「結婚しないの?」
「彼氏(もしくは彼女)いないの?」
何気ない会話の中でかけられる、こうした言葉。
ほんの数年前までは当たり前のように受け止めて、やんわり笑って誤魔化してきたけれど、今では堂々と言える。私は独身だ。そしてこれからもひとりで生きていくつもりだ、と。
SNSやWEBを通し、自分が想像するよりも、世の中にはいろんな人がいるとわかったことも大きい。そしてその思いをより強くしてくれたのが現在放送中のNHKドラマ『恋せぬふたり』だ。
【新しい家族のかたちを描く『恋せぬふたり』】
毎週月曜夜10時45分からNHK総合で放送中の『恋せぬふたり』。
他者に恋愛感情を抱かない「アロマンティック」と、他者に性的に惹かれない「アセクシュアル」を併せ持つ、高橋(高橋一生さん)と咲子(岸井ゆきのさん)が主人公だ。
本作ではそんなふたりが、恋人でもなく、友人でもなく、 “共に生きる家族” になろうとしていくさまが描かれる。
恋も結婚もしない。だけど、これから先ずっと1人で生きてゆくのは寂しいと感じたからだ。
けれど、道はなかなか険しい。
周囲から理解されず、無神経な言葉が矢のように降り注ぎ傷つけられていく。なぜなら彼らは “普通じゃない” から。
【ドラマが描くのは、普通の人たち】
本当に彼らは普通じゃないのだろうか?
このドラマでは、高橋と咲子を、普通の人として描いている。日々のささやかな幸せを感じながら、目の前にあることをこなし生活しているふたりは、決して “特別な人” ではない。
だから同作を見ていると、「多数決で勝ち得た今の常識」という氷山がゆっくりと溶けていくようにも感じるのだ。
生き方の多様性が、社会や人々の心に、水のように浸透していくことを願っているようにも思える。
【普通とは? を考えなおすきっかっけに】
独身主義ゆえに “普通じゃない” とカテゴライズされたことがある私は、ふたりに自分を重ねながら改めて思った。みんなと違っていても、変わっていると言われても、それはひとつの生き方でしかない。特別ではない。私含めてみんな等しく “普通の人” なのだと。
自分が知らない世界や価値観で生きている人を理解することは難しい。そして “理解しにくい存在” は、身近に感じられないがゆえに、透明化されやすい。
『恋せぬふたり』は、そうした “いなかったことにされた人” を可視化したドラマであり、普通にメスを入れたドラマである。
ドラマをきっかけに自分も改めて考え続けていきたい、普通からはじき出されてしまったら、「普通じゃない人」になるのだろうか?
普通ってなんだろうか。
イラスト:稲葉翔子
参照元:NHKドラマ
執筆:田端あんじ (c)Pouch