先日、バレンタインがあったが、そもそもバレンタインにチョコを送るのは、日本のチョコレート会社の「陰謀」である!! いやそれは大げさだが、バレンタインチョコが生まれたきっかけの一つが、国内メーカーの販促だったという点に疑いはない。
「あれは俺が始めた(アレオレ)」
世の中、だいたいメジャーになった事物や流行には「あれを仕掛けたのは俺だ(アレオレ)」と、まことしやかに語る人たちが登場する。
「バレンタインデーのチョコは俺が始めた」と主張する人物で、もっとも知られるのは、現在も大田区にあるメリーチョコレートカムパニーの社長だった原邦生である。原が『家族的経営の教え』(アートデイズ 2006年)や、様々な取材で主張するのは、1958年にまだ会社を継ぐ前の大学生だった原が伊勢丹新宿店で「バレンタインセール」という看板を掲げて1枚50円の板チョコを販売したのが、バレンタインデーのチョコレートのはじまりというものだ。
原は、これを思いついたのはパリの知人からもらった寒中見舞いに「当地ではバレンタインにチョコレートや花、カードなどを贈りあう習慣がある」と書かれていたことがきっかけだったとも語っている。
ただ、バレンタインとチョコレートを結びつけた広告は、戦前からすでにあったようだ。モロゾフによると同社は1935年2月に英字新聞『The Japan Advertiser』に、バレンタインデーとチョコを結びつけた広告を出稿していた。バレンタインデーにチョコを贈ろうという趣旨の宣伝文句が、1932年のカタログにも掲載されているという。
ただ、原にしろモロゾフにしろ、これだけで一気にバレンタインチョコ文化が全国区になったというわけではない。小笠原祐子の『OLたちの<レジスタンス>』(中公新書 1998年)や山田晴通の「「バレンタイン・チョコレート」はどこからきたのか(1)」(『東京経済大学人文自然科学論集』124)などによると、バレンタインチョコの文化は、1980年代ごろまでかけてじわじわと広まっていったようだ。
さて、バレンタインチョコと言えば、話題になるのが「義理チョコ」である。1985年2月13日付の『朝日新聞』夕刊には、すでに義理チョコの記述がある。
東京・新宿の伊勢丹に聞くと、こちらは客にOLが多いせいか、五百円程度の商品がよく出る。義理チョコ主流ということなのかもしれないが、一人が平均5、6個買ってゆく。
「お歳暮」や「お中元」文化も絶滅を危惧される中、仕事でお世話になった人たちに「ありがとう」と伝える機会は減っている。数百円?で感謝を伝える手段として「義理チョコ」は、なんだかんだと重宝されているのかもしれない。