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おすすめBLコミックレビュー 1月発売作品より『おしえて僕の神様』『君と運命についての話がしたい』の2作品を紹介

2022年02月08日 10:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『おしえて僕の神様』

 作品数や新人作家のデビューやメディアミックスの増加、続々と立ち上がる新レーベル、タイBLの流行など、年々盛り上がりを見せ続けている「BL」というシーン。2022年に入ってからも、その勢いは衰えることを知らないようだ。


 それだけに、毎月のように数多くのレーベルから多くの新作が出てくるため、すべての作品を押さえるのは難しいだろう。


 そこで今回は、2022年1月に単行本として発売された作品のなかから、筆者が「出会えてよかった」と思う2作を紹介したい。


『おしえて僕の神様』(瀧本羊子/リイド社)


 その生き方はまるで、菩薩、天使という言葉が似合う――。『おしえて僕の神様』は、そんな誰にでも平等にやさしさを与える慈愛に満ちた真心(まこ)と、中学生の頃から彼にひそかに想いを寄せている慧(けい)の恋愛を描く。


 慧はずっと胸に抱え続けてきた想いに踏ん切りをつけるため、高校の卒業式に真心に告白する。「実は両想いではないか」という期待も持ちつつの告白は、見事成功。しかし喜びも束の間、真心から「僕は、“かみさま”なんだ」という脳の処理が追い付かないことを告げられるところから物語が一気に動き始める。


 ファンタジーのようなタイトルとあらすじだが、真心の背中には羽は生えていないし、頭のうえに輪っかも浮かんでいない。同作の舞台は、いたって現実的な人間の世界だ。


 近年「推し」という言葉が当たり前のように使われるようになった。筆者も推しに、自分の日常に彩りや潤いを与えてもらっている。しかしその推しが自分の理想と異なる言動をしたときに、「解釈違いだ」と思ってしまうこともなくはない。同作は、自分が心の支えとしている対象へ無意識に抱いているエゴについて考えさせられる作品だった。


 10代後半に抱くであろう等身大の恋愛感情を交わし合う真心と慧の関係性は、微笑ましい。しかし「運命と使命の選択」という緊張の糸が、穏やかにはぐくめるはずのふたりの恋を阻む。自分たちの幸せか、それとも周囲の人の幸せか――。ふたりがどんな選択をとり、自分たちの恋に決着をつけるのか、ぜひ見届けてほしい。


参考:『君と運命についての話がしたい』表紙画像


『君と運命についての話がしたい』(青梅あお/徳間書店)


 α(アルファ)・β(ベータ)・Ω(オメガ)という男女性とは別の二次性が存在する世界を舞台とする、ファンタジーBLのなかでも一大ジャンルを築き上げている「オメガバース」。その作品の多くが、番(つがい)になれるαとΩのラブストーリーだ。世界総人口における割合の大半を占め、普通、平凡な性として描かれるβは、蚊帳の外のような扱いすら見て取れる。そんなβもαやΩと同じ世界を生きていて、恋をしているという当たり前の事実を示してくれたのが『君と運命についての話がしたい』だ。高校から付き合いはじめ、同棲して10年経つ幸史郎と響の日々を描く。


 αとΩの間でしか成り立たない番のなかでも、発情期にかかわらず本能で惹かれ合う「運命の番」だと信じていたふたりだったが、高校時代の性別検査結果はβ。「一緒にいられさえすればいい」という気持ちとは裏腹にふたりは、自分たちの関係性を周囲にそこまで大っぴらに公表しないまま、「大丈夫」と言い聞かせながら生きている。


 オメガバースに限らずBL全体に言えることだが、男同士の恋愛を差別用語で茶化すような描写は随分と減っている。だからといって世の中に受け入れられているかと言われればそうではないという、現実的な描き方をする作品がその分増えた印象だ。


 同作でもαとΩで、しかも運命の番のゲイカップルであれば婚姻も結べ、美しい恋愛物語として映画でも取り上げられるくらい祝福される関係として描かれている。しかしβ同士のゲイカップルの場合、婚姻どころか交際をオープンにしづらい雰囲気すらあるように描かれていた。


 オメガバースを題材にしながらも、法や世間の理解といった壁がいまだ立ちはだかる同性カップルを描いた同作。この作品における「運命の番」の描き方は、現実社会が抱える「進まない同性婚の法制化」「同性恋愛に対する偏見」といった課題にも通ずるものがあると感じた。


 どんなカップルにも同じように祝福が降り注ぐ社会であってほしい――。『君と運命についての話がしたい』は、私たちが生きる世界の不平等についても考える機会をくれる作品だ。


■フィクションではあってもファンタジーではない


 今回紹介した2作品に登場する「他人の期待、信頼に応えようと自分の意志に蓋をする」真心や、「マイノリティであることに息苦しさを覚える」幸史郎と響のような人は、現実にもきっといる。口に出していないだけ、なんなら自分が相談したり公表したりするに値しない人間だと思われているだけだったのではないか……。フィクションを通して、いかに自分が同じ時代を生きる人に関心がないのかを思い知らされた。


 もちろん筆者も「社会のことに目が向けられそうだ」と思って作品を手にとってはいない。むしろBLには、トキメキを欲している。なにより物語を読んでわかった気になるのは違うだろう。しかし物語の世界にどっぷり浸かり、キャラクターの心情をひも解くことで、彼らにそんな言動をとらせてしまったことにも目が向くこともある。さらに好きな作品だからこそ、チクリと胸を刺す、ハッとさせられるような自分の未熟さを素直に受け止められた。


 徐々に見かけなくなりつつあるものの「BLはファンタジー」という常套句がある。たしかに描かれている世界もキャラクターも、現実にはない。しかしこの言葉で割り切ってしまうのは、自分が気づいていないところで痛みや息苦しさを感じている人がいることから目をそむけ続けることとも言えないだろうか。フィクションではあってもファンタジーではない――。そう改めて考えさせてくれる作品との出会いも、BLは届けてくれる。