2022年02月20日 10:11 弁護士ドットコム
せき、くしゃみ、そしゃく音、鼻をすする音、赤ん坊の泣き声、タイピング音、ペンのノック音……。日常生活のなかで、当たり前のように聞こえてくるこれらの音に、強い拒否反応を示す人がいる。ミソフォニア(音嫌悪症)と呼ばれる人々だ。
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発症のきっかけとなる音は人によって異なるが、耳に入ることで怒りや逃避や不安など、さまざまな衝動に襲われる。音を出した人への攻撃衝動や、辛さで自殺衝動に駆られてしまう人もいるという。
ミソフォニアという言葉ができたのは2001年と比較的最近で、認知度はまだ高くなく、治療法も確立していないのが現状だ。2020年、当事者の大学生たち3名による「日本ミソフォニア協会」が発足。社会にどのような支援が求められるのか取材した。(ジャーナリスト・肥沼和之)
――皆さんの苦手な音を教えてください。
高岡稜さん(以下、高岡)「僕は小学5年生のときに発症し、高校3年生まで音に悩まされました。苦手だったのは鼻をすする音、咳払い、せきやくしゃみなど、人から出る音です。聞くと嫌悪感を覚えて、途端に集中力がなくなります。
通学の電車や授業中は、たくさんの生徒が周りにいるため、イヤホンや耳栓をつけて音から身を守っていました。学校では勉強するというより、ただ音に耐えることが多かったです」
田中さん(仮名・以下、田中)「私は小学校高学年から、高校卒業まで症状がありました。咀嚼音や鼻をすする音、麺をすする音。あとは時計の針の音、文字を書く音、ペンのカチカチという音など、繰り返される音が苦手です。耳に入ると急に不安な気持ちになり、その音だけが大きく聞こえて繰り返され、涙が出てしまうこともありました」
遠藤さん(以下、遠藤)「高校一年生のときに、授業中の先生のリップ音(パッ、ペチャペチャなど)が気になり始めてから、咀嚼音や鼻をすする音が苦手になりました。貧乏ゆすりや顔をかく仕草、ガムをかむ口の動きなど、視覚的にも気になってしまう動作があります。
音を聞いた瞬間に一気に緊張して、心拍数が上がって呼吸も荒くなり、パニック発作のようになります。音を出す人に敵対心を抱いて、苛立ちや逃げたい気持ちにもなってしまう。音が止んだ後も疲弊して、しばらく何もできなくなることもあります」
――ガラスを引っかく音などは多くの人が嫌いますが、何気ない日常の音でも症状が出てしまうのは、想像しただけで辛そうです。実生活に悪影響が出てしまったことはありますか?
遠藤「高校生のころ、両親と外食したときに、父の食べ方や咀嚼音で症状が出て、泣いてしまったんです。両親は驚いて、『お前は神経質すぎるんだよ』と言われました。それから家でも別に食事をとるようになりました。友人たちとの食事でも、苦手な音が必ず出るので、そういった場に行くのが億劫になってしまいました。
理解されづらい症状ですし、どう伝えていいかもわからない。家族には、ミソフォニアについて書かれた漫画(※)を送ったのですが、当事者ほど重くとらえていないと思います」
※漫画家の中川海二さんがツイッターで発表し、2万以上リツイートされた『知り合いがミソフォニア(音嫌悪症)という病気だった話』
高岡「僕も中学生から高校生の6年間、家族と一緒にご飯を食べたことがありません。家では自分の部屋に閉じこもって過ごしたので、隔たりができてしまいました」
田中「私は何かするときの選択肢が限られています。高校生のときは、カフェや図書館など、音が響く場所を避けていたので、行動範囲が狭まっていました。大学生になってミソフォニアを克服した後も、アルバイト選びのときに『また発症したら……』と考えて、(咀嚼音や食器・調理器具が触れる音などが発生する)飲食店は最初から止めようと」
――ミソフォニアは医学的にも明らかでない部分が多くあり、治療法も確立されていないそうですが、皆さんは病院に行きましたか? その場合、どのような診断をされたのかも教えてください。
遠藤「自分で調べた限りでは薬も治療法もなかったので、私は病院には行きませんでした。ただ、別の症状が出て精神科に行ったときに、ミソフォニアの症状があることを伝えたら、聴覚過敏と診断されて。神経を落ち着かせる薬をもらったのですが、特に変わりませんでした」
田中「ミソフォニアは脳神経にも関連していると学術論文にあったので、脳神経外科に行きました。ただ症状を伝えたら、『気にし過ぎだよ』と言われて、すごく傷つきました。その先生はミソフォニアを知らなかったと思うのですが……そもそも、何科を受診していいのかもわかりませんでした」
高岡「僕は大学受験のとき、(音が気にならないよう)個別に試験を受けさせてもらうための診断書の提出が必要だったのでメンタルクリニックに行きました。そのときにミソフォニアと診断され、学校も理解や配慮をしてくれました。ただクリニックからは、ミソフォニアに効く薬は現状ではなく、治療にもお金がかかると言われたので、通院は断念しました」
――高岡さんと田中さんは、現在はミソフォニアの症状がないとのことですが、どのような方法で克服したのですか?
田中「YouTubeで咀嚼音を聞いて、慣れさせていきました。すると耐性がついて、ほかの苦手な音も気にならなくなりました」
高岡「僕も同じ方法で、数カ月で克服できました。ただ、人によっては症状が重くなる場合もあると思うので、必ずしも推奨することはできないです」
――「日本ミソフォニア協会」を立ち上げた思いと活動内容を教えてください。
高岡「ミソフォニアで苦しんでいる人が一定数いるのに、認知度も低いし、周囲にも理解されづらいのが現状です。当事者は悩みを一人で抱えがちになっているので、相談できる場所として、またミソフォニアの理解を広めるために、2020年6月から活動を始めました。
活動内容としては、当事者同士の交流会や、寄せられる相談メールへの返事などをしています。実際、『相談できる人が周りにいないので、聞いてもらえてよかった』と言っていただけることが多くありますね」
遠藤「ミソフォニアの症状もそうですし、当事者の思いも広めていきたいです。例えば、苦手な音を聞いたときに、敵対心や嫌悪感を覚えてしまうのですが、あくまで音に対して。音を出した人は嫌いではありません。音を回避するため、距離を取ってしまうこともあるのですが、その人はまったく悪くないし、私たちも敵だと思っていない、と理解してほしいです」
――ミソフォニアの当事者とそうでない方が共存するために、どんなことが必要だと思いますか?
高岡「僕は当事者以外の皆さんに対して、音を出さないでほしいとは思っていません。場面と状況に応じて、耳栓やイヤホンをつけるなどして、自分で苦手な音を回避してきました。学校も会社も家庭も友人関係もふくめて、その行動を周りの方が理解し、許可してくれるとうれしいです」
田中「私も同じで、『この人はミソフォニアだから、音を出さないようにしよう』と、相手に気を遣わせてしまうのがすごく嫌でした。だから、自分で音をシャットダウンしていたのですが、それを受け入れてもらえる寛容な社会になればと思います」
遠藤「ミソフォニアは目に見えるケガと違って、見えない症状です。完全に共感してもらうことは難しいけれど、歩み寄ることはできると思う。耳の聞こえづらい人が補聴器をつけるように、『この人たちは、聞こえ過ぎてしまうから耳栓をしているだけなんだ』と理解してほしい」
相談をしに行っても『気にし過ぎだよ』と片付けられてしまうと、ますます誰にも言えなくなる。特にお医者さんなど、助けを求められる立場の方はなおさらです。当事者は、人に理解されづらいだろうとわかっていて、勇気を出して公表しているので、柔軟かつ寛容に受け入れてほしいです」
今回、話を聞いたのは学生たちだが、ほかの職業・立場でもミソフォニアに苦しむ人はもちろんいる。ミソフォニアはまだ認知度が低く、理解もされづらい症状だ。当事者たちの多くもその状況を把握したうえで、苦しみや葛藤を抱えながらも、周囲の人々と共存するために工夫や自己防衛をし、必死に生きている。
決して他人事でないことや、当事者たちの苦しみや思いを少しでも理解し、受け入れて配慮できる社会づくりに、一人でも多くの人が参画することの大事さを、取材を通じて改めて痛感した。
【筆者プロフィール】
肥沼和之:1980年東京都生まれ。ジャーナリスト。人物ルポや社会問題のほか、歌舞伎町や夜の酒場を舞台にしたルポルタージュなどを手掛ける。東京・新宿ゴールデン街のプチ文壇バー「月に吠える」のマスターという顔ももつ。