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リアルな戦争の様子がSNSで伝わってくる。息苦しくて何も手につかない

2022年02月25日 20:20  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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この数日、仕事も何もまったく手に付かない。ニュースに加えSNSからも伝わってくるウクライナ国民の悲壮感、そして命が失われている現場の映像に打ちのめされているからだ。ロシア語やウクライナ語が理解できなくても、翻訳を加えて転載しているアカウントも。Youtubeなどではライブ映像も含めて現地の今をスマホでも簡単に見ることができる。それが、今まさに起こっている「ロシア・ウクライナ戦争」の姿である。(文:昼間たかし)

遠い存在だったはずが……

インターネットが普及するまで、自分や知人が巻き込まれていない限り、戦場は遠い存在だった。生々しい情報は現地に乗り込んだ報道機関や戦場カメラマンの僅かな情報によってしか、知ることができなかった。古くは日中戦争でもラジオで戦場の実況中継が行われたことはあったが、リアルタイムで入ってくる情報は限られていた。

変化が起こったのは1990年の湾岸戦争からであろう。この時にはテレビ報道が過熱し、まさに空爆を受けているバグダードからの中継が毎日のように行われ注目を集めた。それから既に30年以上を過ぎ、戦場からもたらされる情報は大きく変化している。SNSの普及で、まったく加工のない生の情報や真偽不明の情報がネット上にあふれるようになったのだ。

2010年から始まった、いわゆる「アラブの春」の際にもSNSなどを通じて現地の情報がダイレクトに入るようになり、その過程で起きたシリア内戦も多数の現地の映像がインターネット上で流布されている。

「戦争」が頭の中に飛び込んでくる。

そして、現在「ロシア・ウクライナ戦争」は、その注目度の高さもあって無数の情報が目に飛び込んでくる。テレビをつけたり、ブラウザを開けばニュースが飛び込んでくるし、Twitterでは誰かが関連映像をリツイートしていたりする。そのたびに、いちいち戦争に心をかき乱されるのだ。

鳴り響く空襲警報。覚悟を語る市民。遠くで起きる爆発。避難する市民。泣いて別れる親子……。飛び込んでいる現地の声や映像に息苦しくなるのは、いまにも戦闘が始まりそうな現地の張り詰めた緊迫感や、実際に起きている戦闘の激しさがそこから直に伝わってくるからだ。

戦場にいれば、何もわからないまま死ぬ可能性もある。その映像に登場する人たちの命が、次の瞬間には失われているかもしれない。戦場から遠く離れていても、現地の映像を見れば誰もが「死」を意識せざるを得ない。

整理されていない膨大な情報の洪水が流れ込んでくるのも、それを加速させている。現地にいる日本人の中には、不安の声をSNSに書き綴っている人もいれば、現地の状況をYouTubeで冷静に報告している人もいる。

冷静でいられるのか?

こうした情報の中には、当然ロシアやウクライナ、双方のプロパガンダや欺瞞情報も混じっているはずだ。そうした中から冷静に事実はなにかを精査するのが、インターネット時代の個人のメディアに対するスタンス……というのはわかっていても、苦しい。いや、どちらの立場がどうこうとか、情報のウソ・ホント以前に、そんな映像を見続けて平気でいられるわけもないのである。

今もTwitterを開いたら、フォローしている人がミサイルが着弾してどっかの施設が爆発している映像をリツイートしていたけれど、あれだけの爆発なら、そこでは実際に人が死んでいてもおかしくない。そんなのをどんどん見て「ほーん」と冷静でいれるほうが、どうかしていると思う。だいたい人が死にまくっているであろう映像が気軽にクリックひとつで伝播していくのは、いったいなんだろう。

このリアルな戦争の緊張感と、安全なところでそれを眺める人たちの他人事感はいったい何なんだろう。世界のどこにいても大量の情報がリアルタイムで共有される時代になったことが、あまりに非情なこの世界の断絶をいっそう鮮明に描き出してしまったのかもしれない。