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『東京卍リベンジャーズ』最終章は蛇足ではない 「“オレたち”のリベンジ」に込められた意味を考察

2022年02月22日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『東京卍リベンジャーズ(26)』

※ 本稿には『東京卍リベンジャーズ』(和久井健)の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)


 2月17日、『東京卍リベンジャーズ』(和久井健)の最新刊(第26巻)が発売された。現在、同作の単行本のシリーズ累計発行部数は5000万部を突破しており、この勢いは当分続くものと思われる。


 さて、その『東京卍リベンジャーズ』、第24巻から最終章に突入しているのだが、本稿ではその展開について、あらためて考えてみたいと思う。というのは、この最終章が始まってからしばらくの間、個人的にはおもしろいと思いつつも、ある“違和感”を抱きながら読み進めていたからだ。


 その違和感をより具体的にいうならば、この最終章の物語は(言葉は悪いが)「蛇足」なのではないか、という疑問だ。たしかに、異常なまでに人気が出た作品の連載が、作者ではなく編集部の意向で無理矢理引き延ばされたという事例は、少年漫画の歴史を遡ってみればいくらでもある。むろん、それは“生もの”である連載漫画の宿命ともいえることであり、批判されるようなことではないとも思う。


 だが、たいていの引き延ばされた作品は、本来、作者が描きたかった物語の流れやテーマを見失うことになり、それが「作品」にとっていいことなのか、悪いことなのかはわからない。


 話を『東京卍リベンジャーズ』に戻せば、同作もまた、そういうかたちで――つまり、掲載誌(「週刊少年マガジン」)を背負うほどの大ヒット作に育ってしまったがために、終わるに終われない状態になっているのではないか、ということだ。


参考:【画像】『東京卍リベンジャーズ』“オレの地元が最強”ポスター(14種類)


■『東リベ』は、花垣武道と稀咲鉄太との“決着”をもって終了すべきだった?


 実際、この『東京卍リベンジャーズ』という物語は、第21巻における、主人公・花垣武道(以下・タケミチ)と稀咲鉄太との“決着”をもって、幕を閉じるのがいちばん収まりがいいのである。なぜならばその段階でタケミチは充分“成長”しており(少年漫画とは、極論をいえば“少年の成長”を描く物語のことだ)、もともと彼が成し遂げようとしていた「過去に戻ってかつての恋人・橘日向の死を回避する」という目的も達成しているからだ。また、同作の謎のひとつであった、稀咲が何度も日向を殺していた理由も明らかになっている(第183話)。


 そう、『東京卍リベンジャーズ』とは、簡単にいえば、「うだつのあがらない青年フリーターが、過去に戻り、不良集団の一員として成長しながら恋人を救う」という物語であり、だとしたら、いま最終章で描かれている「闇堕ちしたマイキー(※)を救う」というテーマは、はっきりいって、別の物語のそれだといってもいいくらいだ。


(※)タケミチが加入する不良集団「東京卍會」の初代総長・佐野万次郎の愛称。


 つまり、第21巻(厳密にいえば第22巻の中盤)以降の物語は、(繰り返しになるが)やはり蛇足なのではないだろうかというのが、少し前までの私の見解だったのだが(たとえば、いったん物語を終わらせて、新たにマイキーを救う話を「パート2」として始める、というのならまだわかる)、先ごろ発売された「週刊少年マガジン」2022年12号掲載の第242話を読んで、その考えは間違いだった(かもしれない)ということに気づいた。


※再度注意。以下、ネタバレあり。単行本未収録分の内容について触れています。(筆者)


■“リベンジャーズ”というタイトルの「複数形」が意味するものとは?


 第242話は、いま本稿を書いている時点での最新話のため、さすがに詳しい内容を記述することは避けるが、この回でタケミチはある“決意”を表明する。その場面を読めば、この漫画のタイトルが、『東京卍リベンジャーズ』という「複数形」になっていることがようやく理解できるのである。


 ちなみに、これまで読者の多くは(私もそうだが)、タイトルが複数形であるのは、タケミチの他にもタイムリーパーがいる、ということを示唆しているのだと考えていたのではないだろうか。実際、くだんのマイキーや稀咲、あるいは半間修二や千堂敦など、自身がタイムリーパーか、そうでないにしても、“何か”を知っているように見える、いわば “黒幕”的なキャラクターは、これまで何人も登場している。


 だが、前述の第242話で、タケミチは彼のもとに集まった仲間たちに向かって“ある目的”を掲げ、それを「“オレたち”のリベンジだ」といいきっているのだ。


 つまり、『東京卍リベンジャーズ』とは、「複数のタイムリーパー」のことを意味するのではなく、その場にいた、「タケミチと彼に突き動かされた人々」のことを指しているのではないだろうか(さらにいえば、これなら、「東京」はもちろん、「卍」という文字がなぜタイトルに含まれていたのかも理解できる)。


 だとすれば、決してこの最終章の展開は蛇足などではない。むしろ、作者が最初から想定していた“描かれるべき”物語だったともいえるだろう。


 そういえば、第8話(第2巻所収)で、千堂敦がタケミチに、「過去に戻って オマエが助けたいのは“アイツ”か…(中略)“究極の愛”だな」といっているのだが、この場面などは、普通なら「アイツ」ではなく、「橘(日向)」(もしくは「彼女」)というべきところだろう。しかし、主語をあえて濁していっているということは、敦が思い浮べた「アイツ」とは、日向ではなくマイキーのことだったかもしれないのである(なお、この時の敦は、明らかに“何か”を知っている)。ならば最終章の「マイキーを救う」という展開は、物語の比較的初期の段階(第2巻)で、実は明かされていたといえなくもないのだ。


 いずれにせよ、この複雑な構成の物語がどういう結末を迎えるのか、いまから楽しみである。