の面では何らデメリットはないんですよ」(早川さん)
22歳になる年度末までは、「社会的養護自立支援事業」という制度のもと、居住費、生活費などの費用が補助されている。
しかし、「子供の家」のように「22歳まで居住できることが標準」という施設は、全国的にもごくごく稀だというのだ。
「現在、全国のほとんどの施設が22歳どころか20歳までの措置延長さえやっていないんです。
東京都内で2022年1月時点で社会的養護自立支援事業の対象者が何人いるか調べたら、施設に入っている人は約3000人いるんですが、その中で20歳を超えている人はたったの17人しかいなかった。そのうちの10人がここ『子供の家』にいたんですね。
都内には約60カ所の養護施設がありますから、うちのように20歳を超えている人が各施設10人ほどがいるとしたら、全体で600人くらいいてもおかしくないはずなんです。
それが17人ということは、他の施設ではほとんど措置延長をやってないということになります。これは東京に限らず全国的にも同じような傾向があります」(早川さん)
児童養護施設は、かつては「孤児院」と呼ばれ、戦争直後のいわゆる「戦争孤児」のための施設だった。現在では孤児は少なくなり、親はいるものの養育不可能になったために預かられている場合が圧倒的に多い。
中でも、報道などでたびたび目にする「虐待」から逃れるために入所する児童の割合は、年々上昇している。
厚労省によると、全国に存在する総施設数は612カ所(2020年3月末時点)。入所する子どもたちは、何らかの事情で児童相談所が保護していた一時保護所から児童養護施設にやってくる。
しかし、子どもたちは、自分がどこの児童養護施設に行くことになるのかを選ぶことはできない。
つまり、都内の子どもの場合、「子供の家」に預けられれば、措置延長で22歳(もしくはそれ以上)まで入所でき、大学や専門学校等への進学の途も選択できるが、他の施設ならば高校卒業と同時に退所し自立が求められることになるわけだ。
厚生労働省が発表した年齢制限撤廃の施行は2024年になる予定らしい。
「子どもは施設を選べませんから、うちの施設だけが(措置延長に)取り組むのではなく、全体で取り組んでいかないとしょうがないんですね。
年齢制限撤廃が2年後に予定されていますが、それまでの間に『22歳までは入所支援継続できるのが当たり前』にしておかないといけない。
私からすれば、18歳で高校を卒業した後に措置延長がいらない子なんているのかと思うんですけどね。
一般家庭で育った人だって、高校を卒業と同時に自立しなさい、というのはなかなか厳しいはずなんです。困ったら帰れる実家があるとか、経済支援が受けられるとか、高校を卒業した後も、支えてくれる後ろ盾がある場合の方が多いと思うんですね。
社会的養護を必要とする子どもは、もともと親を当てにできるような状態ではないですし、それどころか、ひどい虐待を受けていたりする場合もあるわけですから。メンタルを含めて大きなダメージを負った状態で施設に来ているんですからね。
だから普通の人より丁寧に支援していかなければいけないのに、一般の人よりも早く社会に出されるというのは酷なんです。これは社会的養護の一番の矛盾だと思います」(早川さん)
「子供の家」では、まず高校卒業を迎える本人の希望を聞く。そして、措置延長の必要性を児童相談所と協議し、最終的な決定としては児童相談所(児相)がおこなう。そのために、施設側は「支援計画書」を作って提出する。
「個別にアセスメント(事前評価)の指標を作ります。社会に出ていくための必要な能力に関する8つの項目を作り、20歳を超えた支援を継続する中で、施設はどういう支援をおこなっていくかという計画書ですね。それを児相に提出して、うちの職員が児相と協議をします。場合によっては私も出向きます」(早川さん)
厚労省は、自治体の首長を対象に、措置延長の積極的な活用を促す通知(技術的助言)を2011年12月28日付で発出している。
「児童福祉法は、ずっと以前から『必要に応じて20歳までは措置延長できる』と定めていました。しかし、ほとんど活用されていなかった。高校中退をすると、18歳になっていなくても社会に出されてしまう、という状況も結構ありました。
その後、退所者の不安定な生活というのが国の調査などで徐々に明確になり、『措置延長を積極的に使ってください。また高校を中退した場合でも支援してください』という通知が10年前に出ました。各都道府県を通じて、施設側にも伝えられました」(早川さん)
また、2017年の児童福祉法改正の際には、措置の開始年齢を20歳未満にして、22歳の年度末まで措置を延長できるようにする、ということが検討されていた。一方で、法務省は民法の改正で、成人年齢の引き下げを並行して検討していた。
「なぜ成人年齢を引き下げるというのに、子どもたちを甘やかすんだ、という法学者から厚労省への横槍が入ったとも聞きます。
でも、成人年齢と自立年齢は直結しないんです。18歳になったから、みんな一斉に自立するかと言ったらそうはならない。だから、それは妥当性のない指摘だったんですね」(早川さん)
結果として、22歳年度末までの措置延長は導入されなかった。2017年から「社会的養護自立支援事業」が開始され、20歳までの人は措置延長で、20歳を超えた人は予算事業で22歳年度末まで入所支援を継続する、と決まった。
なぜ「子供の家」以外の施設で「措置延長」の実施が広まらないのか。
「よその施設は『児相が措置延長をしてくれない』と仕切りにいいますが、うちは児相と協議して措置延長が認められなかったのは、2017年以降、15人中1人だけでした。
その1人は、障害福祉手帳を持っていたことと、親が延長に同意しなかったためでした。児相が措置延長に応じないケースがゼロというわけではないんですけどね」(早川さん)
早川さんは、施設側が措置延長に積極的にならない理由として、「主に2つある」と話す。
「1つは措置延長を認めてしまったら、施設がいっぱいで次の子供が入らなくなるという理由です。
もう1つは、高校生と大学生は生活サイクルや行動範囲が違うので、一緒に見ていくということがイメージできない、という理由です。今まで高校卒業がゴールだったんで、それ以上のことをするというイメージができないということなんですね。
もう『児童養護施設は高校卒業がゴール』と思い込んじゃっているんですよ。やったことがないから自信がない、ということですね。
普通の家庭ならば、子供が生まれるのも、小学生、中学生、高校生になるのも初めてだし、大学、社会人になるのも全部初めてなわけじゃないですか。初めてが当たり前なのに、それにチャレンジしようとしないんですね」(早川さん)
「イメージできない」「チャレンジしない」という姿勢には、施設で働く職員たちのモチベーション、つまり「何とか高校卒業までは頑張ろう」という気持ちでやってきた「本音」が現れている。
現在52歳になる早川さんは、中学から高校に進学する時の体験を話してくれた。
「当時、私のいた中学では1学年600人近くいましたけど、高校に進学しなかった子はたった1人なんですよ。その1人にしても職業訓練校に行きました。だから就職した人はゼロなんです。
ところが調べてみると、その当時、児童養護施設からの高校進学率は3割にも達していなかった。当時は『義務教育終了で退所させる』というのがスタンダードだったんですね。
親が高校進学の学費を出すとか、素行がとても良い子など一部例外があるくらいで、それ以外の子は就労自立というのが当たり前だったんです。
その当時から、世間では進学率99%なのに、児童養護施設なら中卒で社会に出なさい、ということだった。つまり、劣等処遇というか、最低限のことしかやってあげない風潮があったんです」(早川さん)
「劣等処遇」とは、「救済を受ける者の地位は、最下級労働者より低くなければならない」という、19世紀のイギリスで出てきた概念だ。
興味深いのは、文献を見ると、1973年頃から制度上は高校生を児童養護施設でサポートできる特別育成費が見込まれ、高校生の学費などすでに予算化されていたことだった。
「それなのに、なぜ児童養護施設はやらないのか。その疑問に対する答えに、『中学生と高校生は生活サイクルが違うから、一緒に見るのはイメージできない』という記述があるんです。驚きますよね。
そんな記述を知っているはずのない現代日本の若い職員が、研修会などで処置延長の議論をしていると、まったく30年前と同じことを言っています。多くの日本人の中にそういう本心があるんでしょうね。
障害者は障害者、高齢者は高齢者、障害のある子は特別支援学校、そういう分類収容主義が医療にも教育にも福祉にも存在する。自然と入り込んでいるんでしょうね。だから、これは教育の問題なんです」(早川さん)
「福祉を受けている人は多くを望んではいけない」
私たちは気づかないうちにそんなふうに思い込んではいないだろうか。
「福祉」とは、「幸福。特に社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福」と辞書にある。 そして「福祉国家」とは、「社会保障制度の充実と完全雇用の実現により国民の健康で文化的な生活を保障し、国民の福祉を最優先しようとする国家」なのである。
【筆者プロフィール】小泉 カツミ:『現代ビジネス』、『週刊FRIDAY』、『週刊女性』の「人間ドキュメント」などでノンフィクション著述の傍ら、芸能、アート、社会問題、災害、先端医療などのフィールドで取材・執筆に取り組む。芸能人・著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理毋出産という選択』、近著に『崑ちゃん』(文藝春秋/大村崑と共著)、『吉永小百合 私の生き方』(講談社)などがある。