2022年02月23日 08:21 弁護士ドットコム
ほぼすべての国が夫婦別姓を選べる中で、かたくなに「夫婦同姓」を守り続ける日本。法務省の2017年の調査によると、「選択的夫婦別姓」への法改正に賛成する人の割合は42.5%と、反対の29.3%を大きく上回り、職場で旧姓を使う女性たちが、不便を訴える声も強まっている。
【関連記事:「父から犯されているんですけど」妻の連れ子に性的暴行、父親の身勝手な動機とは】
しかし制度導入が検討されるたびに、一部議員の激しい反発などで頓挫し、昨年は最高裁で、夫婦同姓を定めた民法などの規定を合憲とする判断が下された。選択的夫婦別姓が実現しないのはなぜか。
妻の姓を選択した男性としての見方をまとめた「日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ」(PHP新書)の著者である中井治郎氏に聞いた。(ライター・有馬知子)
ーーなぜ妻の姓を選んだのでしょうか。
結婚前、現在の妻が「うちは3人女だから、私が結婚したら名字はなくなっちゃうんだよね」と話したことがきっかけです。それを聞いて、妻も彼女の両親も「女性は夫の戸籍に入るもの」と、最初からあきらめているという事実の理不尽さに、カチンときたんです。一方、僕には兄がおり、家のことは任せられるので「僕が名字を変えようか」と申し出ました。
しかし実際に妻の姓を名乗ると、仕事上の書名と納税手続きなどに使う戸籍名が違うことについて、問い合わせが相次ぐなど想像以上に大変でした。
男性にとって、結婚改姓はスルーされがちなテーマです。男の本音や実感を語ることで、男性にも「他人事ではない」という認識を持ってもらいたいと考え、昨年末、体験を本にまとめました。
ーー家族や親族、友人など周囲の反応はいかがでしたか。
意外にも男性の親族は、姓を変えることがピンとこないのか強い反対もなく、「変な奴だな」と、不思議そうな顔をするくらいでした。友人や仕事の知り合いなど、やや離れた関係性の人たちは「奥さんも喜ぶでしょう」と好意的に受け止めてくれました。
意外だったのは、女性の近しい親族が「もったいない」とネガティブに反応したことです。
「あなたは男に生まれたのに、なぜ、わざわざ苦労をする道を選ぶのか」というのです。自分たちが姓を変えて苦労をした実感もあるのでしょう。中でも息子を持つ女性たちからは「もし息子が違う姓を名乗ることになったら、すごく寂しい」といわれたことが印象的でした。
ーー母親たちはなぜ「寂しさ」を感じるのでしょう。
彼女たちの寂しさは、「家名」「イエ」「先祖」を守るという意識ではなく、もっとパーソナルな感情から生まれていると思います。
母親たちは、高度成長期に一般的になった「サラリーマンと専業主婦」という家族モデルを生きてきて、家族を生きる「よすが」にせざるを得ませんでした。ずっと同じ姓でいてくれるはずの息子が姓を変えたら、生きていく上での大きな「よりどころ」までもが失われるように感じたのではないでしょうか。母親たちの寂しさは、裏返せば「最後に頼れるのは家族しかいない」という不安の表れです。
しかし、これは女性の問題だけではないのかもしれません。コミュニティのつながりの弱さ、セーフティネットに対する不信感などが、この国の人々の「姓」へのこだわりを強めている、とも言えるのではないでしょうか。
ーー男性にとって、自分の「姓」とは、どのような意味を持つのでしょう。
日本社会において、男性の多くは「集団の代表者であり、メンバーを庇護している」ことを、アイデンティティの柱としてきました。家族が自分の姓を名乗ることは、ある意味で家長として家族を庇護する立場を示すという「男らしさ」の象徴です。
「サラリーマン・専業主婦モデル」において、家族を守るとは主に「稼ぐ」ことを意味します。実際、専業主夫の経験者からは、しばしば「稼がない自分」を受け入れるのが、精神的に難しかったと聞きます。男性の多くは「家族を守る=稼ぐ」以外に存在意義を確認できず、それができない時、自己評価が大きく損なわれてしまうのです。
結婚カップルの96%が夫の姓を選択するのは、男性がそう簡単には「男として家族を守る」という役割からおりられない、つまり「男らしさをおりられない」社会の空気を反映していると言えます。
ーー男性が「男らしさをおりる」ために必要なことは何でしょうか。
男性たちは「弱い自分」を、社会が受け入れてくれると思えずにいます。「勝ち組」「負け組」でくくる社会の在りようや、「弱い立場」の女性たちが、昇給・昇進などで不利益を被っている様子を、目の当たりにしているからです。男たちは社会からはじき出されることへの恐怖心のため、男らしさに依存せざるを得ないのです。
「男らしさをおりる」ためには下にクッションが必要でしょう。友人や家族、社会に受け止めてもらえるという安心感を醸成することが課題です。たとえば職場の男女格差が改善されて女性の「稼ぐ力」が上がれば、社会が男性に「おりる」ことを認める方向に向かうかもしれません。
しかし実際には、女性の働き方も変わり、女性もまた「稼げなくてはいけない」、「強くなくてはいけない」というプレッシャーを感じながら生きる社会になりつつあるように思います。そのような意味では「強くない自分」の居場所をつくる、つまり自分たちが「傷つく権利」をこの社会に認めさせるということは、男女双方の課題といえるかもしれません。
ーー近年、選択的夫婦別姓の議論が活発化した背景を、どのように分析しますか。
かつて選択的夫婦別姓は、イエ制度の解体やフェミニズムの文脈から語られていました。それが近年、職場で同姓制度の不便さを訴える女性が急増したことで問題意識を持つ人が増え、議論が活発化しました。働く女性の夫たち、改姓による事務コストを抑えたい企業経営者ら、議論と無縁でいられない人が増えたことは大きいと思います。
ただ選択的夫婦別姓に反対する人は、戸籍や夫婦同姓の制度を守るべき伝統であると考えている人が多いです。寺社や古くから伝わるお祭りのようにコストがかかっても守るべき文化と考えているのです。
一方、賛成派は時代に合わなくなった制度とみなし、不要だと主張します。伝統的な文化なのか、実用的な制度なのか。そのような両者の認識の違いが議論をかみ合わなくしていると感じます。
ーー選択的夫婦別姓の導入がとん挫し続けた原因は何だとお考えでしょう。
選択的夫婦別姓に反対する議員は少数派ですが、彼らは「政治生命を賭けても法案を通さない」という高い熱量で取り組み、問題を膠着させてきました。一方、賛成派議員は数でいえば多数派ですが、育児など他にも多くのイシューを抱え、最優先で選択的夫婦別姓を推し進める人はあまり多くないといわれます。賛成であったとしても、人によって熱量にグラデーションのあるテーマなのです。また国会議員となると、地元の支持者への配慮もあるようです。
また賛成派の中には、たとえば通称名で納税やパスポート取得ができるようにすることをゴールとする人がいます。また、現在はひとつの戸籍にはひとつの姓だけという「同一戸籍・同一姓」というルールがありますが、これを同一戸籍内に複数の姓を記載できるようにすることで、選択的夫婦別姓の実現を訴える運動もあります。
一方、イエ制度の象徴である戸籍制度の廃止を求める立場であれば、戸籍制度の不便を改善することによって逆に戸籍制度を温存してしまうことになるのではないかと危惧する人もいるかもしれません。このように選択的夫婦別姓に賛成といっても、目指すゴールがみんな同じというわけではないのです。そのため議論の足並みをそろえることも単純なことではありません。
ーー選択的夫婦別姓を一般の人が「自分ごと」にするには、どうすればいいでしょうか。
現時点では、これから結婚するというカップルでも、それほど真剣に話し合うことをせずに夫の姓にするカップルが多いでしょう。だから若い人たちには結婚前に、ぜひ姓をどうするか時間をかけてお互いの気持ちを話し合ってほしいですね。「改姓がどんなに大変か分かる?」「いや、ふつうは夫の姓を名乗るべきだろ」と、そこでけんかになってもいいと思います。
結果はどうあれ、ちゃんとけんかすることで改姓に伴う負担感や不満が男性たちにも見えるようになるでしょうし、そこに変化のきっかけが生まれるのではないかと思います。
【プロフィール】 中井治郎(なかい・じろう) 社会学者。1977年大阪府生まれ。龍谷大社会学部卒業、同大学院博士課程修了。現在は同大などで非常勤講師を務める。主な研究テーマは文化遺産の観光資源化など。著書に「日本の不思議な夫婦同姓」(PHP新書)、「パンクする京都」(星海社新書)など。