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大学の体育教員にモーテル連れ込まれて性被害、30年前の傷が癒えず苦しむ元学生の女性

2022年04月16日 09:21  弁護士ドットコム

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近年、生徒や学生に対する教員の性加害が社会問題となっている。若いころに信頼すべき人物から被害に遭った人は、その後の人生でも傷が癒えず、長期間苦しむケースが少なくない。


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関東地方に住む女性は、千葉県内の私立大学2年だった1992年当時、合宿帰りに教員に無理やりモーテルに連れ込まれてレイプされた。在学中は、その教員にストーキングされ、男女関係を強要され続けたという。



数年後、女性は警察に相談したが、「刑事事件にできない」と言われた。教員が定年退職する直前、女性は大学に被害を訴え、大学はセクハラがあったことを認めて2017年、教員を懲戒解雇とした。



しかし、民法で20年と定められた損害賠償請求が可能な期間は過ぎており、女性は現在も訴訟を起こすことができないでいる。



「法律は弱い立場の被害者に寄り添っていません。どうして私だけがこんなに苦しまなければならないのでしょうか」という女性。性被害について家族や友人たちに打ち明けられず、長年にわたって独りで苦しんできたという。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)



●スキー合宿の帰り、突然モーテルに

当時、女性は、教員が担当する「体育」の講義を受講していた。あまり接点はなかったが、部活の顧問でもあった教員から「お前は自信がなさ過ぎる」と言われ、「自信をつけさせる」という理由で、大学3年になる直前の春休みにスキー合宿に誘われた。



スキー合宿は、教員がほかの講師らとともに、任意でおこなっているもので、教員が指導する部活の学生や他大学の学生らが参加していた。合宿からの帰り道、サービスエリアで休憩をとったところ、ほかの車に乗っていた女性は、教員の車に移動するよう教員から命じられ、車内で2人きりとなった。



その後、ほかの車はそのまま走っていったが、教員の車はすぐに高速道路から一般道へと降りた。女性はいぶかしんで理由を尋ねると、「このほうが近いから」と言われた。その後、教員は何も言わずに、道路沿いのモーテルの駐車場に入った。



女性は男性経験はなかったが、何を目的としているのかわかったため、車から降りなかったという。



「車の中で2時間粘りました。何度か車から逃げ出そうとしましたが、周囲は真っ暗で怖かったですし、すぐ捕まると思ったのでできませんでした」



教員は女性の父親と同世代であり、学生という立場で逆らうことも難しかった。教員の「何もしない。休んだらすぐ出る」という言葉を自分に信じ込ませて、部屋に入った。



●教員は一升瓶を割って暴れ…

女性はモーテルに行く前までのことは、詳細に覚えているにもかかわらず、部屋に入ってから自分の身に起きたことを「よく覚えていない」と話す。



「部屋で襲われたあと、教員の車で帰ったはずなのですが、記憶が抜けています。自分で消してしまったのでしょうね」



性被害はこのときだけではなかった。その後も呼び出され、関係を強要された。断れば、女性の自宅の周囲をうろつき、夜中でも電話がかかってきた。



ほかの男性と付き合いたいと言えば、教員は酒を飲み、一升瓶を割って暴れた。女性は恐怖し、教員に従わざるを得なかったという。そんな状態が、大学を卒業するまで続いた。



一度だけ、親しかった女性の先輩に打ち明けたこともあったが、「自分から望んだことでしょう」と冷たい言葉を投げつけられ、ショックのあまり誰にも言えなくなってしまった。



「今でこそ、ストーカーやセクハラが認知されていますが、当時は誰にも言うことができませんでした。一度、警察にも相談しましたが、一緒にモーテルに入っているから男女間のことになってしまって、事件にはできないと言われ、泣きながら帰ってきたこともありました」



女性が就職活動をしていたのは、就職氷河期と言われる厳しい時期だった。



「当時、120社エントリーして2社受かる、という状況でした。もうこれ以上トラブルを抱えて足踏みしたら、就職もできなくなってしまうのではないかと思って、泣き寝入りするしかありませんでした」



●1人で耐えるしかない「傷」

大学を卒業してから、女性はやっと教員から離れることができた。しかし、教員は部活の顧問をしており、卒業生との集まりにも参加することが多かったため、女性は大学関係者との縁を切った。



女性は卒業後、2006年ごろに被害を訴えるメールを大学に送ったことがあった。当時の学長が設置していた「目安箱」という制度だったが、返信はなかった。



「先輩もダメ、警察もダメ、大学もダメ。誰も被害を聞いてくれなくて、自分が耐えるしかないんだなと思いました。死ぬまで背負っていかなければならない傷なんだと」



その後、大学の同窓生である男性と付き合うようになったが、女性は性被害について告白することはできなかった。



「もしも彼と結婚したら、教員にも知られ、結婚式に呼ばなければならないと思いました。そうしたら、また教員に付きまとわれるんじゃないかという恐怖感がありました」



男性とは15年間交際をしてプロポーズも受けたが、理由も言えないまま別れてしまったという。



●大学はセクハラ認めたが、教員から謝罪なし

ずっと苦しみを抱え続けている女性だが、教員の定年退職が近いことを知り、再度、大学に被害を訴える手紙を書留で送った。



「弁護士を探したり、法テラスを調べたりしました。時効は過ぎていましたが、自分でできることをやろうと。このままでは、教員は先生と呼ばれて慕われたまま送り出される。あまりに理不尽だと思いました」



1、2週間後に大学の事務局長から連絡があり、2017年1月に学長らからヒアリングを受けた。大学との話し合いは4、5回続き、最終的にセクハラがあったことを認めた大学は女性に謝罪した。大学は2017年3月、教授の職にあった教員を懲戒免職とした。



教員からは一度だけ、謝罪する意志があるというメールが届いたが、その後の対応は何もないという。



近年、教員から性加害を受けた被害者が訴訟を起こすケースがあることを知り、女性は今、弁護士と相談している。



「被害は続いています。大学生は大人として扱われてしまい、被害があっても深刻に受け止めてもらえません。でも、教員と学生という立場には圧倒的な違いがあり、受けた傷はその後、一生続きます。



現在の民法では、慰謝料を求めるのにも時効がありますが、被害者にとっては事件が解決しなければ、終わりにはなりません。もっと弱い被害者の立場で法律を変えてほしいです」



街中で教員と似ている男性をみると恐怖心を抱き、うつ病を患うなど、人生を大きく変えてしまった性被害は、今も女性を苦しめている。



「被害に遭わなければ、私も好きな人と結婚して、子どもを持ち、幸せに暮らせたかもしれません。何もなかった時間に戻してほしいです」



●「性暴力で追い詰められる被害者」

教員という信頼すべき人物からの性暴力。被害者に寄り添って活動をしている公認心理師で目白大学准教授の斎藤梓さんは、女性のようなケースについてこう話す。



「信頼している人から継続的に性暴力を受ける影響は、被害者にとってとても大きいものです。女性のようなケースでは、教員と学生という断りにくい相手であり、周囲に知られてはいけないと思ってしまう関係性を利用されて、人生で大事な、楽しいはずの大学時代が性暴力によって失われています。



性暴力の被害による心身への影響はもともと、適切なケアを受けなければ長引くことがあります。特に信頼している人から長期間、繰り返し性暴力を受けた場合、他人への信頼感も壊され、自分のことも責めてしまいがちです。被害者の心は一層追い詰められてしまいます」



また、斎藤さんは、被害者自身が性暴力を受けたことに気づいてないこともあると指摘する。



「地位関係性を利用した性暴力は、明確な暴力や脅迫がない場合も多く、それが性暴力であると気づくことができないことがあります。もし相談を受けたら、本人にそれは性暴力だと知らせること、そして、専門の相談機関につなげることが大事です」



国の相談機関としては、性犯罪・性暴力被害者のための「ワンストップ支援センター」や性暴力のSNS相談「Curetime」(キュアタイム)などがある。



弁護士ドットコムニュースでは、大学に対してコメントを求めたが、大学は「お問い合わせ内容の性質上、回答を差し控えさせていただきます」とするにとどまった。