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奄美の島々の暮らしに根ざした解決を 司法過疎地域で奔走する鈴木穂人弁護士

2022年03月20日 09:11  弁護士ドットコム

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「司法過疎地」と呼ばれる地域がある。弁護士が少なく、法的な解決が必要なときに司法へアクセスが困難なところのことだ。


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そうした地域で暮らす人たちのため、法律事務所を立ち上げた弁護士たちがいる。「弁護士法人 空と海」だ。東京事務所をはじめ、岩手県久慈市や鹿児島奄美市、沖縄石垣市など全国6カ所に事務所をかまえる。



その中の一つ、浦添市を拠点とする事務所で、沖縄本島と奄美群島を行き来しながら活動しているのが鈴木穂人弁護士だ。弁護士2年目にして、奄美大島の公設事務所(ひまわり基金法律事務所)所長として赴任した。



任期後も司法過疎地で仕事を続けるため、同じ思いを持つ仲間とともに弁護士法人を設立した。



都会育ちの鈴木弁護士は、初めて触れる島ならではの文化や風習に驚きながらも、島の人たちの問題解決に奔走。現在も司法過疎地の問題に真っ向から取り組む。島の法律問題と暮らしについて、鈴木弁護士に聞いた。



●コミュニケーションに戸惑い

京都で生まれ育った鈴木弁護士。最初に入った事務所も東京・渋谷にあった。そんな「都会っ子」が、ひまわり基金法律事務所の所長弁護士として赴任したのが奄美大島だった。



奄美大島は、鹿児島本土から南西約370~560キロに広がる奄美群島の一つ。亜熱帯照葉樹林やマングローブの森など、世界自然遺産にも登録されている自然豊かな離島だ。最初は、慣れない言葉や文化に戸惑ったという。



「まず、相談に来られる方たちとのコミュニケーションの難しさを感じました」



当たり前のように飛び出す地元の地名。相談に関する資料を持参しない人も少なくなかった。鈴木弁護士の目の前で、依頼者とその家族が奄美特有の言葉である「島口」(しまぐち)で会話を始めてしまい、何を言っているのかわからず、困惑したこともあった。



「あとから気づいたのですが、島人(しまっちゅ)は、弁護士に相談するなんて慣れていませんし、敷居が高いんですね。とても緊張して来る方が多い。みなさん、がんばって普段は着ないスーツで来たりして。



実際に暮らし始めてみると、ほかの離島から奄美大島まで来るのに1泊から2泊が当たり前。本当に大変なんです。でも最初はそういうことがピンと来てなくて、平気で『相談は事務所に来てもらわないと困ります』という横柄な態度をとっていました。



それに気付いてからは極力、自分からほかの離島に赴くようになり、飛行機の搭乗回数は年間100回を優に超えるようになりました」



奄美大島では、それぞれの集落を「シマ」と呼ぶ。



「道路ができるまでは集落間の行き来も大変で、シマで完結した社会ができていました。狭い地域社会で、顔と顔の関係があるから、わざわざ約束を書面化する必要性がないんですよね。



たとえば、私たちも家族の間で約束するときに書面を作らないと思いますが、それがシマ全体に広がっています。そうした社会だったので、書面はあまり重視されていないと感じました。



ですので、メールや手紙、書面で報告するよりも、電話を1本かける、顔を合わせに行ったほうが安心してもらえます」



そう語る鈴木弁護士。今でも心に残る事件があるという。





●当事者にとっての真実

あるとき、鈴木弁護士は奄美群島の一つ、徳之島へと向かった。徳之島へは奄美大島からフェリーで3時間弱、飛行機で30分かかる遠隔地だ。依頼者は高齢の女性だった。



「ある日突然、事務所に電話がかかってきて、おばあさんが『島口』で何かを必死に訴えてるんです。よく聞くと、徳之島に住んでいる方で、パワーショベル(重機)が家の庭まで来てるとか、勝手にプロパンガスのボンぺが回収されたとか、なにか事件が起きている様子でした。



ちょうど1週間後くらいに徳之島で仕事の予定があったので、とにかく寄りますと約束しておばあさんの家に行ったんです」



その女性は夫に先立たれ、子どもも巣立ったあと、夫から相続した家に独りで住んでいた。ところが突然、家を明け渡すよう迫られていたという。



「てっきり、強制執行かと思ったのですが、裁判所の手続きを踏んでいるわけではなく、地主だという相手方が、自力で立ち退きさせようとしていました。それはさすがにおかしいと思って、すぐにおばあさんの代理人になって交渉しました」



相手方は、自分の父親から女性が住んでいる家の土地を相続したと主張した。登記簿を調べると、たしかに相手方に所有者移転登記がされていることがわかった。



一方、女性は相手方の父親に頼まれて、金融機関から融資を受けるために便宜上名義を変更しただけで、いずれ土地を返してもらう約束をしていたと反論した。しかし、女性は建物渡請求訴訟を起こされてしまった。



「土地を返してもらうことは口約束。その約束をしていた男性はすでに亡くなっている。他方、所有権移転登記は公正証書まで作成されており、そこにおばあさんの署名押印もしっかりとあったので、こちらの負け筋なのです。



でも、おばあさんは長年住んできた家を失うわけで、当然納得がいかない。立派な木造のお家で庭もあっていつも綺麗にされていました。



そこで、私は徳之島出張がある度に、できるだけおばあさんのところに通い、時には用意されていたご飯を一緒に食べながら裁判の経過を報告したり話をしていきました」



そうして長年の裁判が終わるころには、女性は落ち着いて引越しをしたという。



「当事者間には、それぞれ自分にとっての『真実』があって、それを証拠だけで法的に評価していくとどうしてもズレが出てきます。



法曹の端くれとしては、当事者としっかりコミュニケーションをとって、そのズレをどうにか理解してもらい、穏やかな解決を目指しました」





●3割司法、残り7割が担うトラブル解決

司法過疎地域では、住民のトラブルを法曹が解決するのではなく、土地の「有力者」が仲介することが少なくない。



「よく司法過疎地についてお話するときに、2割司法、3割司法という言葉を用います。それは本来、法的に解決できる問題を2割か3割しか司法が担っていないという意味です。



残りの7割は、一つ目は行政による解決、二つ目はアウトロー(暴力団など)による解決、三つ目は地域の有力者による解決、残りは泣き寝入りです。奄美大島も例外ではありませんでした」



では、残り7割の人たちも司法にアクセスしてもらうにはどうしたらよいのか。鈴木弁護士は、こう語る。



「今まで、その地域には、司法による解決手段がほぼなかったわけで、司法による解決をしないからといって非難することはできません。島人は、司法を使ったこともないし、そもそも使える環境でもなかったわけです。



たとえ弁護士が赴任してきたとしても、司法による解決が果たして優れているのか、わからないじゃないですか。最初は私も浅はかで、なぜ島人は弁護士に相談しないのだろうというスタンスでした。



でも、島人たちからすれば、地元の有力者に解決してもらったほうがお金もかからないし、なんとなく説得力もあるんです」





●裁判を起こすだけが解決ではない

実際、地元で解決しようとしていた事件があった。その年の仕事始めの日、飛び込みで相談にきた男性がいた。東京在住だが、男性の父親が奄美群島の一つ、加計呂麻(かけろま)島出身だという。



男性は父親から相続した土地があるため、正月休みに加計呂麻島へ様子を見に行ってきた帰りだった。男性の主張はこうだった。



相続した土地を見にいったら、地元のAさんという男性が、無断で野菜を植えている。これは不法占有ではないのか――。



男性はもう東京に戻らなければならないと言って、鈴木弁護士に依頼した。



「最初は、Aさんに対して不法占有は明らかなので、明け渡しを求めるという強い口調で相手方に通知しました。そうしたら、事務所にAさんから電話がかかってきました。かなりご立腹な様子で、あんた現場を見に来てないだろと言うんです。



たしかにそうだなと思って、事務所から車とフェリーで2時間かけて加計呂麻島までいくことにしました」



加計呂麻島で待っていたのは、屈強な男性2人だった。1人がAさん、もう1人は地元の区長さんで、住民のトラブルを解決している人だという。



Aさんたちはこう説明した。



Aさんは男性の父親に土地の世話を頼まれていた。土地は集落の真ん中にあり、放置すれば土地に雑草が生えて、山からハブがやってくる。とても危険なので、自分たちが管理してハブが出ないようにしている。



「たしかに男性のお父さんから『頼む』と言われていたようなのですが、口約束で書面はありません。一方で、裁判を起こしたとしてもお金も時間もかかるし、そのまま放置したままでは地元の人たちが困ります」



鈴木弁護士は、依頼者とAさんたち地元の人の間に立ち、今度は口約束ではなく、地元で土地の世話をしてくれる依頼者の親族に、土地を改めて畑として使用してもらうようにかけあい、使用賃借契約を結んで解決した。依頼者もAさんたちシマの人も安心したという。



「たとえば都会では、単純に裁判に勝つか負けるかの解決になるのかもしれませんが、そういうやり方だけでは、こうした小さい島では意味がないと思いました。でも、当事者だけに任せていると、また口約束でトラブルの原因になりますので、弁護士が間に入って書面化していくというような解決があると実感しました」





●仲間とともに法律事務所を立ち上げ

鈴木弁護士は2011年から5年間、奄美大島のひまわり基金法律事務所で所長として働いたが、上限6年の任期が迫っていた。



「任期後にどうするかというのは、弁護士としての大きな岐路で、一つは後任に引き継ぎ自分は都会に帰る、もう一つはそこで独立をするという道があります。



私は独立する覚悟がありませんでした。一方で、司法過疎地でのやりがいや、奄美に対する恩義も感じていたので、また都会に戻って弁護士をやるのもピンと来なかったんですね」



悩んでいたとき、出身事務所の先輩弁護士に相談した。かつて岩手県でひまわり基金法律事務所で働いていた弁護士で、一緒に仲間とともに司法過疎地をまたがる弁護士法人を立ち上げることになった。



「ひまわり基金の制度では、常に弁護士が変わるので、キャリアが断続的になってしまうことが多いです。そのノウハウやマインドもなかなか継承されづらいという限界も感じていました。



その限界を乗り越える仕組みとして弁護士法人を作ったらどうだろう。司法過疎地の共通の課題もありますから、支え合いながら一緒に解決できないかと考えました」



2020年からは、沖縄本島に浦添事務所を開設。沖縄と奄美大島と行き来しながら、仕事をしている。ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大と同時期になってしまったが、オンラインで相談会を開くなど、新しい挑戦もしている。



「岩手県にある久慈事務所の相談が多くなってきているので、それを助けるための浦添からオンラインでの相談に対応をしています。また、離島の方ともオンライン相談を実施するようになりました。



これまで、相談や打ち合わせは顔を合わせてやるものだと思っていましたが、必要に迫られてオンライン相談をやってみたら便利で、ちょっとした文明開花が訪れたみたいでした。ただ、最後はやはり顔と顔の関係なので、オンラインはあくまでも補助として、できるだけ現地に赴きたいと思っています」



いま、鈴木弁護士が願っているのは、若い弁護士たちが司法過疎地に興味をもち、赴任地で活躍してくれることだという。



「若人がエネルギーと新しい知識と情報を持って、司法過疎地に赴任すると、本当に良い仕事をしてくれます。私たちがもう諦めていた問題も、元気な彼らが解決してしまうこともあります。これからの地域のためにも、志のある方に来ていただきたいなと思っています」





【鈴木穂人弁護士略歴】
1977年、京都市生まれ。2001年、立命館大学政策科学部卒業。派遣社員・フリーター・議員秘書等を経て、2008年、京都産業大学法科大学院修了。2009年、弁護士登録。桜丘法律事務所に入所。2011年に奄美大島の末広町法律事務所(ひまわり基金法律事務所)に2代目所長弁護士として赴任。2016年、「弁護士法人空と海 そらうみ法律事務所」を開設。2020年にそらうみ法律事務所浦添事務所を開設。