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いつでも「楽しい」を目指してーー永尾まりやの新作写真集『ヤバイ!まりや。』に滲む人生観

2022年02月02日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『ヤバイ!まりや。』(ワニブックス)

永尾まりやの最新写真集『ヤバイ!まりや。』(ワニブックス)が1月20日に発売された。4作目となる本作のテーマは昭和。舞台は、今もレトロな街並みが残る信州・戸倉上山田温泉街。温泉宿のほかパチンコやラブホテル、スナックなどを訪れ、昭和を生きた女性を見事に再現している。


 ロケーションだけでなく、聖子ちゃんカットにソバージュ、ボディコン、バブリースーツといった、誰もがひと目で昭和を認識できる衣装やヘアメイクにも注目したい。あまりの再現度の高さに、永尾まりやはじめ、スタッフ全員が昭和時代へのタイムスリップを楽しんでいるのが伝わってくる。現場の楽しげな雰囲気が見える写真集ほど、読んでいてテンションがあがるものもない。


 そんな本作から感じられたのは、今の永尾まりやが最高にイイ感じに仕上がっているということ。ある種ブランド化している80年代の世界観に溶け込んだ写真集から見えてきた、2022年の永尾まりやの”ヤバイ!”魅力とは。


参考:『ヤバイ!まりや。』表紙画像


■聖子ちゃんカットとソバージュ


 本作の冒頭は、噂の聖子ちゃんカットからはじまる。薄ピンクのカーディガン。花柄のスカート。高級感漂う洋館の庭には、低く長いボンネットが特徴の白い車が停められている。陽気な昼下がり。髪型につられてか、不思議と松田聖子の『赤いスイートピー』のイントロが聴こえてくる。レースのシートカバーがかかった車内。大胆に乱れる、清楚な永尾まりや。裕福な背景に見え隠れする御曹司の彼。そっとしか開かない上品な口元に、あの頃の日本にもいたであろう控えめで受け身な女性を想像した。


 こんな具合に、80年代を生きた女性の姿をいくつか再現している本作。シチュエーションごとに衣装や雰囲気をガラッと変えているため、80年代コスプレ写真集という見方もできなくはないが、一貫してひとつの物語があるようにも感じられる。まるで、付き合う人に影響を受けるたび、好みや身なりが変わっていくひとりの女性の半生を描いているような……。


 その前提で読み進めていくと、御曹司の彼と別れてしまったのか、後半になるにつれ、荒々しさが目立つようになる。黒地に青いバラが描かれたボディコンとソバージュ。パチンコ店の駐車場で、タバコを吸う。薄ピンクの長財布は、彼といた頃の名残だろうか。しかし当時の面影は薄く、パチンコ店内では靴を脱ぎ、裸足でおやま座りをして台に向かっている。途中、パチンコ台の下にコインを見つけたのか、人目も気にせず地面に這いつくばる姿だってある。


 さらに後半に登場する、紫のタートルネックにヒョウ柄のパンツ姿は、安アパートで暮らす独り身の女性と見えた。ゴミ袋を持って階段に座っていたり、屋外にもかかわらずパンツのなかに手を入れたり。その粗暴な姿と対比する形で、最後はスナックのママになり切る。開店前のカウンター席に座って塗り直すグロス。紆余曲折を経たがゆえの豊富な経験値が、素の粗暴さを包み込んでいく。


 永尾まりやが再現する女性はみんな、表と裏がある。服が乱れて露わになる秘密の性癖。御曹司の彼を手放そうとも、どれだけ身なりを変えようとも、いつだって違った形の幸せを手にしていたし、毎日が楽しかった。そんな昭和を生きた女性の半生。客を見送り、ひとりになった横顔は、凛としているのに、どこか寂しそうでもあった。


■楽しそうな生き姿


 前半にて、本作に登場する昭和を生きる女性の半生を妄想してみたが、その姿は、どこかリアルな永尾まりやの生き方と重なる部分がある気がする。AKB48を卒業してもうすぐ6年。現役時代、総選挙の最高順位は35位と選抜常連メンバーではなかったが、ファッション誌でモデル活動を行ったり、映画に出演したりと多彩に活動していた。卒業後は、さらにグラビア人気に火がつき、雑誌で単独表紙を飾ることもしばしば。本作が4冊目の写真集になることからも、その活躍ぶりが窺えるだろう。


 客観的に、ここ最近の永尾まりやは、いつも自然体で楽しそうな印象があった。SNSやモデルの蓼沼楓とともに開設したYouTubeチャンネル「まりかえちゃんねる」、また雑誌のグラビアで見かけるたびに、そう感じていたのだ。思い返せば、約3年前に発売された3作目の写真集『JOSHUA』(幻冬舎)では、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴまで訪れ、広大な自然のなか、ジョシュア・ツリーに縛られていた(”縛り”は永尾まりや自身の要望で実現したものであり、後日、写真集発売記念イベントではファンを縛ってチェキ撮影を行う特典もあったほどだ)が、本作で思いっきり昭和に振り切れたことも然り、自分を自由に表現できる写真集において、好奇心に委ねた挑戦できるのは、ただただ、それが楽しいからではないだろうか。


 人は理想を描きがちだ。その理想にとらわれるあまり、目の前の楽しさすら楽しみきれないこともある。しかし、自分が自分を楽しんでこそ世界が広がるのも確かだ。現に永尾まりやは、本作で生きたことのない昭和を生き、自身の表現を広げた。例え落ち着く先が、安アパートで暮らす独り身の女性だったとしても、寂しさと豊かさの狭間に揺れるスナックのママだったとしても、永尾まりやは、これからも自分が面白そうだと思う方向に舵を切って進んでいくだろうし、いつの人生も「楽しい」と形容するだろう。


 本作は、昭和の女性をモチーフにしつつも、永尾まりや自身の生き姿を反映した物語になっていると感じられた。それは、意図せずに自然と滲み出た彼女らしさかもしれないが、それでも、彼女だからこそ作り上げることのできた世界観であることは確かだ。