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【1/17~1/23の運勢】1月4週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2022年01月16日 22:11  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

まーささんによる「上半期の恋愛占い」、星乃せいこさんによる「2022年の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

「上半期恋愛占い」「年間運勢グラフ」はこちら 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

じんわり広がる、それを受け取る

今週のおひつじ座は、ひとりでに滲み出ることで、初めて本当の気持ちを自覚していくような星回り。

冬の河原というのは、とても寂しい場所です。「冬河原独りになりに来てふたり」の作者・藤井あかりはそこに日常の忙しさから抜け出し、独りに浸りきって、自分自身と向き合うためにやってきた。実際には、なんとなくボーっとしたくて、無意識に足が向いたのでしょう。

ところが、そこで次々と思い浮かんでくるのは特定の誰かとの想い出な訳です。恋人なのか、夫婦なのか。あるいはもっと微妙な関係の相手の可能性もありますが、いずれにせよ、想い出の中でかたわらにいた相手の不在がいよいよ際立ってしまった。そこで作者は……という、滲み出る心情を詠った句なのでしょう。

人はそうして自分の本当の気持ちを知るために、ときに孤独になろうとする生き物なのかも知れません。あなたもまた、掲句のように「独り」になる時間と場所を確保してみるべし。

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illustration by ニシイズミユカ

暗さの奥底に歩を進める

今週のおうし座は、心の迷路をその襞(ひだ)という襞まで知るために、ただ黙々と歩いていくような星回り

池内紀の短編集『錬金術師通り』には、東欧の都市の物語がおさめられており、すべてを幻想にあふれた小説仕立てにすることで、かえって都市の雰囲気を濃厚に感じられる。たとえば、カフカが少年時代を過ごしたプラハの旧ユダヤ人地区ゲットーを訪れる話では、地下牢とカフカ自身が形容していた「細い通りが迷路のように入り組んでいる」場所に出くわした<私>が、カフカの次のような言葉を思い出します。

「私たちの内部には、あいかわらず暗い場末が生きています。いわくありげな通路が、盲いた窓が、不潔な中庭が、騒々しい居酒屋が、陰にこもった宿が――(…)陰気な壁のような建物がつづく。どの窓も小さい。部屋はきっと昼間でも暗室のように暗いのだろう」

そうして<私>はその言葉の通りの細い通りを歩きながら、いつの間にかウィーン郊外の魔法じみた暗さへと潜り込み、その土地にゆかりのある作家の精神に導かれていくのです。あなたもまた、いつの間にかどこかで見た夢のような道から道へと案内されている状況に陥りやすいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

新しい官能性の探求

今週のふたご座は、否定しようがないほど生々しいの実感の高まりを経験していくような星回り。

「雪・躰・雪・躰・雪 跪く」(田中亜美)で詠まれているのは、雪が降り続いている情景。そのはざまはざまに、躰(からだ)があるのだという。そのことに気が付いて、おもわず作者はひざまずいた。もちろん現実の光景ではなく、作者はここで言葉によってまったく新しい空間を創り出し、まだ名前のついていない感情を引き出そうとしているのかも知れません。

「体」の異体字である「躰」がなぜ使われているのかは分かりませんが、おそらく、雪の合間にちらつく何かは、ちょうど射的で的を射抜くような仕方でなければ見ることさえ難しいのかも知れませんし、裸身を想像させることで暗に「性愛」を連想させようとしているのかも知れません。

「雪」はひたすら白くて冷たい。にも関わらず、いやだからこそ、「雪」と「躰」が繰り返されるうちに、「躰」も真っ白く透明になって、不思議なほどに熱をもってくるような感じがしてくる。それはまさに「跪く」にふさわしい、人生における神聖な瞬間だったに違いありません。あなたもまた、頭脳に反乱を起こさんばかりに身体的/生理的な実感や要求が高まっていきやすいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

語れよ語れ

今週のかに座は、どこにたどり着くのかも知れぬまま、話すのがやめられなくなるような星回り。

死後、閻魔の前に立たされた人間のするべきことはただ1つ、最後の告白である。みずからに必要な決定的な何かを取り戻そうとでもするかのように、そこではみな、藁にもすがるような思いで、今まで言葉にしたことさえなかったような、自身の心の奥の奥のもっとも奥底まで言葉にしようとするのです。

では、そんな閻魔とは誰なのか。そもそもインドのヴェーダ神話に由来する閻魔(ヤマ)は、最初の人間であり、それゆえ最初の死者となり、その後に続く者たちのために行くべき道と場所を見つけていったことで、死者たちの王となったと云われています。つまり、閻魔とは必ずしも地獄の“審判者”である訳ではなく、他界へと渡っていく人間の魂の先導役であり、正直に向きあえれば、これ以上ないほどの良きガイドとなってくれる存在でもありました。

とはいえ、自分の身に起きたことを語りつくすということは、想像以上に難しいことです。本当の告白とは、そうした頑なに口をつぐんでいた沈黙を破った先に、やっと辿り着くことができるもの。あなたもまた、これまでついぞ破られることのなかったあなたの中の沈黙が不意に破られていくことになるかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

魔法の文法

今週のしし座は、想像のなかで初めて垣間見える真実と相対していくような星回り。

「雪女郎鶯張りに音もなく」(山田佳乃)の舞台は、大雪の降り積もった屋敷か寺院か。忍びの者でさえ踏めば鳴るという鶯張りの廊下を、音もなくやってくる者の気配だけがある。もちろん実際に見えるのは灯りが照らすわずかな空間の先に広がる闇の奥行きだけですが、それだけに、かえってその気配が濃密に伝わってくるのです。

掲句は雪女郎(雪女)という存在が、雪に閉ざされ過度に張り詰めた人の心が作り出したものかを実感させてくれる一句と言えますが、しかしこれは裏を返せば、何かをまざまざと想像できるということは、その何かが確かに存在するということを示した一句とも言えるのではないでしょうか。

雪女に入れ込んで、みずから命を落としていった男たちの状態を「狂気」と呼ぶ人がいる一方で、「愛」と呼ぶ者だっているように、誰かの心に刻まれた「感動」が「真実」として伝わることだってあるはず。伝承や文学や歌は、しばしば当時は認められにくかった真実の“隠れ蓑”となりつつも、心当たりのある人にはその中身を積極的に開示するのです。あなたもまた、そうした隠れ蓑のしたの“素顔”を喝破していきたいところ。

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illustration by ニシイズミユカ

淀みと流れ

今週のおとめ座は、目に見えない怯えや不安を、軽やかに乗り越えていこうとするような星回り。

社会学者の岸政彦さんが、孤独死をテーマにしたある聞き取り調査で知ったという、女性たちがつながりをつくっていくのに、“玄関先の植木”が一役買っているという興味深い話について書いていました。

それは鉢植えを誰かにあげて、お返しにまた鉢植えをもらうとか、玄関先で植木に水をやっていたら声をかけるとか、難しい花の育て方や我が家の一工夫について教え合うといった、ちょっとした会話のきっかけとなって、そこから話が脱線しつつもひとしきり盛り上がるのだとか。逆に、高齢の男性ほど、他人とのつながり作りや、仕事に無関係な会話をすることが苦手で、孤独死も多くなるのだそう。

人に話しかけるということは、きっとかすかな不安や恐怖を幾つも越えていかなければうまくいったと感じることのできない、隠れた難事業なのだ。そして、そんな時のコミュニケーションツールとして最適なもののひとつが植木鉢であり、その最大の特徴は“軽やかに”共に生きていける点にあるのでは。あなたもまた、誰かと“共に生きていく”ということに付きまとう重たさを、幾らか払拭していくことができるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

しかと目を見開く

今週のてんびん座は、いつか見るだろう、走馬燈のシュミレーションをしていくような星回り。

「冬眠すわれら千の眼球売り払い」(中谷寛章)は、31歳の冬に病死した作者の遺作。「眼球」は「め」と読ませる。まなざしを外すくらいではダメなのだ。作者にとって自身が迎えようとしている“最期”とは、物質としての目玉まで綺麗さっぱり売り払って、もうこれで自分は二度と何かを見ることも、目覚めることもないのだと、覚悟を決めた「冬眠」だったのでしょう。

そうすると、ここでいう「われら」とは、過去に「われ」がその思いや希望を共有したと信じる幾らかの人びと、そして未来にその後に続くであろう未知の人びとの総体であるはず。とはいえ、それも煎じ詰めればただ独りの「われ」であり、どこまで行っても「われ」のなかの「われら」に他ならないのです。

人間は決してただ一人だけで生きている訳ではないけれど、死んでいくときは必ず自分ひとりで死んでいく。生まれてから死ぬまでに関わった人とのつながりや、そこで縦横に紡がれたストーリーや、浮かび上がった図柄や模様とともに。あなたもまた、「もうこれで死んでも構わない」と言えるためには、一体自分はどんなストーリーや図柄、模様を両のまなこに収めたいのか、思いを巡らせてみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

否定すなわち浄化

今週のさそり座は、人間は、自分はかくあるべしと規定する規範を不意にすり抜けていくような星回り。

第一次大戦中に誕生し、ほんのひと時のあいだ花開いては、慌ただしく消えていったダダイズムは、芸術運動における伝統への異議申し立ての極端な事例のひとつでしょう。その運動の中心人物であるトリスタン・ツァラが「ダダは何も意味しない。(…)ダダは体系に反対する」と断言したように、それはあくまで一貫して純粋な否定として燃え上がった破壊と劫掠の試みでした。

ちょうど「ダダ」という言葉自体が、偶然に辞書から見つけ出した「お馬さん」を意味する幼児語を意味したとされているように、その運動では文化、政治、社会など既存のすべての体制を、惰性としての因果的必然性と見なして激しく否定することで、この世と向きあう私たちの脳裏から実用性という外観をひきはがし、純粋で混じり気のない「たまたま」が生みだす驚くべき新世界へと精神をいざなおうとしたのです。

その結果、アンドレ・ブルトンが「すべてを棄てよ。ダダを棄てよ」と叫んでダダと決別したように、みずからの運動化や体系化、組織化をも否定するという流れを余儀なくされた訳ですが、こうした偶然性と自由の切っても切り離せない関係は、今もなお個人においてより深く掘り下げられていく余地がたぶんに残っているはず。あなたもまた、単なる無軌道のたぐいに出さないぎりぎりのラインで、自身を偶然にゆだねてみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

博奕と暴力

今週のいて座は、深い矛盾を抱え込みつつも、たたかい続けていこうとするような星回り。

冬枯れの山で違法の博奕を打っているところを、巡査かなにかに嗅ぎつけられて一網打尽にされた。その中には坊主も混じっておったそうな――。「冬山に僧も狩られし博奕かな」(飯田蛇笏)は、そんな昔話や小説仕立ての一句。

どんな博奕(ばくえき)であれ、博奕である以上は「必勝法」は存在しないものですが、代わりに「必敗法」と呼ばれる摩訶不思議なものが存在します。必ず負ける打ち手やプレイ方式をシステム化したものを指す訳ですが、そうして極端な奇跡でも起こらなければこうすれば負けるという選択や、条件のパターンをできるだけ学んで打ち立てた「必敗法」をすべて排除していけば、「必勝」とはならないまでも、賭け手は確率という不利を背負いながらも何とか博奕をたたかい続ける余地がうまれるのです。

そうして、どう考えても普通負けるだろう勝負でしぶとく奇跡を待ち続けることができることを俗に「博才」と呼ぶのだと思いますが、博奕というのは科学的でなければ生き残れない半面、科学的なだけではやはり生き残れない。矛盾こそが博奕の本質なのです。あなたもまた、そうしたしぶとさや勝負強さを大いに発揮していけるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

大地に雷が落ちる

今週のやぎ座は、肩の力を抜いて、ただ誰かの器となることを自分に許していくような星回り。

グラフィックデザイナーの原研哉は、自身の創作活動において大事にしている概念として、「エンプティネス(空っぽさ)」を挙げていますが、これは人間のイマジネーションを受け入れる「創造的な器としての空っぽ」ということを言っているのだそう。

また「シンプル(シンプリシティ)」のような、1つの意図が誰にとっても分かりやすく機能やデザインに落とし込まれている状態とも違います。シンプルは、近代的合理主義と同時期に生まれた概念ですが、エンプティネスというのはもっと古くからあるもので、15世紀の室町時代にまでさかのぼる日本独自の文化的資産とも言えるかも知れません。

すなわち、余計な意図や情報をそぎ落として何もない方がいい、簡素さに伴う余白が人々の情感や情緒を受けれ入れる「ゆとり」になって、かえって豊かさを感じさせてくれるという考え方がその前提としてある訳です。あなたもまた、自分を空っぽにすることで、そこに流れ込んでくる決定的な誰かのイマジネーションを受けとっていくことがテーマとなっていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

「なす術がない」をする

今週のみずがめ座は、心身にひとつの問いや問題を深く浸透させていくような星回り。

のこぎりを取って炭を切りながら、そう遠くない昔日に自分の師匠にあたる人物から言われたある一つの言葉が気にかかって、あれはどういう意味で言ったのだろう、とあれこれ考えているうちに、ふと心が惑わしくなってきた。「炭切るや心まどへる師の一語」(原田浜人)は、思わずそんな情景が浮かんでくる一句。

炭を切りながらもそうした心の惑いに囚われているのだとも、炭を切る作業のなかでかえって深いところまで思案を掘り下げることができているのだとも解釈できますが、おそらくはその両方でしょう。

現代では「炭を切る」ということは日常生活からすっかり乖離してしまいましたが、洗い物や掃除、買い物などに置き換えてもいいかも知れません。何も考えずに、体にしみ込んだ動作をただ心行くまで繰り返すことのできる時間というのは、瞑想への最高の導入となるのです。あなたもまた、そうした動く瞑想に誘われてみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

にわかに色めき立つ内臓

今週のうお座は、生命エネルギーの奔流となって轟わたっていくような星回り。

人間同士というのは、過酷な状況になればなるほど、放っておくと身も心もバラバラになってしまうものであり、だからこそ結束や絆だけでなく、生きる気力を保つために昔から人が集まればそこでは積極的に「語り」が行われてきました。

例えば戦地においても、飢えと恐怖を封じる手段として話に花を咲かせ、その幻を食べてみなでしのでいたという話を聞いたことがありますが、なかでも食べ物の話や艶話の人気が高かったそうです。後者は「艶笑譚」とも言われますが、これは村の寄合や酒席、神祭りの場などでも話されていたようで、田の神様は色話が好きで、それを聞くと豊作をもたらすという信仰があったのだそう。神様が色話を聞かせてもらったお礼に、五穀豊穣をもたらしてくれるという訳です。

あなたもまた、自然と自身の生きる気力が色めきわたっていくのを実感していくことができるはず。

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今週の運勢と、自分の星座の性格占いはどうでしたか?

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