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「変わらない」ことでゲームの常識を「変える」。フロムが『エルデンリング』で貫いた、死にゲーに対する理念

2022年03月13日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『ELDEN RING』(C)BANDAI NAMCO Entertainment Inc./(C)2022 FromSoftware,Inc.

 発売から1週間以上が経過しても未だに話題が尽きる様子を見せない『エルデンリング』。


 『デモンズソウル』から約12年続いた人気シリーズ「ソウルシリーズ」の遺伝子を受け継いだ本作は、世界各国に再び「死にゲー」旋風を巻き起こした。現にイギリスでは記録的な初週売上を達成し、Twitterのトレンドをみても、作品関連のワードが頻出し続ける状況にある。


【画像】死にゲーの歴史をさらに更新した、『エルデンリング』の圧倒的なビジュアル


 だが「死にゲー」はなにも、本作の開発会社であるフロム・ソフトウェアによる専売特許というわけではない。そもそも「死にゲー」という言葉はゲームジャンルではなく、ユーザーコミュニティによって作られた俗語であり、「度重なる“ゲームオーバー”を通じて試行錯誤を繰り返し、攻略を行っていくゲーム」「エンディングに到達するまで何度もゲームオーバーによるプレイ中断を経験するようにデザインされた作品」全般を指す言葉である。よって「高難易度」=「死にゲー」ではなく、数あるゲームデザインのうち、いち形態を指すことに注意してほしい。ゲームオーバーになる頻度が高い理由として高難易度であることが結果として多い、というだけである。


 たとえば『月姫 -A piece of blue glass moon-』『Fate/stay night』はテキストを読み進めていくゲームであり、攻略難易度は決して高くないが、プレイヤーの選択によってゲームオーバーを幾度となく経験することになるため、ある意味「死にゲー」である。オープンワールドという仕組みをゲーマー外の万人に広める契機となった傑作『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』もまたゲームオーバーになりやすく、「死にゲー」とすることができる。


 さらに言えば、「死にゲー」とは育成観察ゲームやアドベンチャーゲームといった、ゲームオーバーが存在しない多様な表現形態を持った作品、プレイ中のストレス軽減のためゲームオーバーになりづらい作品、挑戦ではなく娯楽としての側面を強化した作品が多数登場してきたことを通じ、逆説的に生まれた言葉であるということにも注意してほしい。コンピュターゲームの登場にはいろいろなルーツが存在するが、そのひとつとしてチェスなど「対戦型ボードゲームを1人でも遊びたい」というものがある。つまり、コンピューターゲームは「制作者が用意した対戦相手との勝ち負け」や「制作者に対する挑戦」をエッセンスとして内包していたものであった。制作者に勝利すれば見事ゲームクリアに至り、敗北はゲームオーバーという二択。その性質が多様性を通じ薄まった結果、生まれたのが「死にゲー」という言葉なのだ。


 ゆえに、上記のエッセンスが濃い『スペランカー』や『魔界村』といった、死にゲーという言葉が存在していなかった時代のゲームも「死にゲー」になってしまう。元になった『ローグ』が死にゲーに該当するため、その遺伝子を色濃く引き継ぐ「ローグライク」作品もまた「死にゲー」であることが多い。「死にゲー」とはある意味「古典主義」を差す言葉であると見ることもできるのである。


 つまり「死にゲーだから」人気作品になるというわけではない。そもそも「死にゲー」はゲームとして昔は普通の形態だったからだ。ではなぜ、「ソウルシリーズ」が高い人気を長年維持することに成功しているのか。それは作品に一貫した理念が込められているからだ。ユーザーに対して提供したい体験が何年ものあいだまったくブレておらず、それを提供するために何をすればよいのかを何年も試行錯誤することができているから。「死にゲー」であることに誇りを持ち、その姿勢を一切曲げないからだと筆者は考えている。死にゲーの醍醐味といえば、度重なるゲームオーバー=敗北を乗り越えて、製作者が用意した課題や、物語に対し勝利した瞬間に得られる快感であり、多くの場合はそれを具体的なゲーム内アイテムの報酬や、クリア時の豪華な演出を通じて表現している。


 一方で、ゲームオーバーによりプレイが中断し続けるデザインを採用しているため、攻略に詰まった際にユーザーのモチベーションが低下しやすく、なかにはクリアまで至らないユーザーが発生してしまうというリスクが存在している。快感の中身をゲームオーバーの存在に依存している都合上、プレイの中断そのものを取り除くわけにもいかない。そこで「死にゲー」たちはさまざまな進化の方向性を模索してきた。ハードウェアの発展に合わせ、中断時間を短くすること。中断時間に攻略のヒントを与えること。ゲームオーバーという状態を「物語における1つの結末」と解釈することで、ゲームオーバー自体にインセンティブを付与すること。なかでもゲームオーバーの度に体験が変化するようデザインされ、プレイヤーのリフレッシュと試行錯誤の継続を同時に行う「ローグライク」作品群は有名である。


 では「ソウルシリーズ」はどうしたのかと言えば、「探索とボス戦」という強みに合わせ、経験値ロスト&回収のシステムと、非同期型マルチプレイ、RPG要素を導入したのだった。「ソウルシリーズ」では初作である『デモンズソウル』のころより、ゲームオーバーになると、レベルアップに必要な経験値を、アイテムとしてゲームオーバー地点に落としてしまう。プレイヤーはそれを回収しなくてはならず、連続でゲームオーバーになると、落とした経験値は永遠に失われてしまう。ゆえに、プレイヤーは諦める前にゲームを継続プレイせざるを得ない。これは強みと非常に噛み合った仕様であり、経験値を回収するためにダンジョン内をうろついていると、新たな攻略ルートの開拓や、新たな報酬を入手することになる。


 単なるミスからのリカバリーやモチベーション維持に留まらない体験を提供することができており、『Hollow Knight』をはじめ、ダンジョン探索を体験の旨とする数多くの作品に継承されたシステムでもある。ほかプレイヤーの死に様やプレイ状況、メッセージを提示するマルチプレイ要素は、挑戦を阻害しない程度に攻略のヒントとなるほか、孤独な旅路を通じて疲弊した心を癒やしてくれる。ステータスと装備によって成立するRPG要素は、1つの課題に対して、プレイヤーごとに異なる解法を提供した。多様な解法はゲームのリプレイ性を高めるだけでなく、互いの解法を見せ合うことを通じ、プレイヤー間の交流を育んだ。特徴的なストーリーテリングの手法も合わさって、口コミが口コミを呼び、現在の人気に繋がっている。


 そして強みである「探索とボス戦」含め、これらの仕様は『エルデンリング』発売までの約12年間、シリーズ作品を重ねていくなかでまったくと言っていいほど大枠が変わっていない。ゲームは体験を提供する商品であるため、斬新なものや、時代を反映した内容を求められることが常である。そんななか、「またこれか」とユーザーに言わせることなく、古典主義的に自らの表現したいことを貫き通す、まるで求道者のような制作チームの姿勢には感服するばかりである。とはいえ、これは現状に甘えているということを意味しているわけではない。『デモンズソウル』から『ダークソウル』への進化や、RPG要素を拡張した『ダークソウル2』、よりゲームスピードを向上させた『ブラットボーン』の登場、そして原点回帰とRPG要素のさらなる拡張を図った『ダークソウル3』の発売と、ゲームを理念に対するひとつの表現方法と捉え、着実なアップデートを繰り返し続けている。そして『エルデンリング』もまた、フロム・ソフトウェアがイデアを描写するために用意した現時点での最適な手段である。


 すでにゲーマーコミュニティ内で嵐にも似た旋風を巻き起こしている『エルデンリング』ではあるが、なかでもよく話題に上がるのは本作の新要素である「オープンフィールド」と制作チームがこれまでに積み上げてきた強み「探索とボス戦」の親和性の高さだ。「ソウルシリーズ」の時点では、ダンジョンを連続して攻略していくという、「入り口から出口へ向かう」ゲームデザインの都合上、「探索」という点において自由度が制限されていた。「ボス戦」という点においても、クリアできなければゲーム進行がストップしてしまう危険性があった。


 だが、本作はオープンフィールドの導入によって、プレイヤー自らがゲームから与えられる課題を解く順番や挑むタイミングをコントロールできる。疲れた際の気分転換や長期的な鍛錬が自然な形で成立し、なにより自由度が高まったぶん「ゲームオーバーになると経験値を落とすシステム」との相性が抜群に良い。まるでメトロイドヴァニアを立体化したようなそのデザインは、これまでの表現がまるで不十分であったかのように、シリーズが抱えていた欠点を打ち消すことに成功している。課題に挑戦するタイミングをコントロールできるようにしたという点から、「死にゲー」の新たな食べ方を提供したと言ってもいいだろう。


 また、本作は「オープンワールド」の系譜にある作品としても注目を集めている。オープンワールドやそれに似たシステムを採用したゲームにおいてよく問題になるのは、プレイアブルキャラクターの動かし方だ。その多くはクエストの受注と解決という手段を採用しており、その軌跡は点と点を結ぶ線を描く。「お使い」とも表現されるこの形態は、せっかく用意した広大なフィールドを活かしきれていないとしばしば評される。この問題を解決した著名作の1つといえば『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』だろう。この作品はすべてのフィールドを移動可能にし、アクションの方向性が異なる選択肢を逐次豊富に提示し続ける「オープンエアー」という開発コンセプトを導入している。たとえば目的地へのルート構築ひとつとっても、山を登るか、戦闘をこなすか、泳ぐか、ステルスするかという選択肢を常にプレイヤーの視界に入れ、ゲームの進行と同時に絶えず選択を問うていく。つまりキャラクターをプレイヤーの意思で常に動かし続けさせるためのデザイン方式である。


 『エルデンリング』はこの選択肢の中身を「大量のワンオフアイテム」「大量のダンジョン」「大量のボス戦」に置き換えることでキャラクターを縦横無尽に動かす。少しフィールドを走れば限定品や大小さまざまなダンジョン、経験値をたくさん貰えるボス戦が待っている。ボス戦で詰まったらダンジョンを探して鍛錬を重ね、ダンジョンで息切れしたらフィールドを歩き回ってアイテムを収集し自己強化。他のクリアできそうなダンジョンを探してもいい。準備が整ったら再びダンジョンへ向かいボスを倒す。「探索とボス戦」という元来持っている強みを活かし、このサイクルを果てしなく続けていくのだ。


 およそ12年間「変わらない」ことで、死にゲーとしてもオープンワールド系ゲームとしても常識を「変えた」フロム・ソフトウェアと、その矛である『エルデンリング』。涓滴岩を穿つとはよく言ったものだが、初志貫徹によって磨かれたその切っ先は、まさしく無双の力を誇る。その性質ゆえ誰にでも扱える代物ではないが、コンピューターゲームの歴史に消えぬ痕跡を刻みつけることになるだろう。(Takayuki Sawahata)