2022年03月26日 10:01 弁護士ドットコム
「誰にも相談できず、日常生活や創作活動にも支障が出て、死ぬことすら考えました」
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そう告白するのは、若手の画家として注目を集める山崎直美さん(仮名・20代女性)。近年、美術界でハラスメントを告発する女性が増えているが、山崎さんも2年にわたり、著名な男性美術家であるA氏から悪質なセクハラやモラハラを受けてきたという。
当初は、美術界の「先輩」として山崎さんの相談に乗ったり、助言をしていたというA氏。しかし、既婚者であるにもかかわらず、山崎さんに男女関係を迫るようになった。山崎さんが断り、距離を置こうとすると、今度は一方的に罵倒し、心ない言葉を投げつけてきた。
傷ついた山崎さんは、A氏と離れたあともフラッシュバックに悩まされ、一時は自死も考えたという。「美術界ではハラスメントが野放しになっています」という山崎さん。業界内でも影響力のあるA氏はどのような手口でハラスメントをおこなったのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
(編集部注:ハラスメントについて具体的な表現があります。お読みになる際には十分ご注意ください)
メディアにも度々登場する著名美術家であるA氏と、駆け出しの画家である山崎さんが知り合ったのは、SNSがきっかけだった。
コロナ禍で展覧会の中止が相次ぐ中、発表の場を失って苦境に立たされる作家が少なくなかった。そんなとき、A氏が山崎さんのアカウントをフォローし、突然メッセージを送ってきた。
「コロナで展覧会がなくなっている人が多いので、声をかけさせてもらっています。何か困っていることはありませんか。画廊も紹介できます」
A氏のことを作家として尊敬していた山崎さんは、その心遣いに喜んだという。
「そのときは、すごい方にフォローしてもらえて、うれしいと思いました。私の作品もみてくれて、感想も送ってくれました」
好感を持った山崎さんに、A氏は徐々に仕事以外の話もするようになっていった。ある日の早朝、いつもとは様子が違うメッセージがA氏から届いた。「苦しいです。プレッシャーに押し潰されそうで、つらいです。山崎さんに話を聞いてほしい」とあった。
「尊敬する人からそんなふうに頼ってもらえて、力になりたいと思いました。Aさんの悩みを聞いたり、Aさんがほめてほしいんだなと思ったらほめたり、段々と会話が増えていきました」
住んでいる場所が離れていたA氏と山崎さんは、1年ほどSNSやメッセンジャーアプリ、電話などでやりとりを重ねた。親子ほど年齢が離れていたため、山崎さんは美術界でのノウハウを教えてくれるA氏に対して、先生や父親のような尊敬の念を抱いていた。
そうした中、山崎さんの住む地域にA氏が仕事で訪れる機会があった。A氏に誘い出された山崎さんは「お茶ぐらいなら」と会うことにした。ところが、コロナ禍の営業時間短縮で、喫茶店は早い時間に閉店してしまった。
「直美さんにすごく大事な話があるので宿泊しているホテルまできてほしいと言われました。Aさんを信頼していましたので、付いていくことにしました」
ホテルの部屋で、A氏は山崎さんに「好きです。ずっと一緒にいてください」と告白してきた。しかし次の瞬間、A氏は「僕は既婚者なんだけど」と言い出した。A氏は「結婚はしてるが、妻のことはもうなんとも思っていない」と説明した。
A氏が既婚者であることを知らなかった山崎さんは驚き、拒絶した。A氏に肉体関係を迫られたが、断ってホテルの部屋から逃げた。
「それから、Aさんの態度がおかしくなってきました」
その夜以降、優しかったA氏の素顔があらわになっていった。
「Aさんは、私がAさんのいうことを素直に聞いているときは、『いい子だ』『頑張り屋さんだ』とほめてくれました。でも、少しでも異なる意見を言うと、『性格のここが悪い』とか『反省文を書け』とか、怒鳴られるようになりました」
たとえば、A氏のメッセージに返信をせずに、SNSに投稿しているのが見つかると「僕よりも大事なんですね。僕なんていらないんでしょ。消えますよ」と怒りにまかせた暴言の電話がかかる。
また、あるときには、スマホに1回でスクロールしきれないほどの長文で、山崎さんの人格を否定するようなメッセージが送られたこともあった。
一方で、A氏は山崎さんに対して、自分の下腹部の写真や動画を突然、送りつけてくることもあり、山崎さんは対応に困るようになっていった。
「とにかく、Aさんの機嫌を損ねないよう、気をつかい、何かあればすぐに謝っていました。Aさんは有力な画廊やコレクターなどとコネクションがあることを私にちらつかせて、そんなことを言うなら紹介してあげないよ、と脅すようなこともするようになりました。本当につらかったです」
画家として次のステップへと進みたいと考えている山崎さんにとって、A氏によって可能性を潰されたくないという思いがあった。山崎さんはなんとかA氏と距離をおこうと試みるが、責められたり、怒鳴られる恐ろしさがあり、なかなか思うようにはいかなかった。
A氏から肉体関係を迫られ、断ってから3カ月。いろいろな感情に縛られ、傷ついていた山崎さんだったが、やがて限界が訪れた。
ある日、A氏から紹介された画廊を1人で訪れた山崎さん。画廊のオーナーと話すうちに、A氏がほかの女性作家や画廊の女性スタッフにも声をかけていたことを知った。オーナーから「A氏には気をつけて」と気遣われ、号泣してしまっていた。
山崎さんは、本気でA氏から「逃げなければ」と思うようになった。そんな山崎さんの変化にA氏は気づいた。A氏は再び山崎さんに会おうと言い出し、断ると電話で荒れ狂った。
「ガクガク震えてしまうぐらい、怖かったです。これだけしてやったのに薄情なやつだとか、最初からそんな人間だと思っていたとか、罵倒され続けました。今思い出してもつらいです」
声を詰まらせながら、山崎さんは振り返る。積み重なっていた恐怖があふれ、断りきれずに結局、A氏と会うことになった。A氏に逆上されないよう、ほかの客の目があるオープンな雰囲気の店をあえて選んだ。
山崎さんが画廊で聞いた女性関係の話をしたり、既婚者であることを指摘すると、A氏は動揺して、「妻とは離婚して、直美と結婚する」と優しく、ご機嫌をとるような態度になった。
A氏はその後も山崎さんに連絡を取り続けた。
疲弊しきっていた山崎さんは、あるとき、A氏からのメッセージにスタンプだけで返事を済ませたことがあった。A氏が深夜、有名なタレントと自分が共演した番組の動画を送ってきたのだが、長時間の動画を視聴する気力も体力もなかった。
翌日、A氏からすぐに電話があった。罵倒の嵐だった。
「あなた、僕のことバカにしてますよね。僕が積み重ねてきたキャリアに対して、スタンプ1個で返すなんて信じられない。あなたは僕のキャリアに嫉妬してるのでしょう。反省してください」
A氏の怒りはおさまらなかった。最後には「もう、あなたのことはいらないから」と暴言を吐いた。その言葉によって、山崎さんの中で何かが壊れた。
「Aさんとは健全な関係とは言えませんでしたが、作家として尊敬していた人でした。でも、もう自分はいらない存在なのか、自分はもう死んだらいいんじゃないかと毎日、フラッシュバックに苦しみました」
日常生活だけでなく、創作活動にも支障をきたすようになり、筆を折る寸前までいった。あとからわかったことだが、A氏は所有していた山崎さんの作品も捨てていた。
「Aさんはインタビューで、命をかけて創作をしているとよく答えているのですが、そんな人があっさり他人の作品を捨てたことが信じられませんでした」
A氏は山崎さんとの連絡も断ち、SNSのフォローも外して消えた。しかし、山崎さんが負った傷は消えることはない。
一時期、山崎さんはA氏に対して法的措置も考えたという。
「どういう手段があるのか調べましたが、結局はあえて法的措置をとらないことにしました」
その理由は、裁判に訴えたとしても、A氏のハラスメントの再発を止めることができないと考えたからだ。
「裁判で個人と個人のトラブルとして完結してしまうと、お金で解決するだけで、A氏の行為はまた繰り返されてしまい、私と同じような立場の女性が泣き寝入りすることになるのでは、と思いました」
山崎さんはこう話す。
「美術業界で、こういうことがハラスメントになって法的措置がとられる可能性があるといったガイドラインのようなものがあれば、ハラスメントをする人が減るのではないかと思っています。
いま、ハラスメントをしても『すごい作品をつくる作家だから』と許されてしまっています。でも、ハラスメントで受けた傷は人を蝕んでいきます。心の傷が原因で、筆を折る人もいます。こんなハラスメントで心が壊れることがないような美術業界になってほしいです」