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『3月のライオン』島田開は読者を勇気づける 飄々と、全身全霊を将棋にかける姿勢から学べること

2022年02月14日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『3月のライオン(16)』

 ときどき自分が頑張っていることが、バカみたいに思えるときがある。


 仕事で凡ミスをしたり、真っ赤になった原稿が戻ってきたりすると、「自分は本当に何をやっているんだ」と苛立ち、普段から不足気味な自尊心は小枝のようにポキリと折れる。それでもまだここで終わらせたくない、と石にしがみつく思いで、歯を食いしばってPCに向かう。これは『3月のライオン』(白泉社)の島田開から学んだ姿勢だ。


 羽海野チカによる将棋マンガ『3月のライオン』は、2016年にTVアニメ化、2017年には実写映画化もされた、累計発行部数300万部を超える大人気作だ。


 『3月のライオン』の島田開というキャラクターは、主人公・桐山が「無傷では決して 辿り着けるわけもない世界 ――その世界の果てに ひとり 両足をふみしめて 往く人なのだ」と語る、作中の良心的な存在だ。飄々と結果を残していく天才たちからも目が離せないが、あらゆる澱を抱えつつ、全身全霊を賭して、「必死」という言葉を体現するように将棋に向かう島田開のようなキャラクターに憧れないわけがない。


 島田開は将棋八段、A級在位5年だ。名人戦にチャレンジすることもあるが、まだ名人にはなれていない。胃に持病を抱えながら、将棋を指す姿は、“冴えないおじさん”に見えるかもしれない。


 しかし、本作の主人公・桐山零との対局で、島田開の懐の深さは証明される。桐山対島田戦では、桐山は島田との実力差に打ちのめされることとなったが、島田がこう口を開いた。


“さて…と
じゃあ
続けようか”


  桐山は島田の対応をモノローグで回想する。


“――そして気付いた
なめてかかられていた事も
そして今になって
僕がそれに気付いて
うろたえている事も
この人は 全部 全部
見透かした上で
こうして
静かに座っている
のだという事”


 この対戦をきっかけに桐山は島田との交友を深め、島田研究会に参加することとなる。桐山にとって、島田は誰よりも身近な「自分より将棋がうまい人間」であり、頼れる兄のような人間なのだと、3巻で描写されている。


 続く『3月のライオン』4巻は、宗谷名人に挑む「獅子王戦」は島田の活躍のハイライトともいえる。


 宗谷冬司はタイトル戦を独占勝利し、史上最年少の名人。そんな浮世離れした彼は島田と同い年だ。作中でのタイトル戦「獅子王戦」。桐山は島田の介抱をしながらその命を削るような戦いを間近で目にする。


 恋人、祖父、父が島田の指す将棋を見て、プロじゃなくてもいいんだよ、と言ってくれる。そんな夢から覚めた島田は獅子王戦2日目に臨む。


“笑えたのは
夢の中でも 将棋を指していた事
――それでも「棋士になりたかった」と
悔やんで やっぱり 胃を痛めていた事”


 このモノローグの後に島田は目を見開いて、現実と戦う。


“どっちが
悪夢か
とことん
味わって
やろうじゃない”


 島田は胃を痛めながらも、精神力でコンディションを持ち上げていく。宗谷との「死闘」はまさしく生死を賭した戦いなのだ、と読者に一局の重みを感じさせたことだろう。


 桐山は島田と宗谷の一戦を大盤解説した。島田の身近にいた桐山は、モノローグで語る。


“倒れても
倒れても
飛び散った
自分の破片を
掻きあつめ
何度でも
立ち上がり
進む者の世界
終わりのない
彷徨
「ならば なぜ⁉」
――その答えは
決して
この横顔に問うてはならない”


 そして桐山は、棋士として戦い続けるために、自らに問い続けるのだ。


 自分を追い込んで戦い、その背中で後進に大切なメッセージを伝えている島田開。その姿に勇気づけられる方も多いだろう。筆者もその一人だ。


 そして、そんな島田だからこそ、川本3姉妹の長女・あかりをめぐる淡く、甘酸っぱい恋模様からも目が離せない。