北京五輪の開幕も迫り、ウィンター・スポーツの話題が増えてきた。それで気になったのが「スキー・スノボって、いまどうなってるの?」という話だ。20年ぐらい前は冬のレジャーといえばスキー・スノボ、というイメージもあったが、最近はあまり話題にのぼらない。一体どうなったのか、調べてみると……。(文:昼間たかし)
半減どころではないスキー産業
『レジャー白書』によると、スキー人口は1993年には1860万人もいた。その後はスノーボードが出てきたこともあり、1997年にはスキー人口1360万人、スノーボード人口320万人の合計1680万人。翌1998年にはスキー人口1400万人、スノーボード人口400万人の合計1800万人と、2000年頃までは相変わらず盛況だったといえる。
しかし、その後はずっと右肩下がり。2003年にはスキー人口760万人、スノーボード人口430万人にまで減少。2011年には630万人と340万人で合計970万人となり、ついに1000万人を割ってしまった。さらに、2019年にはスキー人口が350万人、スノーボード人口が160万人にまで減っている。
一方、1980年代後半から1990年代前半にかけてのスキー場には、とんでもない勢いがあった。1980年には松任谷由実の『サーフ天国、スキー天国』の収録されたアルバム『SURF&SNOW』が発売(『恋人がサンタクロース』も収録)。関越自動車道の長岡JCTが開通し、北陸自動車道との接続が完了。1982年の上越新幹線の開通によって、ゲレンデへのアクセスが向上し、スキーが身近な娯楽として注目されるようになっていた。
スキー初心者も急増した。学生街だった神田神保町には学生服屋に代わってスキー用品店が急増。シーズンともなれば、満員電車並みの混雑で、万札が飛び交った。長時間のリフト待ち、大混雑したゲレンデ、休憩しようにもレストハウスに空席はなし……といった混雑状況だったが、それでも人は押し寄せた。
『私をスキーに連れてって』の衝撃
「とにかく、なんでもいいからスキーをしたい……できれば安く」という時代である。1円でも安く、長い時間ゲレンデで楽しめるツアーが次々と登場した。
『週刊現代』1989年1月29号には「全国スキー場お楽しみガイド決定版」という記事が掲載されているが、ここで筆頭に上がってるのが東京発ニセコ国際ひらふスキー場(現・ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ)への二泊三日のツアー。4食ついて3万9700円である。まだLLCもない時代の飛行機ツアーなのに格安だ。
もちろん安いのには理由がある。宿は4名一室で、おそらく狭い部屋で雑魚寝状態だろう。宿の快適さはゼロでも、スキーができれば十分に商品となったのだ。なお、この記事に掲載されているもっとも安いツアーは新潟県の神立高原の9300円。「どうやって?」と思ったら、往復とも車中泊という強行軍だった。こんなツアーバスが成り立ったのは、若い世代が「青春」という謎エネルギーの発散法を探し求めていたからだろう。
結局、スキーといっても目的はレジャー。大切なのは「盛り上がっていそう」という雰囲気である。大ヒットした映画『私をスキーに連れてって』(1987年公開)のように、「スキーに行ったら原田知世(三上博史)みたいな人と出会えるかも」といった期待も、スキーに対する異様な期待感を高めていた。
業界もあの手この手で「ロマンス」を演出しようとしていた。ゲレンデでは松任谷由実を筆頭に小田和正の『ラブ・ストーリーは突然に』や広瀬香美の『ロマンスの神様』など、ラブソングが無限リピート。
雑誌をめくると、スキーウェアのファッション特集から、ゲレンデでのナンパの仕方、ナイトスポットの紹介まで、とにかく男女の出会い、出会い、出会い……と、ほぼ代わり映えのしないナンパ情報が、あちこちで繰り返し特集されていた。
とある男性向け週刊誌では、「旅行会社の添乗員によると、どこそこのスキー場は、女性客の割合が多くて狙い目」といった噂話レベルの情報まで掲載されていたぐらいだ。ここまでくると、もはや出会い系の怪しい口コミブログである。
こうした「熱狂」は、もはや過去のものに思える。婚活サービス「オーネット」が実施した、新成人対象のアンケートでは「現在交際している異性がいる割合」は、1996年には50%だったのが2000年代以降ガクッと落ち込み、2022年は29.3%だった。
ところで、このアンケートでは「出会いのきっかけ」の3位が「ネット(SNS・アプリ)で知り合った」(14.4%)だった。そうそう、もうスキー場に行かなくても、あちこちに「出会い」はあるのだ。混雑も緩和しているだろうし、純粋にスキー・スノボで遊びたい人にとっては、かえっていい時代になっているのかもしれない。