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“野ざらし”のいすゞ「117クーペ」は再生可能? 専門店に聞く

2022年03月23日 11:31  マイナビニュース

マイナビニュース

画像提供:マイナビニュース
旧車の祭典「Nostalgic 2days」で“野ざらし”になったいすゞ自動車「117クーペ」に出会った。さすがの名車も錆が進んで見た目はボロボロ。いすゞツインカムの名機「G161W」エンジンも正直にいってひどい状態だが、復元可能なのだろうか。展示していたイスズスポーツに話を聞いた。


○あえてボロボロの117クーペを展示した理由



まさに“バーンファインド”ないすゞ自動車「117クーペ」(以下、117)を再現していたのが、東京・羽村にあるいすゞの旧車専門店「イスズスポーツ」だ。



117は1968年に登場したいすゞのフラッグシップ4座クーペ。117のコードネームを持つ無骨な4ドアセダン「フローリアン」のクーペ版として開発されたクルマで、ベース部分は共有しながらも見た目は大変身を果たした。余談だが、フローリアンは1970年代に教習所用のクルマとして使われることが多かった。実は筆者が免許を取った時のクルマもフローリアンだ。



「バーンファインド」とは、納屋やガレージで長い間眠っていたが発見されて世に出てきた貴重なクルマのこと。「草ヒロ」(野ざらしにされていた草むらのヒーロー)と呼ばれたりもする。こうしたクルマが見つかることは時々あるそうだ。



高名なカーデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた流麗なスタイルが特徴の117。初期のものは製造技術的な理由でプレス成形を行うことができなかったため、大部分は手作業で製作の工程をこなしていたことから「ハンドメイド」と呼ばれている。草にからまれ、錆びついたこの117も、そのハンドメイドの1台だ。


117のボディは全長4,310mm、全幅1,600mm、全高1,310mmと非常にコンパクト。搭載するエンジンはいすゞツインカムの名機と呼ばれる「G161W」(ガソリン、1.6L、ダブルオーバーヘッドカムシャフトの意)型の直列4気筒で、最高出力120PS/6,400rpm、最大トルク14.5kg/5,000rpmを発生する。


イスズスポーツの熊木諭巳さんによると、この個体を修理するかどうかについては悩みに悩んだとのことだ。

「このクルマは、青森県の海沿いの街で見つかった昭和46年(1971年)製のハンドメイドものです。こうした117は、書類の有無で部品取り(使える部品だけ取り外して再利用すること)にするのか、レストアベースで修理するのかが決まります。これは悩みに悩んだクルマで、修理するには大変すぎるし、部品取りにするにはもったいない。逆にいうと、今日ここに展示するために生まれてきたクルマといえるかもしれません。本物のダメージカーを展示したのはウチが初めてだろうし、目立ってなんぼ、というところもありますから(笑)」


よく見かけるのは、ドンガラの状態を途中展示して、「これを完璧に直しますよ」という手法なのだが、イスズスポーツではさらに突っ込んだ形で展示して、業界に一石を投じたいとの意図もあったのだという。



「ピカピカのきらびやかなクルマが並んでいるのを見ても、僕らは“お腹いっぱい”なんです。乗れないクルマが光っているのを見るのは、嫌ですからね(笑)。我々は、こんな状態のクルマでもきちんと修理するお店だから、これを持ってきたんです」



バーンファインドな117の引き立て役として隣に並ぶのが、レストアが完成したグリーンの117ハンドメイド(1970年製)。関西のオーナーさん所有車とのことで、できるところは全て手を入れたという極上モノだ。メルセデスカラーのグリーンのボディやシルバーの金属製のピラー部、砲弾型のバックミラーはピカピカの状態。デザイナーが製作にも関わったとされる結晶塗装のエンジンヘッドも美しく、ブルーに光り輝いている。


メーター上部には「OH(オーバーホール)したエンジンは、3000回転まで」、ドア内張やスカッフプレート部には「張り替えのため、乗降に注意」など、職人さんの注意書きのテープが貼ってあり、そのこだわりようが伝わってくる。


熊木さんによると、「さっき、お子さんが草ヒロの方をジーッと見てました。面白いんでしょうね。実際のところ、こんなクルマが安心して乗れるようになるの? という疑問はあると思いますが、直せますし、それを楽しんでほしい。50年前のクルマだけど、それができるんです。特に117のハンドメイドやベレGR(ベレットGTR)なら、そこまで考えることができるし、そんなトップグレードがここにはあるんです」とのこと。こうしたクルマ文化は50年後にも続いていて欲しいものだが、「今のクルマでは無理でしょうね」とキッパリだ。


原アキラ はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。 この著者の記事一覧はこちら(原アキラ)