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さくらももこ『もものかんづめ』が笑いとともに教えてくれたこと みんなが抱える負の感情の肯定

2022年02月15日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『もものかんづめ』

 漫画は読むけれど活字は苦手、という人は少なくないだろう。実は筆者もそうで、中学3年まで漫画ばかりだった。受験生だったので、活字=勉強というイメージが強かったのかもしれない。


 しかし、そんな偏った意識を破壊してくれた作品があった。さくらももこ著の『もものかんづめ』(集英社)だ。


 『もものかんづめ』との出会いで、筆者はふたつのことを学んだ。活字の面白さと、肉親への負の感情の肯定だ。


参考:【画像】『さるのこしかけ』『たいのおかしら』書影


■『ちびまる子ちゃん』と同じリズムで


 さくらももこの代表作といえば、なんといっても漫画『ちびまる子ちゃん』(集英社)だろう。筆者も「りぼん」で連載されていた『ちびまる子ちゃん』を愛読しており、笑ったり、呆れたり、目頭を熱くしたりしたものだった。


 『ちびまる子ちゃん』は、当時の少女向け雑誌では珍しいエッセイ漫画で、他の作品とは一線を隠すリズムを持っていた。わざと崩した画風だけでなく、間の取り方やコマ割りなど、とてもリズミカルに読み進めることができた。


 当然のごとく、そのリズムはエッセイにも適応された。さくらももこの記念すべきエッセイ第1作『もものかんづめ』(集英社)は、漫画のテイストをそのまま活字にした、エッセイ漫画ならぬ漫画エッセイのようなものだった。


 内容は、さくらももこが中学生以降に経験したことがメインとなっている。「ちびまる子ちゃん」を卒業した読者が、活字に移行するのに最適なのだ。筆者の活字を読むことへの抵抗は、『もものかんづめ』で変わったと断言できる。


■親族に対する赤裸々なおもい


 それだけでなく、『もものかんづめ』は自分の中にうごめく負の感情も肯定してくれた。中学生だった筆者は、祖母との関係に激しく悩んでいた。子どもだった筆者は、被害妄想を炸裂させて常に被害者のポジションをとり、ただ周囲の人を攻撃しまくっているように見える祖母に対して、嫌悪に近い感情を抱いていた。


 80年代、90年代は「家庭円満であるべき」といった風潮が強く、特に親族の年長者に対して抱いた負の感情を、正直に口にしにくい空気感があったため、祖母を大切にできない自分を責めていた。


 そんなときに救ってくれたのが、『もものかんづめ』に収録されている「メルヘン翁」だった。「メルヘン翁」は、さくらももこの実祖父が死んだ日のことを書いたもので、爺さんのことを好きでなかったことを赤裸々に明かしていた。


 少なくとも日本では、死者の言動や行動を非難するのは良くないという考えが一般的なので、連載されていた月刊情報誌「青春と読書」(集英社)に掲載されたときは、否定的な手紙もとどいたそうだ。しかし、さくらももこはあとがきに、こう綴っている。


“身内だから”とか“血がつながっているから”ということだけで愛情まで自動的に成立するかというと、まったくそんな事はない。かえって血のつながりというものが、わずらわしい事である方が多いとすら思う。
(『もものかんづめ』あとがき 五、「メルヘン翁」のことより抜粋)


 この言葉にどれだけ救われたかわからない。


■今だからこそ「まる子」が必要


 『ちびまる子ちゃん』のまる子は、さくらももこを投影したキャラクターだ。性格は、マイペースで怠け者、楽天家だ。漫画家デビューした頃からは寝る間も惜しんで制作活動をしたそうだが、それまでは母親が「情けない」と嘆くほどだったそうだ。


 そんなさくらももこが書いたエッセイは、自分の心に正直だ。正の感情も負の感情も、オブラートに包む事なく直球で綴っている。直球を、笑いという名の魔球にして読者に容赦なく投げつけるのだ。


 筆者はここ数年のSNSをみて思うことがあった。


 少し前は、誰もが憧れる素敵な生活の写真で埋め尽くされていたが、コロナ禍になると、おうち時間を充実させるクリエイティブに溢れる写真に変わった。他者を思いやる思慮深い言葉や、元気付けるポジティブな言葉も並ぶようになった。家族のありがたみを再確認するような言葉も多い。それ自体は悪い事ではないし、筆者も生活のヒントをもらったり、見ず知らずの他人の言葉に共感したり、励まされたりした。


 だが、あまりにもポジティブばかりだと、筆者が80年代90年代に抱いていた「家族円満プレッシャー」のようなものを感じてしまって、自分の中に生まれた負の感情を受け入れられずに悩んでいる人がいるかもしれない。


 『もものかんづめ』には、決して格好つけることのない、人間くささがある。笑いもある。活字の面白さもある。1冊で物足りなければ、『さるのこしかけ』と『たいのおかしら』(共に集英社)という続編もある。


 この記事を書くにあたり、筆者は改めてKindle版を購入した。31年前の作品だが、研ぎ澄まされたセンスとリズムは今読んでも健在だ。活字離れとありのままの感情を持つことに少しでも悩んでいたら、ぜひ手に取ってほしいと思う。