人によっては懐かしさに咽び泣くのではないだろうか。ついに「世界名作劇場」がAmazonプライムに登場した。いまだに語り尽くされる名作揃いのシリーズの魅力を改めて考えてみた。
末期まで高視聴率を維持
「世界名作劇場」は広義には1969年の『ムーミン』から、公式には1975年の『フランダースの犬』から1997年まで日本アニメーションが制作してきた大河アニメシリーズだ。とりわけもっとも長寿だったハウス食品の一社提供による「ハウス食品・世界名作劇場」の名称はよく知られている。日曜日の夜7時30分といえば、この番組という家庭も多かったのではないだろうか。
いまだに語り継がれるシリーズ屈指の名作『フランダースの犬(1975年)』は最終回の視聴率が30%越えを達成(平均視聴率22.5%)。原作が有名なため、ラストがどうなるかもみんな知っていたのだが、テレビ局に「ネロを死なせないで」という視聴者からの電話が殺到したという。
それ以降の作品も、視聴率は極めて高かった。続く1976年の『母を訪ねて三千里』は平均視聴率21.3%。以降も1995年の『ロミオの青い空』までは常に平均視聴率10%台をキープしている。1984年の『牧場の少女カトリ』は、ほとんど知られていない原作だったにも関わらず、平均視聴率が11.9%もあった。いかにこのシリーズが親しまれていたかを示す数字だろう。
しかし、その大河シリーズにも終焉はやってくる。少子化や生活スタイルの変化など、様々な原因で視聴率は下がっていった。最終盤、1996年放送の『名犬ラッシー』は8.9%。続く96年~97年放送の『家なき子レミ』は8.5%で、あえなくここで「打ち切り」となった。一時期、2007年~2009年に「BSフジ」で復活していた時期もあったのだが、やはり時代の流れには逆らえなかったようだ。
一年かけるから……悲惨な期間も長い
放送枠の終了時に、『フランダースの犬』などを演出した黒田昌郎監督は取材に対して、こう話している。
「このシリーズには、山や野原、馬車が遠くからやって来る様子を淡々と映し出すなど、大きな物語の流れの中でゆったりと描写することにより、初めて描きうる場面があった」(『読売新聞』1997年3月1日付夕刊)
この1年かけているからこその、じっくりと丁寧に物語を描くことこそが、シリーズ各作品がいずれも劣らぬ名作になっている理由である。
その丁寧さゆえに、常に観ている側もハラハラが止まらない。例えば1985年の『小公女セーラ』。ロンドンの寄宿学校・ミンチン女子学院に預けられたセーラが、父親の死によって財産を失い転落。様々な不幸を生き抜いて最後は復活を果たす。
改めて各話を観てみると、父親が事業に失敗して破産し病死した知らせが届くのは11話。セーラを探していた父の親友に見つけられるのが44話。都合、33話に渡ってセーラが不幸な目に遭い続ける。名作ゆえに話の筋は知っているが、長いよ!!
1978年の『ペリーヌ物語』も、ようやく祖父の経営する工場のあるフランスの街までたどり着くのが27話。そこから、すぐに孫と名乗り出ることができずに名を変えて工場で働き始めるのだが、ついに孫だと告げるのは、なんと50話。やっぱり長い!!
でも、この悲惨な境遇に感情移入しながら楽しめるのが「世界名作劇場」の醍醐味だ。今回の配信タイトルには入っていないが1982年の『南の虹のルーシー』なんて、父親はせっかく移住したオーストラリアで農地を手に入れることができずに飲んだくれとなり、挙げ句に40話でルーシーが暴れ馬に巻き込まれて記憶喪失に……当時小学生だったが可哀想過ぎて泣いた記憶がある。
こんなにも長い間、愛され続けるシリーズが作れたのは、リアリティを追求するために海外ロケハンまでしていた作り手たちの情熱と、それを下支えする予算があったからだろう。一時期はDVDが売れないアニメは作れない、などと言われていたころもあったが、近年はNetflixなどネット動画配信サービスの出現、海外スタジオの台頭など、アニメーションをめぐる状況が著しく変化している。いつかまた、こんな大長編の名作が続々と生まれる時代が来ればいいのだが……。