「就職氷河期」をご存じだろうか。それは40歳より上の世代が味わった就職できない地獄のこと。不景気で企業が軒並み採用を絞った結果、人気大手は倍率数百倍、中小はそもそも募集すらしていない……みたいな世界が到来してしまったのだ。間違ったらイチからやり直し、手書きのエントリーシートを郵送し、面接官の理不尽な質問に答えても、手応えはなく「お祈り」され続ける毎日。50社、100社と膨大な会社にエントリーしても内定がもらえず、就活を諦める人も続出した。
その真っ只中で就職活動を体験した男性(40代前半/地方国立大卒)は、「工学部なのにパチンコ屋やスーパーに就職する人、名前も聞いたことが無い零細企業に就職する人、就職が決まらず実家に帰る人もいた」という。インタビューを申し込み、当時の状況を語ってもらった。(文:昼間たかし)
「面接のための交通費で50万は使った」
――国立大学でも就職活動が困難だったということですが?
国立大学は私立と違って就職の面倒見が悪く、教授や就職課に相談してもいわゆるコネというものが皆無でした。学校推薦もあるにはありましたが、就職氷河期末期で零細企業ばかりだったので、自由応募で就職活動するしかありませんでした。
――大学入学当初から就職活動の厳しさは予期していましたか?
2000年入学、2003年度卒業ですので、当初から就職活動が厳しいという話は聞いて覚悟はしていました。農学院卒だったサークルの先輩が、就職が決まらず大型トラックの免許を取って運転手になったりしていましたから。
――地方での就職活動は都市部とは違った厳しさがあると思いますが。
説明会や面接のたびに東京や大阪に出向く必要があり、時間と交通費がかかって仕方ありませんでした。最初は複数の面接に参加できるように調整していましたが、最終面接に近づくと日程調整も難しくなり、たった1時間の面接のために往復8時間かけて東京まで日帰りしたり、大阪で面接を終えて、そのまま東京に向かったこともあります。
――交通費などで50万円あまりは遣った、とのことですが、費用はどうやって捻出しましたか。
奨学金を借りていたので、半分はそこから出しました。あとは親からの援助でまかないました。
――2003年当時だと現在のように就活サイトからのエントリーが普及していなかったので、手間も多かったのでは?
リクナビがスタートした頃で、エントリーや会社説明会についてはネットで申し込めるようになっていました。でも、エントリーシートはすべて手書きで郵送。ですので、本命の企業は1枚書くのに丸1日以上かかりました。誤字脱字があってはいけないので、先に薄い鉛筆で書いて、後から黒いペンで書くという大変な作業をしていましたね。
――理系だと、その合間に卒業研究も厳しかったのでは?
正直、就活より卒業研究の方が厳しかったです。みんな平日は日付が変わっても研究室にいましたし、大晦日も研究室にいました。それは本当に辛かったです。
――厳しい就職活動でしたが、どのような結果を得られましたか?
50社エントリーして6社から内定を取りました。成績がよかったのと、就職浪人を避けるため中小企業も受けていたからです。大手は全滅しました。就職したのは、社員1000人、売り上げ200億円のシステム子会社です。初任給は手当込み(残業代除く)で22万でした。会社の寮があったのでやっていけました。今では考えられませんが、風呂、トイレ、食堂は共同でしたけど。
――ちなみに、もっとも成功した同級生の就職先は?
公務員です。工学部の土木系だったので、県庁や市役所など採用された人たちが「成功した人」ですね。余談ですが公務員に合格した同級生には、女性が寄ってきて彼女ができたりしていました。本当に羨ましいなと見ていました。
――厳しい就職活動で心が折れそうになったことは?
ありません。高校、大学で青春を犠牲にして勉強を頑張ってきたのは就活で希望の会社、職種に就くためだと考えていたので、むしろ最後の集大成だと思って臨んでいました。
ちなみに男性はその後、別の企業に転職して今では年収950万円とのこと。厳しい就職戦線を勝ち抜いただけあって、その後もしっかりと稼げているようだ。
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