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「証拠ゼロ」から独力で逆転 職場のパワハラ、7年かけて50万円勝ち取る 非正規労働者の執念

2022年03月20日 09:01  弁護士ドットコム

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ハラスメントは人の尊厳を傷つける。それゆえ、逃げることに精いっぱいで、手もとに証拠がないことも珍しくない。しかし、録音データなどがなくても、泣き寝入りしないで済むことがある。


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西日本に住む三浦アキ子さん(仮名・50代)は、勤務先の病院でパワハラ被害にあい、退職を余儀なくされた。証拠は乏しかったが、独力で約7年間戦い、病院側に50万円を支払わせた。利用したのは「調停」という手続きだ。



「厳格な証拠が必要な裁判はあきらめ、数年かけて相手方との話し合いを重ね、間接証拠になりうる発言を集めました」



証拠ほぼゼロの状況から、どのように逆転したのか。「執念の7年間」について聞いた。



●病院の管理体制に仰天

三浦さんは10年ほど前、ハローワークを通じて、ある公立病院に有期の事務職として採用された。「代行入力」といって、パソコンが苦手な院長(当時)に代わり、患者への投薬や検査などの情報・指示をコンピュータに打ち込む仕事だ。



しかし、採用直後、所属する科の看護師から思わぬ要求を突き付けられた。



「看護助手(看護補助者)を求めていたのに、事務の私が来たせいで人員補充がなくなった。入力の仕事を抑えて、看護の仕事も手伝ってもらう、と言われました」



三浦さんには病院事務の経験はあったが、看護はしたことがない。看護補助に資格はいらないとはいえ、求人票にも一切書いていなかった業務に当惑した。



しかし、相談した上長からは衝撃的な答えが返ってくる。



「看護師の機嫌を悪くしたくないから、言われた通りにしてくれと。看護師は結束が強く、不服があるとまとまって辞職をほのめかすので、病院内での立場が強いんです」



●院長から厳しい叱責、看護師からのいじめ

こうして三浦さんは看護師の手伝いもすることになった。しかし、新たな問題が生じる。上長が三浦さんの新しい業務のことを、院長に伝えていなかったのだ。



「院長からすると、私が本来業務そっちのけで自発的に患者対応をしているように見えたみたいで…。性格に波があり、周囲から恐れられている人だったのですが、よく怒鳴られました」



看護補助の仕事自体は決して難しくはなかったという。しかし、院長が口頭で入力指示をしている間も、電話対応や患者から呼びかけられるなどの仕事が舞い込んでくる。



にもかかわらず、院長はお構いなしに指示を続け、聞き返そうものなら怒鳴り声をあげる始末。それが意地悪だったのか、パソコン作業への無理解から来るものだったのかは判然としないが、三浦さんの仕事の難易度は極めて高いものになっていた。



度重なる怒鳴り声やミスの危険性に耐えきれなくなった三浦さんは、再び上長に相談。補助業務をやらせた看護師たちが注意を受けることになったが、それはかえって火に油を注いだ。「チクった」ことを根に持たれ、皮肉を言われたり、事務机の椅子を隠されたりと、いじめがはじまったからだ。



もはや病院内に三浦さんの居場所はなかった。その後、配置転換になったものの、病院側からの指示があったのか、異動先の同僚から「辞めたほうが良い」と何度も声をかけられるようになったという。



●ハローワークのファインプレー

三浦さんは契約期間が残っていたのに、2年目の途中で退職。このときは安心する気持ちが大きかったという。病院との対決を意識するようになったのは、退職後の処理でハローワークをおとずれたときだった。



「お決まりの質問なんでしょうが、担当の人から『退職は自己都合でしたか』と聞かれたんです。はっとして、経緯を話しました。そうしたら、『異議申し立てをしましょう』と言ってくれたんです。目から鱗でした」



ハローワークからの照会に対し、病院も素直に回答したようで、異議申し立ては通り、三浦さんの失業給付は延長された。



環境の異常さを再認識した三浦さんは、病院を訴えることを決意した。しかし、弁護士事務所を4~5軒まわったが、引き受けてくれるところはなかった。パワハラの証拠が乏しかったからだ。







●行政を通じて、発言を引き出す

ただ、自治体に相談してみてはどうかとアドバイスをくれた弁護士もいた。病院の管理組合のトップが市長だったからだ。



市にかけあってみたところ、退職から2年ほどして、病院側と話し合いの機会を持つことができた。しかし、病院側は一銭も払わないといい、交渉は決裂した。



そこで今度は県の人事委員会であっせんの手続きを利用。それぞれが県の担当者からの聞き取りを受け、結果が文書にまとめられた。この段階で退職から5年ほどが経っていた。



三浦さんはそれらを証拠として、簡易裁判所に「民事調停」を申し立てた。裁判と違い、裁判官と調停委員を間に入れて、話し合いで妥協点を探るという手続きだ。



調停を選んだのは、「証拠が少なく、年数もたっている。弁護士にも断わられたので裁判には向かないと思っていた」からだという。



法律を学んだことはなかったが、ネットにある文例をみながら、独力で書面も書いた。意識したのは、できる限り感情を抑えること。裁判所が読んでもわかりやすいよう、主観を極力省き、客観的な記述を心掛けたという。



●「しゃべらせればどこかで人間性を露呈する」

こうした努力が実り、「一定の苦痛が推認できる」として、病院が50万円を支払うという内容の「調停に代わる決定(通称・17条決定)」が示された。調停は原則話し合いだが、裁判所が解決内容を決定することもある。



勝利の根拠となったのは、県などに対する病院の説明の中に、矛盾する部分が数多くみられたことだという。



「いじめをする人間は、しゃべらせればどこかで人間性を露呈してしまうものです。病院側は異議を申し立てなかったので、裁判にはなりませんでした。調停と違って、裁判は公開ですし、申請すれば第三者も証拠を閲覧できる。それが嫌だったのかも」



途中、家族の介護もあったため、三浦さんの戦いは約7年にも及んだ。長い戦いを振り返り、三浦さんはこう語る。



「50万円という金額は大きくありませんが、『一銭も払うつもりはない』と言い切った病院にお金を払わせることができて良かったです」



パワハラは手もとの証拠が十分でないことも多く、仮に勝てたとしても、重大な被害がなければ賠償金は少額になりやすい。案件によっては、弁護士に受任してもらえず、泣き寝入りということも珍しくない。



三浦さんの場合も、経済的な合理性を優先すれば、戦わないということも考えられただろう。しかし、パワハラが人の尊厳を傷つけるからこそ、「お金よりも大切なもの」を求めた執念が、わずかな可能性から勝利を手繰り寄せたのだった。