メルセデスのドライバーであるジョージ・ラッセルは、かつてメルセデスのサポートを断り、永遠に彼らから見捨てられる危険を犯したことがあると述べている。
ラッセルはウイリアムズで印象強い3年間を送ったおかげで、2022年シーズンはチャンピオンチームのメルセデスのメンバーとしてF1キャリアの次のレベルへと進む。しかし23歳のラッセルは、頂点へ到達するのにまったく異なる道をたどるか、もしくは自身によるリスクの高い決断のせいで、完全に道を外れる可能性があったという。
2015年の初め、ラッセルはメルセデス・モータースポーツ代表のトト・ウォルフから連絡を受けた。ラッセルが2014年のイギリスF4選手権タイトルを獲得した勝利シーズンのすぐ後のことで、ウォルフはヨーロピアンF3選手権参戦のためのスポンサーシップとメルセデスからのサポートをオファーしたという。
しかしラッセルはそれらのオファーを断り、代わりにカーリンとフォルクスワーゲンに忠誠を誓った。
「カーリンとフォルクスワーゲンに入る前に、すでにトトとメルセデスと話し合いをしていた」とラッセルは振り返り、『Motor Sport』のポッドキャスト『My Big Break』に語った。
「2015年初めのトトとのミーティングの後、僕は『ミーティングの機会とあなたのアドバイスに本当に感謝しています』といったことを言うためだけに彼にメールを送った。言っておくと、実際には僕はミュッケ・モータースポーツとメルセデスのライバルであるカーリンとフォルクスワーゲンに入るところだった。その方が自分のキャリアに適していると考えていたからだ。それに僕がそこでいい仕事をすれば、メルセデスは引き続き関心を持つだろうと考えていた」
「そうしたら彼は『君は間違った選択をしていると思うが、今後も連絡を取り合い、これから我々がどうなっていくか様子を見ることにしよう』と返信してきた」
メルセデスはラッセルを自社の若手ドライバープログラムに誘い込もうとした唯一のマニュファクチャラーではなかった。BMWも当時17歳のラッセルに、DTMドイツツーリングカー選手権に出場するための、相応の契約をオファーしていたのだ。
だがその後、メルセデスのジュニアドライバープログラムの責任者であるグウェン・ラグリュが電話をかけてきた。
「僕のところにはほぼサインを待つばかりのBMWからの契約書があった。その時にグウェン・ラグリュから電話があった」とラッセルは振り返った。
「実はその時、僕はバスタブにつかっていたところだったのだけど、彼は『メルセデス加入について話し合いをしたい』と言った。それが本当のところ、すべての始まりだったんだ」
「メルセデス・ベンツからは、もし僕がBMWと契約したら、メルセデスとの将来の選択肢は無くなるとはっきり言われたよ」
最終的にラッセルは2017年にメルセデスの育成プログラムに加入し、2017年にGP3、2018年にFIA-F2で立て続けにタイトルを獲得。2019年にウイリアムズに加入しF1デビューを果たした。