2022年04月10日 09:31 弁護士ドットコム
Jリーグでは近年、指導者からの選手・スタッフに対するパワハラがあいついでいる。2019年には湘南ベルマーレ、2021年には東京ヴェルディとサガン鳥栖で問題が発覚し、懲罰を受けた。
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これらの問題を受けて今年1月、Jリーグの公式noteで「スポーツ現場におけるハラスメントとの決別宣言」という一万字近い長文が配信された。
《もうそろそろ「厳しい指導方法」などと都合のいい言い訳に逃げることなく、パワハラ「指導」は「尊厳の迫害」そして「人権侵害」以外に解釈の余地などないことを、スポーツ界全体で再認識したい》
この文章を書いたのは、当時常勤理事だった佐伯夕利子さん。スペインでサッカーの指導者ライセンスを取得し、女性としても日本人としても初めて同国のナショナルリーグの監督を務めるなど、30年近い指導歴の持ち主だ。
佐伯さんの指摘はかなり踏み込んだものであり、それがJリーグの公式noteで発表されたことは一部で驚きとともに受け止められた。
3月15日で2年勤めた常勤理事を退任した佐伯さんにあらためて、スポーツ界のパワハラについて考えを聞いた。(ライター・谷寛彦)
――Jリーグで起きたパワハラについてどう思われましたか。
「日本のスポーツ界でパワハラが相当数あることは認識していましたが、正直驚きました。
日本サッカーの最高峰である57クラブ(2022年は58クラブ)の中で、3年間に3件も裁定にかかったということは、相当根が深いのではないかと思っています。
今は日本サッカー協会に相談窓口がありますが、それでも言い出せない人がいるかもしれませんし、クラブは誰にでも起こり得ることとして意識を高めなければならないでしょう」
――佐伯さんはスペインで長く育成年代の指導もされていました。日本のスポーツ界との違いはありますか。
「私はこの2年日本の関係者に対し、折に触れて子どもたちにたくさんハグをしてあげてほしいと伝えてきました。西洋文化の子どもを見ていると、大人にめちゃくちゃハグをされて育っているんですね。
私がスタッフをしていたスペインのビジャレアルではコーチに対して、未就学児はゴールを決めたときも練習で良いプレーをしたときも、とにかく1回1回抱きしめてあげなさい、と言うんですね。
子どもは理屈で言ってもわかりませんけど、ハグをされると安全だと感じてくれます。絶対的な安心感は、関係性を作るうえで土台になる部分です。しかし、日本にはスキンシップの文化が欠けているように思うのです」
ーー日本の指導には「安心感」がない?
「日本では子どものころから、正しくあることを求められますが、行動ばかりに注目がいきすぎているように感じます。なぜそのプレーに至ったかが軽視され、今のプレーが良いか悪いか、という点がコミュニケーションの中心になっている。
たとえば、ある子どもがシュートを打つべきときに、『なぜパスを出したんだ』と責める大人が多い。それは行動に対してジャッジしているんですね。
でも、もしかしたらその子は、3分前にひどいファウルをされた相手が視界に入ってしまって不安を感じシュートを打つ判断がとれなかったのかも知れない。
だけど、そのことを問う指導者がいない。打たなかったという行為だけを問題にすることが多いなあと私は思います」
ーー結果だけでジャッジしてしまうんですね。
「問うことをしないんですね。『どうしてシュートを打たなかったの?』と聞けばいいんです。しかし、『今のはシュートだろ』とジャッジする。指導者は裁き続けているんです。結果にばかりフォーカスして、そこに至ったプロセスを問おうとしない。
そういう関係性で積み上がっていくものは、人間性とはかけ離れたものだと思います。だから平気で人を罵倒したり殴ったりできる人になってしまうのではないでしょうか」
ーー「裁く」ところにパワハラの温床があると…
「日本のスポーツ界では『怖い自分』を前面に出して、〝ビビらせる〟ことでチームを統率しようとする指導者が多い。ですが、指導に怖い必要があるのでしょうか。豊かな関係性の構築こそがより良い指導環境の提供につながるのだと思います。
恐怖に縛られた選手は、常にベンチの監督ばかり気にして、関係性の矢印が指導者に向いた状態になってしまいます。これは本当によくない現象です。
だからといってタメ口で話すなど、フランクな関係がよいと言っているのではありません。スポーツというものは、自分が上手くなりたい、失敗したらもう1回やりたい、新しい事にチャレンジしたいという、自分に矢印が向いた状態でなければ、まったくもって成長はないものです。
そこをもっと指導者に求めていかなければならない。誰のためにスポーツをやっているのかということを、もっと厳しく社会に問うていかなければいけません」
ーー日本の指導者がパワハラ気質になってしまう背景は何なのでしょうか?
「日本のスポーツは兵式体操から始まって部活動になっていったといわれています。兵式体操というのはもともと非常によいものだと聞いています。体力、知力、精神力が研ぎ澄まされた軍人像は、かつて日本人の理想的な姿ではあったんですね。
しかしその姿が歪んで理解され、継承されてきたのが現在のスポーツ界における指導者像なのかなとは思います。
たとえば目上の人を敬うこと自体は徳だと思いますが、上級生が下級生を呼び出して使い走りさせるのは違うと思います。そうした歪みが修正、補正されることなく慣習化されてしまっていることが問題なのかなと思います。
そして、それがハラスメントになる過程にはその人の暴力性という、もっと根深い問題があります。
人が過度に凶暴になるのは精神的に普通の状態ではないので、専門家にみてもらう必要があります。恍惚感や依存性が生まれているとも言われていて、そういう人にはやっぱりケアが必要なんですね」
ーーどのように変えていったら良いでしょうか?
「私たちJリーグの中で話してきたことのひとつは、学校など周囲の環境に流れる『文脈』を変えるということです。
『絶対優勝するぞ』とうるさく言われて育ったアスリートと、チャレンジすることにフォーカスされて育ったアスリートとでは全然違います。
私たちスポーツ界でふだん成功体験と言っているのは、大会で優勝したなどの成果、つまり外的な成功体験を指すことが多いのですが、持続的かつ深いのは内的な成功体験です。
それは勝ち負けではなく、自分がチャレンジしてうまくいったという体験です。そういう環境をつくってあげることこそが指導者がやるべきことであって、厳しく自分の意のままにチームを統率して優勝に導くという結果を出すことではありません。
個々人のチャレンジとか、失敗しても何度も取り組む姿勢などの集積がチームのパフォーマンスにつながっていくはずなのに、われわれ指導者は選手に厳しくすれば勝てるという勝手な方程式を立ててそれを信じ込んでいる。
その方程式は誤りであることを社会全体、スポーツ界全体で認識し、正していかなければならないのではないかと思います」
ーー「厳しい指導」に感謝している選手もいるのでは?
「被害者も含め私たちはハラスメントというものがどういうものなのかという教育をまったく受けてきていません。何がハラスメントかがわからない。だから、『先生の厳しい指導のおかげでプロになりました』と笑って語ったりできるんです。
人は基本的に嫌な思い出は保存したくないので、何らかの意味付けをして脳のメモリーに落とすのだそうです。だから指導者に殴られた思い出も『あれは愛情があったからだ』とか、きれいな状態にして記憶に刻んでしまう。
その話を聞いたときになるほどと思いました。彼らが当時、ハラスメントにあっていたことは間違いないのに、美しい思い出として刻まれてしまっている。スポーツにおいてこんなに寂しいことはないと思うのです。
だから、ハラスメントを阻止するためにも教育をしていかなければならないよね、とJリーグの中でも話をしていました。
『厳しい指導のおかげで~~』。そういうコメントを聞くたびに、私は西洋の人が聞いたらどう思うだろうと思います。ドン引きですよね。きっと加害者をカウンセリングに連れて行って、ケアしてあげてほしいって言われると思うんです」
ーー西洋のサッカーはどうなんでしょうか。たとえば、人種差別が問題になることが多いと思います。
「サッカー界での人種、民族の問題でいえば、残念ながら西洋文化のほうが根が深いと思います。西洋には白人至上主義という思想を持っている人たちが一定数います。
一度でも観戦に行った人ならわかるかも知れませんが、欧州でわれわれ日本人は、かつての浦和レッズの試合で起こった『JAPANESE ONLY』の横断幕の件とはまったく逆の立場で、非常に怖い思いをします。
だからヨーロッパリーグがすべて素晴らしいかというとそんなことはありません。こういう部分はJリーグのほうがよい状況で、それは絶対に守るべきです。
人種、民族の問題は、西洋文化がいまだに解消しきれない根の深い問題です。それを観察しながら、そうならないためにはどうすべきか考えていかなければなりません」
ーーJリーグのほうが希望を持てるところもあるということですね。
「安心、安全な環境を提供することが一番根底になければいけないことだと思います。見る人の安心と安全を確保するという点で言えば、Jリーグは欧州リーグよりも圧倒的に優れていると言えます。
その一方で指導環境においては安心、安全が担保されておらず、それがハラスメント問題として表れてきたのだと思います」
ーーJリーグは今後、どういう方向に向かっていくのでしょうか?
「Jリーグで私たちはサッカーの競技人口やサッカーを好きになってくれる人を増やしたいとか、競技レベルを上げて世界のトップレベルになりたいとか、中継の視聴者数を増やしてもっと応援してもらいたい、そのために何をしなければならないかという話をしていました。
まず一番に取り組まなければならないのは、指導環境の改善だと思います。それはフットボールをする選手たちが楽しくない、毎日嫌な思いをしなければならない場所に身を置いていることがそもそも不健全だからです。
そんな環境でいいパフォーマンスが生まれるとは思えないし、競技力の向上などとても望めません。そして楽しく、チャレンジのできる安心安全な環境で『エンジョイ』と言われながら育ってきた西洋のアスリートたちにかなうわけがないと私は思っています。
また、プレーをしている選手たちが『苦しい』とか『早くやめたい』と言っているのを見た人たちが、サッカーを楽しいものだと認識するはずがない。そんなものを応援したいと感じるわけもなく、ましてやお金を払って見てみたいと思うわけがありません。
選手たちにそう言わせる指導環境を、早急にかつ徹底的に変えることが、私たち日本のサッカーをけん引している大人たちの責務だと思っています」